1-2

 要約文を書き終えるまで姉は席を立たなかった。僕の手が止まれば、その部分をもう一度話してくれたから、要約文を完成させるまでそう、時間はかからなかった。

「よし終わったわね。もう遅いから早く寝なさいね」

「うん、そうするよ」

 筆記具をもとの位置に戻して、僕は立ち上がった。

 その時、カーテンの隙間から漏れる異様な光に気付く。

「姉様、なにあの光……」

 言うと、姉が振り返る。そっと窓辺に近寄り、カーテンから外をのぞき込むと息を呑んだ。

 僕も気になり窓辺に近寄り、外を見る。

 父が統治している村まで伸びる道。まるで蛇のようにうねりながら下っていくその道が茜色に染まっていた。その色の正体は松明の火。肉眼でもわかる。村人が松明を片手に持ち、反対側の手で斧やくわなどの武器を持っている。何が起ころうとしているのか僕は勘づいた。

 反乱だ。村人の反乱は領主に対しての不満が高まった時に起こると家庭教師のジョセフに教わった。だからこそ、民の目になって謙虚に統治するべきだとも。

 だけど、父は反乱を起こされるほど横暴な統治をしていなかったはずだ。なのに、いったい何故——。

「ラルフ——、逃げるよ」

 僕は頭の中が混乱したまま、姉に手を引かれ走った。勢いよく部屋の扉を開ける姉。階段を駆け下ると大きく声を張り上げる。

「父様! 母様!」

「どうしたセレナ!?」

 異様に張り詰めた姉の声に父も驚いた声を上げる。

 廊下の先、父が広間から出てくると、姉は一目散に父の方へと走る。

「反乱が起こったわ。すぐに逃げないと」

 父は姉の言葉に頷かなかった。ただ、穏やかに微笑んだ。まるで反乱が起こることが分かりきっていたように、既に覚悟ができているかのように。

 父は優しい声音で言う。

「二人だけで逃げなさい」

「そんな、父様も一緒に」

 父は僕の言葉を遮った。

「反乱が起こることはもう決まっていたんだ。それに逃げたとしても王から罰を与えられる。どのみち生き残る術はない」

「あなた、門に火の手が、あまり時間はないわ」

 母の言葉に父の顔もこわばる。緊張感がより一層増した顔を見て僕は抗えないことを悟った。

「早く裏から逃げなさい」

「嫌だ。絶対に行きたくない」

「ラルフ、あなたが動いてくれないと私も死んじゃうよ」

 僕は問いかけてくる姉の顔を見上げた。その顔に迷いや葛藤はない。姉はもうすでに決心がついていたのだ。

 僕は仕方なく頷いた。

「セレナ、頼んだよ」

 一階に降りて裏手口から外に出た。裏庭を通って裏門から森に出る。

 森の中の道をただひたすらに走った。

 後ろの方がやけに明るい。屋敷に火をつけられたのだろう。火の手が囂々と燃え上がり、普段は真っ暗な森でも少しだけ足元が見える。

 しばらく走ると後ろから村人と思しき男の声が聞こえてくる。

「ちくしょう。子供がいない。絶対に逃すな。一族全員を根絶やしにしろ」

 その声は狂気だった。僕らになんの恨みがあったのかわからないが、無条件に僕らを殺そうとする。強い憎しみがこもったその声に、夜道を彷徨う狼よりも強い恐怖を感じた。

 もうだいぶ屋敷から離れた。足元もあまり見えない。足場も良くない。けれど走らないといけない。狂気をまとった村人が追いかけてくるから、追いつかれたら殺されるから、必死に疾った。

 が——。

 何か大きな出っ張りを踏んだ。それと同時、足首に強く鈍い痛みが疾る。

 挫いてしまったのだ。体がつんのめって転びそうになった。

 幸い、姉が受け止めてくれたから転ぶことはなかった。だが、挫いた右足は踏ん張れないほど強い痛みを発する。とても走れそうになかった。

「挫いちゃったみたい。先に逃げて」

 半ばもう諦めていた。もう無理だと思ったからせめて姉だけでも逃げてほしくてそう言った。そのつもりだったのに、姉は僕の手を引く。

「ラルフ、こっち」

 無声音にも近い小さな声で言うと、姉は道から外れて木立の中に入っていく。影に隠れられるほどの大木の裏に僕を連れていくと、静かに言った。

「ラルフはここでやり過ごして」

「えっ……でも」

「大丈夫よ。言った通りにしたらきっとあなたは大丈夫」

 松明の光がどんどん近づいてくる。

「愛してる」

 最後の一言のあと、姉は僕の額に唇をくっつける。そして、すぐさま体を反転させ、駆け出した。

 いやだ。いかないで、姉様。

 その思いは声にならなかった。

 姉は走り去った。すぐに男たちの狂気の声が聞こえてくる。

 「いたぞ! 娘だ。追え!」

 心臓が飛び出そうなほど強く鼓動し、呼吸音も自分の意志と反して大きくなる。村の男の足音が聞こえなくなるまで、両手で口を抑え必死に息を凝らした。しばらくそこで身を縮めて座っていた。村人の声が聞こえなくなり、僕は無気力に立ち上がる。

 ——姉様……。

 死んで欲しくない。生きてほしい。でも……。

 道のない木々の中を右足を引きずりながら、途方もなくさまよった。



 しばらく歩くと木々の隙間から灯りが見えた。どうやら僕は隣の道まで歩いてきてしまったみたいだった。灯の主は馬に乗ているのだろう。少し高い位置に灯りがあった。数は二つ。手からランタンを吊るし、それをあちらこちらに向けていた。何か探しているみたいだった。

(村人は馬を使わないから、あれは王国の兵士なのか、それとも盗賊か何かか……。もうどちらでもいい。いっそのこと死んでしまいたい)

 僕は光の方へ歩いた。

 その光が目を指すほど近づくと、僕は目を疑った。

 馬に乗っていたのは、異国の鎧を纏った兵士の装いをした男たちだったのだ。真っ黒の軽装備の鎧を纏った男二人は馬から降りるとこちらに近づいてくる。

 片方は長身で屈強な男。縄のように筋肉が発達した腕と脚を持っている。もう片方は兵士にしては細身ですらりとした体型の少し若めの男だった。

「君はロドリゲス家の子か? 他の家族はどうした」

 大柄の男の問いに答える。

「父様も、母様も多分殺された。姉様は僕を逃すために囮になった。もうダメだと思う」

「そうか……、それは残念だ」

「お頭、両親はダメでも娘の方はまだ助けられるかもしれません。救出に向かいましょう」

「ルカ、こいつの保護が最優先だ」

「村人程度ならお頭一人で十分のはず。行かせてください」

 お頭と呼ばれたその男は、困惑したようにルカという男を見るが、やがて呆れたように言う。

「好きにしろ」

 ルカがこちらを向き、ものすごい険相で迫る。

「お前の姉貴はどこへ向かった」

「隣の道を南の方へ」

 僕が指をさすとルカは何かに引っ張られるように駆けていった。

 ものすごい速さだった。だけど、僕にはとても間に合うと思えなかった。もうだいぶ時間が経ってしまっている。生き残っていたら奇跡だ。

 僕は立っているのが辛くて木にもたれた。右足はいまだにジンジンと鈍痛をひびかせてくる。背中を擦りながら座り込むと、痛む右足を伸ばす。

「痛むのか」

「木の根を踏んで挫いたいんだ」

「待ってろ、手当てしてやる」

 男はそういうと、腰に吊り下げた皮袋から包帯を取りだす。土踏まずを上げるように包帯を引っ掛けると、足首前で交差するようにぐるりと回す。それを三周させると男は留め具で止めた。

「お前をここから南のフィーネラル村におくる。そこの教会に泊めてもらえることになっているからそこでちゃんとした治療を受けろ」

 男に応急手当てをしてもらってしばらくすると、ルカが戻ってくる。その背後に姉はいない。やはり、やられてしまったのだ。

「すまない。君のお姉さんはもう……」

「村人はどうしたんだ」

 男の問いに吐き捨てるようにルカは答える。

「全員斬りました。遺品だけ回収し、遺体は隠してあります」

 ルカは近づき何かを差し出してくる。腕輪だ。姉がいつも身につけていた腕輪。金で装飾されたそれを僕は受け取った。まじまじと見つめると涙が込み上げてきた。

 怒りなのか憎しみなのか、それともただの悲しみなのか、訳のわからない感情が一気に湧いてきて、それを抑えるため、僕は歯をくいしばった。

「なあ、お前は……」

「ラルフ」

「ラルフ、そうだよな。貴族の子供をお前呼ばわりするもんじゃねえよな。すまなかった。

 俺はモーゼスっていうんだ。モーゼス・デゥバル。ヨサ王国出身の傭兵だ。こっちはルカ。しばらく会うかもしれねえからよろしく頼むよ」

 僕は黙った。とてもじゃないけどよろしくなんて言える気分じゃない。そんな僕の気持ちをわかっているのかモーゼスという男は話を進めた。

「それで、ラルフ。お前は乗馬ができるのか?」

「はやく走らなければ……」

「そうか——」

 モーゼスは僕の体を持ち上げ、馬の背に乗せた。後ろからモーゼスもまたがる。

 モーゼスはランタンを片手に手綱を握り、ゆったりとした速度で馬を走らせる。モーゼスの鎧から、血と汗の匂いなのか異様な匂いがしていた。でも、不思議と不快だとは思わなかった。


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