31 災禍に咲いた白き華

 「ここにいるはず・・・ほら」


 飛行術でふわりと浮かび上がったサーラは、10時50分の方角を示した。

 上空から見るT市は、もはや荒涼とした空間でしかなかった。

 魔物や霊はいない。

 人も動物もいない。

 草木一本も生えていない。

 あちこちに置かれた瓦礫やむき出しの赤土だけが目につく。

 しかし。


 「どうしてここだけ、花が咲いてる?」


 スズナたちがスタンバイしている場所に来た。

 そこだけに芝生が生えている。

 緑地を囲むように白い小さな薔薇の茂みがぎっしりと生え、花の結界を張っているかのごとくだ。


 「ユ、ユウマ君・・・!」


 「ユウマ・・・だよな!?」


 スズナたちの様子は埃まみれで衣装はズタボロだ。

 しかし目立った外傷はない。


 「おっす、無事だったか?」


 小さな女神ハトが急いでやってきた。

 ユイを守っていたのだ。


 「ええ、何とか。

 悪人が襲いかかってきましたが、サーラと一緒に戦いましたわ。

 ね、ダイスケ」


 「ユ、ユウマ・・・。

 人間、やればなんとかなるもんだけどさ」


 ずり落ちたメガネを戻しつつ、ダイスケは呻いた。


 「悪いけど、ジャージ直してくれない?

 これじゃ恥ずかしいよ」


 ものの見事に、尻のあたりがぱっくり破れている。

 おれが軽くはたくと、生地は元通りにくっついた。

 

 「能力者との戦いは楽しめたか?」


 「ん。

 サーラさんとハト様のおかげだけど」


 ほっそりした顔に小さな笑みが刻まれている。

 初陣に続き成功を収めるとは、大した男だ。


 「ねえ、ユウマ君」


 スズナの声がした。

 

 「ユイが・・・目を覚ましそう。

 こっちに来て」


 「あるじ様、人間に戻るでしゅよ」


 怪我の治ったナビが急かす。

 けろりとした様子で、ゲンキンなやつだ。

 

 「ユイ・・・。

 おれが分かるか?」


 ほっそりした少女を抱きかかえると、彼女はゆっくりと目を開いた。

 人外の目だ。

 虹彩は水色で、瞳孔は深い青。

 角度によってさまざまな色彩に変化している。

 

 「半天人になったでしゅ。

 感覚も人間とは違うはず」


 ナビが静かに言った。


 「あとで変化の術を教えましょう。

 そのままでは生活できないからね」


 サーラの声が頼もしく響いた。


 「あたしがありがたく指導してあげるわ。

 半天人の日々もきっと・・・面白いはずよ」


 「さあ、再び接吻を。

 人間に戻るでしゅ」


 神狐がとんでもないことを言う。


 「またかよ!」


 スズナ&ダイスケの言葉を聞きつつ、おれは従った。

 恥ずかしいが、こうするしかない。

 甘いにおいがした。

 柔らかい少女のやさしい感触。

 春のそよ風が通り過ぎ、おれは人間に―――黒木ユウマの外観に戻った。


 「ユイ、すまん」


 「どうして謝るの?」


 ユイはけだるそうに上半身を起こし、微笑した。

 髪の毛も青っぽく変化している。

 天人の特徴が出ているのだ。

 完璧な美貌。

 半天人のはずなのに、人間の要素があまり感じられない。

 申し訳なくて、思わず下を向いた。


 「ユイ、大丈夫?

 歩ける?」


 スズナの言葉に、彼女はうなずいた。


 「ちょっとぼうっとするけど、平気。

 体が軽くなったみたい。

 あれ、ここどこ?

 きれいな花が咲いてるけど」


 「もしかして5丁目かもしれん。

 山田の家に行ったとき、こんな花が咲いてたけどさ」


 白い薔薇の花々が咲いた庭。

 そのうちの一つは大きく、見ている間にどんどん大きくなっていく。

 明らかに生物学の理論に反する現象だ。

 今やその大きさ、直径30センチに達しようとしている。


 「魔物か?」


 「あるじ様、これに息を吹きかけるでし」


 ナビがすっかり治った尾をぱたりと振り、言った。


 「ヤクシャがいるのでしゅ。

 をれの仲間かな?」


 「バケモノだったら勘弁だぜ」


 おれは苦笑いし、その通りにした。

 つぼみを両手で支え、息を吹きかける。

 大きな大きな白い薔薇の花。

 棘はない。

 幽かに漂うさびしげな甘い芳香。

 最後の花弁がゆっくりと開いた。

 中央には、小さな幼女が眠っている。

 象牙の肌にふわふわの白い髪。

 花びらでつくられたような、繊細でかわいらしい衣装を身につけている。


 「花の精?」


 「あるじ様、これは夜叉女神ヤクシニーです。

 生まれたばかりの」


 サーラは静かに説明しはじめた。


 「ヤクシャ群が、今の時代に人界で誕生するなんて。

 きっと何か訳があるのでしょう。

 ね、ナビ、後の解説しなさいよ」


 「やはりをれの出番ネ」


 ナビはすっかり治った尾をふっさりと持ち上げ、言った。


 「夜叉ヤクシャ神族。

 今は第一天を住処としている、樹や植物の精霊たち。

 人間にはなじみがあるはずでしゅよ。

 木の精霊、土地の神はほとんどこの種族でしゅからね。

 彼らの大王はクベーラ、偉大なるヤクシャの大王様!

 精霊群の中でも出世してる者が多い、勇猛果敢な種族なのでしゅ。

 古来は地球で誕生する者もいたらしいんでしゅが、時代の流れと共にいなくなってしまった。

 それが今日ここに」


 エメラルドの瞳がじっと薔薇の花を見つめる。


 「こんなところで、人間界の最果てで生まれるなんて。

 をれに掲載された情報でも、こんなの初めてでしゅ」


 「あ、目を覚ましたみたい!」


 スズナの声が響き、一同はいっせいに薔薇の中の精霊に注目した。


 彼女の白いまつげは痙攣したように動き、ゆっくりと目を開けた。

 ナビと同じ、緑色の瞳だ。

 ダーキニー女神と同じ色。

 夜叉族の精霊だ。


 「迎えに来てくれたのかしら」


 夜叉女ヤクシニーはそよ風のような声で話した。

 この音調。

 このリズム。

 この精霊は間違いなく・・・。


 「ありがとう、約束を守ってくれて・・・、ユウマ様」


 山田の姉。

 山田玲の転生体だ。

 地下の座敷牢で死んだ後、精霊に転生したのだろう。


 「レイ・・・なのか?」


 「過去の話です」


 ホイップクリームのような髪をなでつけ、彼女は言った。


 「私に名をお与えになってくださいませ、龍神よ」


 精霊はお辞儀した。

 

 「それはおかしい」


 おれは微笑しつつ言った。


 「それはおかしい。

 ヤクシャ族のおまえが、他種族のものに懇願するなど。

 おまえが仕えるべきなのは、同じ種族の神だろう」


 「いいえ」


 彼女は緑の瞳をこちらに向け、こう答えた。


 「私は特異な個体。

 誰をあるじにするかは、自分で決めたいのです。

 私はあなたをあるじと見ています。

 あるじ様、私に新しい名をお与えになってくださいまし」


 「そこまで言うならば」


 おれは背後にいるメンバーを―――スズナとダイスケはユイを支え、ハト女神は恐縮したようにうずくまっている―――を見た。


 「おまえをレイナと名づける。

 おまえの幸せのため、自由に生きろ」


 「私の名前はレイナ!」


 ヤクシニーは空中に飛び、喜んだ。

 背中に2対の薄い羽が生えている。


 「命が尽きるその日まで、あるじ様に仕えます」


 「おまえの好きにしろ」


 おれはそう言い、薔薇をそっと撫でた。

 それは淡雪のごとく砕け散り、消滅してしまう。


 「眷属が・・・増えましたねえ」


 脱力したようにサーラが言った。

 

 「をれは一向に構わないでしゅ」


 ナビはにっこりとキツネスマイルを見せている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る