第37話 ヘレンの捨て身アタック

ある雨の日だった。


ヘレンが惨めな様子で騎士団の入り口に立っていたそうだ。



「仕方ないよ」


旦那様がヘレンを連れ帰ってきた。


私とメアリとアンは、口をあんぐり開けてそれを見守った。


「この家に連れてこられるだなんて、どうなさるおつもりです?」


「身支度だけ整えてやってくれ。そして帰れるように馬車の手配を」


旦那様は手短に言うと、自分は騎士団に戻っていってしまった。



一体、ヘレンなんかどうしろと言うのよ! 許せないわ!


……とは思ったものの、目の前の現実をどうにかしなくてはならなかった。


どういうわけか、ヘレン嬢は旦那様に私は大丈夫ですから、どうぞ騎士団にお戻りを、とか変なことを言っている。


同情を買う作戦じゃなかったのかしら?


濡れた服のまま、しなだれかかって、私にはないお色気ムンムンで迫りまくるとかそういう作戦なのかと思ったのに?


それとも旦那様が、自宅に連れてきてしまったので、作戦を敢行する場所がなくなってしまったとか? 


いや待て。奥方様の目の届くところで浮気をすれば、普通は奥方様がカンカンに怒って、あっという間に離婚が成立しそうだ。


そうなれば、妻の座が簡単に手に入るってことなの? でも、旦那様は騎士団に帰っちゃったしな? ヘレンもお戻り遊ばせと本気で言ってたし。



とにかく! 


とにかく、今、私にできることは、ただ一つだった。



メアリとアンは、濡れた服を脱がせ、お湯の用意をしなくてはならない。バタバタと走り回っている。



「すぐにディーを呼んで!」


私は鉛筆で、走り書きのメモを大急ぎで書いて、出入りの商人の小僧に小銭を握らせ、姉のところに走らせた。


『敵、来たる。ディーの応援頼む』


そしてそのままイライラ、ドキドキ、ウロウロしながら援軍を待った。


「とても一人じゃ、この事態に対応できないわ……」


いくら姉の家が近くて、ヘレン嬢の着替えとお風呂に時間がかかると言っても、ディーが支度をして駆けつけるのには時間がかかる。ディーは間に合うかしら?


玄関のドアが開く音と女性のひそひそ声が聞こえた時は、心底ほっとした。


「やっときてくれた」


さすがはディー。仕事が早い。


だが、思わぬ付属物が付いてきた。


姉本人である。


「え?」


「侍女のディアンナです」


「同じく侍女のアマンダです」


姉が胸を張って自己紹介してきた。


すっかり侍女の格好に変身している。


ただし、態度だけは納得いかない。すごくエラソーな侍女なんだけど?


貴族の令夫人のくせに、侍女のディーに負けるとも劣らないその機動力はどこからくるの?



「……子どもたちはどうしたのですか?」


「エドワードとラルフは田舎の家に遊びに行っているの。夏休みだから」


「エドワード様とラルフ様は、夏休みで祖父母のお屋敷に行っておられます」


デイアンナが姉に向かって侍女らしい口の利き方を伝授した。


「後から執事見習いのハリーも来るから。男手がいるかもわからないし」


さすが姉。手配に抜かりがない。



そして、ヘレンのいる客間の隣の部屋には、ちゃっかり姉とディーが居座っていた。


「ありがとう。服を借りるわ。あ、そっちの方がいいわ。気が利かないわね、侍女のくせに」


隣の部屋からヘレンの声がした。アンに向かって言っているらしい。


アンの激怒っぷりが予想できるだけに怖い。


(いきなりやってきて、厚かましいこと、この上ないわ)


私も思わず、ムカッとした。


しかし、横では機械のように正確で冷静な二人が準備に余念がなかった。


「音声、オッケーです。よく聞こえます」


ディーが姉に報告した。


「これで心置きなく隣室の音が聞けるわ」


姉は満足そうだった。



姉たちが着いて、何の準備だか知らないが準備を整えて、そして、ヘレンも勝手に人の家の風呂を使い、私の服を着込んで、まるで自分の家にでもいるような調子でくつろいでいるらしかった。


この有様では、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。

ここは他人の家なんだけど、勝手にくつろぐって、どう言う神経なのかしら。

人間を逸脱しているんじゃないかしら。

そんなのと話をするのなんか、超怖いんですけど?


だが姉とディーがしきりと合図するので、相当ためらったが、私は仕方なくヘレン嬢のいる客間のドアを開けた。


ヘレン嬢は帰ってくださるかしら?


案の定、お礼を言いながらも彼女は居残りに全身全魂を傾けた。


「こんなに親切にして下さったファーラー様に、是非、直接お礼を言いたいですわ」


「旦那様が手紙でたくさんだと言っていますの」


「たくさんだなんて……そんな言い方はないんじゃありません?」


「十分だと本人が申しおりますの。お気になさらず」


「これを気にしないだなんて、まるで人の心をお持ちではないようですわ。誠心誠意お礼を申しあげたいのです」


「また会う機会もありましょうから」


「もう数時間でお戻りになりますでしょ? しばらくだけでも、話し相手になってくださいませ」


一体何の話をするつもりなのかしら。

私は、帰っていただくための方策を必死で考えた。


「あいにく約束が入っていますのよ!」


私は少々大きな声で(隣室の姉に聞こえるように)そう言った。

助けて! お姉さま。


「どなたとですか?」


全然信用してくれないわ。言い訳だと思われたらしい。


「……ディアンナ嬢と言う方ですの! 遠縁にあたりますのよ!」


ヘレン嬢はもしかすると姉のことは知っているかもしれなかった。姉を出すわけにはいかない。でも、ディアンナのことは、全然知らないだろう。


私のドレスをディアンナに着せて、瓶底メガネを取り上げて、応接間へ来てもらえばいいのだ。


隣の部屋でガタガタ物音がしていた。姉も手伝っているに違いない。現在は、役者が不足しているのである。


ものの五分もすると、ノックの音がした。


さすが姉。さすがディー。


「奥様。ディアンナ嬢がお見えです」


落ち着いた声が響いた。姉のアマンダの声だ。そしてディアンナが入って来た。



ディアンナは、瓶底メガネを取ると、意外なことになかなかどうして可愛い顔の持ち主だった。ドレスもよく似合う。本人用のサイズではないので、所々でピンで止めてあるけれど。



「ごきげんよう。シャーロット。お久しぶりね。まあ、その方はどなた?」


彼女は堂々とあいさつした。

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