第19話 氷

 これは私がまだ、我が君の北の離れで暮らしていた頃の話だ。


 春から夏、夏から秋、秋から冬、冬から春……季節の変わり目には、私の身体の中で嵐が吹き荒れて、熱を出す。

 季節の変わり目だけではない。

 春夏秋冬、季節のまんなかで身体の調子を悪くすることもしばしばだ。

 つまりは始終、病に憑かれている。

 今年は春から夏にかけて、調子を崩すことなくやりすごせた……と安堵した夏の日、私は熱を出した。

 季節の変わり目に体調が崩れなかったと油断して、我が君が閲覧を許してくださったこの国の紀を読むことに夢中になって、夜更かしが過ぎていたのが良くなかったらしい。

 悪寒が酷い。

 喉が焼けるように痛んで食べ物が喉を通らない。

 早く病を退けるのには、れたたまを憑けるため、精のつくものを食べねばならないというのに。

 手足の先まで熱っぽく、重怠く、起き上がるだけで精一杯だ。

 いつもの風邪を引いたのだ、どんなに酷くはあっても、この嵐のようにつらいのは三日で、あとはずるずる半月養生すればよい、そう気を強く持っていても心細くもなる。

 もちろんいつもよりもたくさん、本邸の奴婢ぬひが遣わされて私の世話を焼いてくれる。

 それはとても有り難いのだが、彼らは私とはあまり話をしない。

「まあ、これでもいちおう大王おおきみの血筋らしいから」

 我が君はたいへん厳しい方で、奴婢と親しくされることは決してない。

 働きへの目配せは怠らず、罪があれば厳しく詮議し、罰を与え、功なり献身著しい者へは報奨を下されることもあって、理不尽な方ではないのだが、それはそれ。

 下々の者にとってはあまり親しみを覚えるお人柄ではないことから、その遠縁である私に対する態度も粗相があってはいけないと、同じようにしているのだろう。

 私自身は、もうすこし親しく話をしたいと思っているのだが、声を掛けると怯えてしまい、どうにもやりづらい。

 結局、そのあたりのことをわきまえつつ親しく接してくれる履柄守くつつかのもり子虫こむしだけが私の話相手だった。

 ふたりとも気安いとはいえ、仕事が忙しく、たまに近隣の村のことを相談しにこの北の離れにやってくるほかは、ほんとうに手が空いたときに覗きに来るだけだった。

 たしか、今日は夏至の祀りごとがあったはずなので、彼らに余裕があるはずもない。

 私はこうやって熱を出していても、ひとりで悶々としているほかはないのだった。


「よろしいですか」

 夕刻、本邸から子虫がやってきた。

 大仰な高坏たかつきに椀を載せ、こちらへ押しやる。

「今日の夏のはらえに大物主神おおものぬしのかみに奉った御饌みけ、三輪の山より取り寄せた葛粉を、神事のあと、葛湯にしてみなでいただいたのです。それで、北の対屋にも持って行くようにと大殿さまが」

「ありがとう。いつもの障りで大切な神事に加われませんでしたが、ご配慮、感謝しております、と伝えてください」

 私がよほどつらそうにしていたせいだろう、子虫はずいぶん心配げな顔をしていた。それでも「これからもうすこし仕事がありますので」と済まなそうに立ち去った。よほど仕事が溜まっているのだろう。

 椀には、甘葛あまづらで味付けされた葛湯が盛られていた。

 喉越しを良くするために氷室から取り寄せた氷が浮いている。

 実のところ、この葛湯は我が君の指図で持ってきたのではないだろう、そう邪推していた。私のことを心配した子虫が、くりやに言ってあまりを持ってきたのだろう、と。

 ――都祁つげにある氷室を開け、そのなかのものを差配できるのは、我が君だけ。

 匙で掬って口に含むと、ひんやりとしたとろみと甘みで生き返るここちがした。

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