コーラがいっちばん美味い

 日本からの救助は唐突にやってきた。


「烏部牙太さんですね? 失礼ですが指紋、DNA、歯形などを鑑定させて頂きます」

「え、あ、はい」


 相手は場違いな黒スーツ姿の男たちだったのだが、最初に感じたのは喜びや安堵より、ただの戸惑いだった。

 牙太は地球から誰かがやってくるとは思っていなかったし、死ぬまで天球世界で生活する覚悟を決めてしまっていたからだ。

 そうでなければ、人を殺め続けてまで生活したりはしない。


「検疫を含めてチェックが完了しました。明日、烏部牙太さんは天球から地球へ帰還することになります」

「わ、わかりました」


 牙太は急いで傭兵長としての仕事の引き継ぎをした。

 元々、自分が死んでも何とかなるように後続を育てたりしていたので、そこはスムーズだった。

 ここにやってきた当初は殴り合うような間柄だった仲間たちは、今では別れを惜しんでくれている。

 特に懐いていた獣人少女が泣き出してしまうくらいだ。

 ブラッドウォール辺境伯領は地獄だったが、今だけはそれなりに感慨深い。

 牙太は魔術とも、科学とも判断ができないような装置で生み出された渦に入り、三年ぶりの地球へと帰還に成功した。




 ***




「帰還者五号、烏部牙太さん。無事の帰還、おめでとうございます」

「あ、はい。ありがとうございます」


 政府の研究者や要人に拍手で出迎えられた。

 近代的な装置などが並ぶ、地球の建物だ。

 まだ実感が湧かず、幻覚や、地球の建物っぽいだけの偽物だという懸念すら浮かんでしまう。


「何か欲しいものはありますか?」

「えっと……欲しいもの……」


 牙太はすぐに浮かんだ。

 異世界生活で苦労したのは飲食物だった。

 王都の食事はバリエーション豊富だったのだが、辺境ではろくなものがなかった。

 それでも食べ物は何とか我慢できたのだが、傭兵は基本的に酒を飲んで過ごす。

 酒を飲まない牙太は、それを眺めているだけだった。

 仲間たちが飲んでいるシュワシュワのエールを見て、地球で好きだった清涼飲料水を思い出して辛くなることが多々あったのだ。

 黒く、刺激的な炭酸で、甘く爽快な飲み物――


「……コーラが飲みたいです」

「それならすぐ用意できます。銘柄は通路の自販機にあるものなので選べませんが」

「な、なんでも好きです! コーラなら!」


 牙太は息が止まりそうになるほどに目を見開き、それを求める両手は大きく震えてしまっていた。

 もう二度と飲めないと思っていたはずのコーラが、自動販売機で手軽に手に入るのだ。


「どうぞ、コップに注ぎ――あっ」

「そのままでいいです!!」


 牙太はコーラを奪ってしまった。

 冷静ではいられない。

 円柱形の赤い缶がどれほど魅力的に見えただろうか。

 今ならコーラのために人を殺すことだってできてしまうくらいだ。

 手にはアルミの堅さと、ほどよく冷えた感触。

 焦る気持ちでプルタブを起こそうとするが、長らくやっていない動作なのでカツカツと戦場で欠けた爪先が空を切る。

 数度それを繰り返し、ようやく開けることができた。

 プシッ……シュワァァァ……という炭酸特有の音が耳に響いて脳を震わせる。


「あ、ああぁぁああ……」


 コーラの匂いがした。

 普段なら気にも留めないくらいの要素である、コーラの匂い。

 今はそれだけでも感動してしまう。

 震える手でコーラを飲んだ。

 正確にはビシャビシャと顔にかけて口に流し込んで、浴びるような形になったので盛大にこぼれていた。


「三年ぶりのコーラ、本当にコーラだコーラだコーラコーラコーラ!!!!」


 暴力的なまでの炭酸、甘さ、香料が牙太を壊していく。

 涙が止まらない。

 ここはたしかに地球なのだ。




 それからピザを食べてアニメを見てハンバーガーを食べてゲームをしてラーメンを食べて漫画を読んで天ぷらを食べてラノベを読んだ。

 羅列するのもおこがましい、非常に怠惰な生活だ。

 建物から出してもらえないというのもあるが、オタクの感覚を取り戻すという心地よさもあって問題ない。

 一応、牙太はマジメに政府に協力もしていた。

 異世界での情報を出来る限り正確に伝え、自らのスキルも見せた。

 それを知って驚くかと思ったが、どうやら確認の意味が強かったようだ。


(もしかして……すでに天球世界と接触していた?)


 そう考えると牙太を帰還させるタイミングがかなり遅いような気もするが、一般人である牙太は優先度が低かったのかもしれない。

 それに機密や高度な政治的やり取りなどもあるのだろう。

 恨み言を伝えるつもりはない。

 外に出ることができないのを除けば快適な生活だ。

 異世界のことを書かないように検閲されるが、ネットも許可されている。

 それを使って久々にYotubeを開いてみた。

 オススメ一覧に出てきたのは、神凪ナル関連だった。

 嫌な思い出が蘇って『うっ』となってしまったが、そこに並ぶ文字列に目を奪われた。


「神凪ナル、引退……?」


 どうやらまとめ系の切り抜き動画によると、神凪ナルはあの事故放送のあとから姿を見せなくなったらしい。

 牙太は複雑な感情になった。

 たしかにガチ恋していた神凪ナルに恋人がいたのはショックだったが、引退してほしいとは思っていなかった。

 自らの人生を救うキッカケとなってくれた恩は忘れていない。

 もちろん、それでVTuberや女性関係に抵抗を持つことになったのは確かだが。

 当時の日付辺りをネットで検索してみたが、男性被害者の殺人事件や、被害者がいないガス爆発などしかめぼしいものはない。


「VTuber……特に神凪ナルは〝魂〟がわからなかったからな……。あのあとどうなったか調べるのも無理か……」


 魂とは、ようするに中の人である。

 三次元の存在である牙太と、VTuberという二次元のペルソナをかぶっている神凪ナルは、文字通りに次元が違う存在なのだ。


「もうこんな思いをするくらいならVTuberなんて……」


 牙太はYotubeのサイトを閉じようとした……のだが、よく見ていた大手事務所からデビューする新人の放送がやっているのを見つけて、ついクリックしてしまった。


「VTuberなんて……VTuberなんて……。おっ、動く2Dがすごい進化してる! イラストレーターさんの絵そのまま再現できてるじゃん! へぇ~! 今はこんなところも連動して、しかも角度もすごい付けられるのか! 可愛いペットもセットになって動いてる! デビュー配信から凝った作りだな~……これは刮目してしまう……」


 オタク特有の早口だ。

 それを見終えたあと、この三年間で見逃していた配信を次々と見ていくことになる。


「この事務所、メンバーすっごい増えてるな! こっちは新しいところか~。あ、この個人勢さんやっぱり伸びたんだ! というかVTuberの人口増加やべぇな……登録者数が少なくてもすげぇスペックしてるのが多い……恐ろしい業界だ……」


 そして、VTuberたちが集まる3Dライブも行われていた。


「うおおおお! 会場モニターが超デカい! 三十人以上が同時に踊っている!? ドット感もない……しかもどこから見ても平面に見えない……トラッキング滑らか……。ダンスと歌のクオリティもプロのレッスンが入っているなこりゃ……三年で技術の進歩がすげぇ! すげぇよ! でも――……」


 そこで牙太はふと気付いてしまった。

 本来ならここに神凪ナルが立っているはずだったのだ。


「やっぱいいや……」


 牙太はYotubeの画面を閉じた。

 もう彼女はいないのだ。

 VTuberは二度と見ないと決めた。

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