*3* 青葉時雨

「木もれ陽、木の葉……おまえはもしや、あおばですか? ともにいくさ場を駆け抜けた、青葉時雨あおばしぐれですか……!?」


「あぁそうさ! こんなすがたになってしまったけど、俺もかつては刀だった……あなたの弟、青葉なんだ!」


 一変して、歓喜に潤む常磐ときわ色の瞳。

 肩口にうずめられる顔を、熱い抱擁を、拒否などできるはずもなかった。


「あるじさまは? わたしたちのあるじさまは、どうなされたの?」


「……知らない」


「知らない……?」


あねさまとも、あるじとも離ればなれになってから、なにも知らない。刀の俺は、折れてしまったから」


「なんてこと……」


 刀にとって『折れる』とは、人でいう死に相当する。


「でも、付喪神としての記憶と魂までは消滅しなかった。輪廻りんねの果てに、人の身に生まれ変わったんだ」


「そうだったのですね……わたしがいなかった間、たいへんな思いをしてきたことでしょう」


 そっと伸ばした手で、ほほをつつみ込む。

 青葉の顔には、すり傷や打撲の痕があった。

 蔵での騒動で、こさえたものだろう。


「ううん、こんなのどうってことない。姉さまがすべて。俺には姉さまがいてくれたら、それでいいんだ」


「青葉……!」


 なんと一途で、健気な子だろうか。

 感極まった鼓御前つづみごぜんは、両腕を伸ばし、弟の頭をかかえ込むように胸へ引き寄せる。


「いいこ、いいこ……」


 そうして細い指先で黒髪を梳いているうちに、青葉も甘えるような声をもらす。


「ねぇ、姉さま」


「なんですか?」


「よりしろ──縁代よりしろ葵葉あおば。それが、いまの俺の名前。ちゃんと覚えて……ね?」


 縁代葵葉。

 ゆるく弧を描いた唇につられ、鼓御前も、その名をそっと舌先で転がす。

 とたん目には見えない、けれど糸のような『なにか』が、たちまちに自分と彼をつなぐ感覚にみまわれる。


「なんということを!」


 ぼうっと浮いたような夢見心地の意識を、少女の金切り声が引き裂いた。

 はっとしてふり返ったなら、縁側にたたずんだひなが、赤と青にめまぐるしく顔色を変えている。


「あなた、神社の者が奥の間にとじ込めたはずなのに、どうやって抜け出して……いえ、それより、御刀おかたなさまに名を明かすだなんて! 命知らずにもほどがあります!」


「知ってるさ。神に真名まなをにぎられることのリスクくらい」


 なんたって俺も、神だったんだからな──青葉、いや葵葉の言葉は、そう続いたはずだ。


「で、それが? おまえらとなんの関係がある?」


 けれど、ひなを一瞥いちべつした常磐色の瞳は冷たい。鼓御前に向けられたまなざしとは、まるで別物だった。


「俺の姉さまだ。俺たちの邪魔はゆるさない」


 そうだった。『青葉時雨』は、並の武者ならほとんどが扱いづらさを感じ、あるじを選ぶ刀だったと、鼓御前は思い出すとともに苦笑する。


「なんですって……御刀さまの、弟?」


「えぇ。話すと長くなるのですが、この子はわたしの弟で間違いありませんよ、ひなさん」


 手負いの獣のごとくひなを威嚇するので、背をさすってなだめてやれば、葵葉がふと胸に抱く鼓御前を見上げた。


「姉さまはなんで慌てていたんだ? こいつから逃げていたのか? ……なにされたんだ?」


 最後に発されたひと言の、低いこと低いこと。

 葵葉が怒っている。そりゃもう、ものすごく。

 逃げ出したのは自分なので、悪いのも自分のはず、と鼓御前は解釈する。


「ひなさんは、わたしをお風呂に入れてくれようとしたのですが、わたしが、その……」


 もにょもにょ……と、消え入りそうになりながら自白したのだが、般若の形相だった葵葉は、どうしてか、ぱっと笑顔をはじけさせるではないか。


「なんだ、そういうことか。姉さまはお転婆だなぁ。心配しなくても、風呂に入ったくらいで錆びたりしないよ」


「そうなのですか……!?」


「そうだよ。だっていまは、人のすがただろ?」


「うー……!」


 それはわかる。たしかにそうではあるのだが、顕現けんげんして間もない鼓御前の意識は、やはり刀のまま。

 渋る姉を見かねて、葵葉はこう提案する。


「こわいなら、俺が風呂に入れてあげようか」


「ほんとうですか?」


「もちろん。姉さまもそのほうが安心だろ?」


「はい、葵葉におまかせします!」


 葵葉はおなじ刀であったし、『人』としての先輩でもある。この子ほど、自分の心情を察してくれる存在もないだろう。

 要するに、鼓御前は安心しきっていた。なにもかもを委ねるほど、葵葉を信頼していた。


「そういうわけだ。姉さまの着替えを用意しておけ」


「あなたに指図されるいわれはありませんが!?」


「姉さまは俺をえらんだ。『御刀さまに背くべからず』──わかったら、俺がやることに口出しはするな」


 にべもない。

 ひなに有無を言わさないまま、葵葉はもう一度その胸に姉を抱き直し、沓脱石くつぬぎいしに草履を脱ぎ捨てた。

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