第45話 撃癒師と枯れた侯爵

 五階建ての丸い屋根をもつ外国風建築のそこは、左右に鳥が羽を広げたような外観をしている。


 正確には正方形の中身をくり抜いた建築方式になっていて、真ん中には大きな池と風光明媚な人工の中庭が建造され、貴族社会の威厳や華やかさといったものを演出していた。


 ここでは貴族に関係する行政事務のほとんどを、建物なかで終わらせることができる。


 例えば結婚や葬式、細やかな遺産相続や福祉、裁判から法案の策定に至るまで、さまざまな司法機関が揃っているのだ。


 逆を言えば、ここで終わらない手続きはほとんどない、とも言える。

 あくまで貴族に関してのみなので、平民や外国籍の人々に関しては、別途、いろいろな場所……役場や福祉事務所や各県庁などを回ってもらうこともある。


 これほどに、貴族とは優遇された存在なのだ。

 多くの貴族はこの特権をよろこんで受けいれるが、中には重荷と感じる者もいる。

 カール・アルダセンもそのうちの一人だった。


「はあ……サティナの戸籍を僕に移して、ローゼを奴隷籍から元の国民籍へと戻して、えーと」


 あれ? とカールはふと目をやったその書類に、かすかな疑問を感じた。

 ローゼの戸籍謄本だ。そこには数代前から続く家系図が引かれており、入り組んだ中には「マリオッド貴爵」とある。


 貴爵とはカールのように一代限りの爵位ではなく、かつてこの国が帝国から王国に変わった時期に、王国に反旗を翻して辺境へと追放された貴族のことだ。


 爵位はなく、そんな存在をまとめて貴爵と呼んでいる。

 あまりいい意味ではく、侮蔑を含んだ言葉で口にすることははばかられている。


「へえ。ということは、ローゼも貴族ではあったんだ」


 生まれたときから辺境で苦労して来たと言っていたから、本人はこのことを知らないのかもしれない。


 知っていても、貴爵位では大した贅沢はできなかっただろう。北の極寒の土地にほとんどが追いやられ、開拓民としてその多くが凍死したと聞く。


 彼女がもし先祖の無念を知っていたら、ダレネ侯爵の愛人になれたことに悦びを感じただろうな、とカールは思った。


 侯爵……それは、王族関係者以外で、平民が成り上がれる貴族の最高位だからだ。

 特別な天上人の存在に、強烈な魅力を感じてしまうのは、決して責められないことだ


「貴爵……侯爵。あれ?」


 そして、もう一つ湧き上がる疑念。あの土地、タータム伯爵が管理しているあの土地の主と自ら語ったダレネ侯爵だが、そんな者は王国貴族にはいなかった。


「貴爵ならあり得るかもしれない」


 カールはひとつの可能性を胸に仕舞いこむ。

 いまここで考えることではないからだ。その前にあの二人を自分の籍に――既にサティナは入っているがそれでも、正式に妻としたわけでない。


 カールは一代限りとはいえ、男爵位。爵位を持つ者が妻を娶り、貴族としてその籍に入るときには、必ず相手も貴族の娘でなければならないという、伝統と格式のある王国の法律はそう決めているのだ。


 それを飛び越えないと、彼女たちを妻として迎えると言った言葉が嘘になってしまう。


「侯爵閣下、ちゃんと聞き入れてくれるかなあ」


 カールがこれから赴く場所は、北を正面に向いて西側。

 右手側にある、人事院と呼ばれる場所だった。


「宮廷撃癒師、カール・アルダセン。宮廷治癒師長、ボルドネン侯爵麾下です」


 と告げると、奥の部屋に通された。

 ボルドネンは宮廷治癒師の最高位だから、宮廷ではなく、人事を司るこの人事院で宮廷治癒師に関するさまざまな人事や法令の整備、統括を行っているのである。


 五十代半ば。

 黒髪に灰色の瞳をした小柄な男性は、六十代にも見えた。


 初老といっていいほど老けて見え、足腰や背筋も伸びていない。

 その手に杖をついていないのが、不思議な程だった。


「閣下。ただいま戻りました」

「ん」


 そう挨拶をすると、長方形になっている部屋の真ん中、縦に長いテーブルと数脚の椅子があるそれに、座れ、と指先で示される。


 侯爵が最奥に腰かけたのを見て、カールはそれでは、と一度礼をしてから、端の方へと腰を下ろした。


「タータムのやつはどうだった?」

「いろいろと無理がたたったのか、と。あの方は美食家としても有名ですので」

「ふん、自分の欲の為に病気になったか。愚かな奴め。……ご苦労だった」

「ありがとうございます。こちらは報告書の正本です」


 カールは旅の途中、途中で報告書をしたため、魔導具で上司に報告していた。

 あのドラゴン騒動も、ダレネ侯爵のことも、二人の女性と妻とする約束をしたことも、ブラックファイアのことも報告済みだ。


 絶対領域と、ドラエナのことは上司にも伏せておいた。

 こればかりは神様からの依頼。さすがに表に出すわけにはいかない。

 出したら最後、二度とまともな生活に戻れないことは明白だった。


「要らん。もう読んでおる。一度目を通したら忘れることはない。まだ老いぼれてはおらんよ、アルダセン男爵」

「いえ、そんなつもりでは」

「冗談だ。あとからわしにもその撃癒をかけてくれ。これでは窮屈すぎていかん」

「それなら今すぐにでも」


 上司はこう見えて気が短い。

 早々に依頼をこなさなけれなければ、今度はどこに飛ばされるか分からないのだ。

 気分次第で目に付いた誰かに今手にしている面倒くさい仕事を押し付けることで、ボルドネン侯爵は有名な人物だった。


 急いで席を立ち、彼に駆け寄るとカールはさっさと撃癒を施してやる。

 すると、驚きの光景がその場に展開された。


 さっきまでしわくちゃの老人だった彼は、いまでは背筋をぴしっと伸ばし、顔は艶と彩を取り戻した上に、身長も二十センチは伸びていた。

 枯れ木だった全身は分厚い鋼のような筋肉に覆われ、まるで別人のようになっていた。


「ん。ご苦労」

「変わらずですね、王女様の御病気はそれほどに悪いのですか」


 悪い、と四十代の本来の姿に戻ったボルドネン侯爵は、鋭い三白眼を光らせてそう言った。


 王国の次期正統後継者と目されている第四王女はまだ四歳と幼いが、生命力の源、魔素が時間とともに抜けていく、という奇病に冒されている。


 それは呪いであり、カールの撃癒をもってしても彼女にもともと備わっている正確な設計図に異常がある以上、打つ手がなかった。


「わしが魔素を供給している間は、どうにかなるだろうな。しかし、それもあと十年が限界だ。撃癒でも癒せない奇病など、聞いたことがない」

「師匠が存命だったらどうにかなったかもですが」

「あれも全てを伝えるまえに死んでしまったからな。奇跡を奇跡ではなく、誰もが使える技にすることが、おまえの代の課題だな」

「はい。そのように致します」

「ところで、ダレネ侯爵とその一味だが……この旅で妻を二人とは大した出世だな、カール?」

「……恐れ入ります」


 ついで、とばかりにカールはローゼの赦免を願い出る書類を渡した。

 カールがその全てにおいて責任を持つから、自分の妻として『監視』することを文章にしたものだ。


 

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