第33話 撃癒師、巨悪を知る

ヌメヌメとしたその瞳が細く見開かれる。


「残していった魔石は役に立ったでしょう? まさかあれを二つに割られるとは思いませんでしたが」

「? どこかで見ていたようなこと言いますね」


 ワニは短い手で上を指して言った。


「赤い月の光が届くところであればどこでも」

「……まさかとは思うけど。その光が届かなかったから封印を解けなかった?」

「これは御明察。予言というわけではないのですが、あの侯爵とはこれからも何かにつけてあなた達は関わり合うことになるでしょう。時には味方、時には敵。もしかすれば最高の相棒となるかもしれない」


 背筋がざわりとした。

 予言ではなく、これは神託だ。


 神殿で聖女様が神から受託する時の雰囲気、そのままに。

 ワニはわざとらしく、大袈裟なそぶりで両手を広げて見せた。


「本当に嬉しくない。化け物みたいな侯爵と渡り合うなんて、想像することすら恐ろしいよ」

「まあまあ、そう硬くならず。カール殿、いや撃癒を極めた稀有な治癒師殿。あなたの活躍に神々が注目しております」

「はあ? どうしても僕なんかに……この王国には幾つかの神から選ばれた聖女様たちや、勇者たち、賢者だっているじゃないか」


 無意識のうちにカールが拳を固めた。

 これは夢だ。

 ならば気に食わないことがあれば自分の意思で打破できるに違いない。

 そう思ったからだ。


 ドラエナは両手を前に出し、まあまあと宥めてくる。

 それが気に食わず、カールは試しにとばかりに拳を振ってみた。

 だが、空間は何の変化も起こさない。


 少しばかりの魔力では、ここの壁は打ち崩せそうになかった。



「そんなに怒らないでください。私は本当にあなたに感謝をしているのです」

「夢の中で拉致するような真似をして?」

「夢の中は全ての時間と空間を超えることができる数少ない場所です。だからこそあなたをお招きした。ついでにここは誰も干渉できない。私とあなた。あともう一人、いえ一柱と言いますか」


 一柱、ときた。

 つまり、ワニの主と彼が語った女神リシェスのことだろう。


 神が見ている前で不謹慎な言動は慎むべきだ。

 魔王を相手にするよりも、時としてタチが悪いのだから。


「分かりましたよ、伺いましょう。その感謝と予言というものを。あまり込み入った内容を話されても多分起きた時覚えてないですよ?」

「感謝いたします、撃癒師殿。まずは我が主、赤の月の女神リシェスより感謝の言葉がございます。『我が眷属を救ってくれたことに最大の感謝を』と」

「僕は大したことやってないけど」

「続いて我が主より、これからの展望といたしましていくつかの提案がございます」

「提案? 未来が見えているように当たるんですね」

「女神リシェスは戦いの女神、炎を司り、光を配下に置く。つまり少しばかりの未来を見渡すこともできますので。それはさておき、運命の道を戻る事が可能です。新しく冒険の道を始めることも可能です。このまま彼女たちとともに平穏無事に全て終わらせることも可能です。どれを選びますか?」


 戻るか始めるかそれとも続けるか。

 戻るという選択肢があると思わなかった。


 カールはちょっと首をかしげる。

 それはつまり過去を変えるということだろうか?


「戻ることを選択した場合?」

「あなた様が街で受けられたイゼアを治癒する依頼の瞬間までなら、戻して差し上げることが可能です」


 ああ、つまり。

 僕は妻と出会えなくなるのか。

 それは嫌だな。ドラゴンとは二度と相まみえたくないし。


「平穏無事に全てを終わらせることができる?」

「可能ですがいくつかの大事な物を失います。今は大事なものではなくても、失った後にあなたは心に大きな傷を負うでしょう。そして、二人の妻以外と誰とも交流を持たなくなる。子供を得ることもできるし今以上の出世も可能ですが、死んだ後に大きく後悔するでしょう。救いを求める者に手を差し伸べてやらなかったことを。あなたは心の優しい人だ」


 僕の逃げ場をゆっくりと封じるような物言いをする。

 つまりこの未来において僕はまた拳を握らなければいけないのだろう。

 彼女たちを困らせることがないといいな。


「新しく冒険の道を歩む?」

「それを選択された場合、私がなぜあの魔石に封じ込められていたかを聞いていただく必要が、ございます」

「全部の選択肢を選ばなかった場合は?」

「それは……これでもかみなみがあなたのために厳選したより良い未来のための提案なのですが?」

「神様たちは神様たちで好きにやってくれたらいいじゃないですか。生きている間は僕には僕の人生を選ぶ権利があると思うんですけど?」

「……さもありなん。それは間違いなく正解でございます」

「じゃあ僕はそれを選びたい」


 と、カールは両手を広げてそう言った。

 誰かの掌の上で弄ばれるなんてまっぴらごめんだ。

 これから僕にはあの二人の人生を背負って生きていく、そんな未来があるというのに。

 これ以上に困難が巻き込んでくるなんてやってられないね。


「そうなりますとやはり、私が封印された原因をお知らせすることになりますね」


 ワニはいかにも残念そうに首を振ってため息を漏らした。

 なんでそうなるの?

 一番最善の道だって言ったじゃないか!


「何も選択しなかった場合、神々の恩恵は全てあなたに与えられることが決まっているのです。これは神が決められた選択でございますから、今更、変更も辞退も拒絶もすることができません。お分かりですね? 神の神託は……」


 そこから先は言われなくてもわかっていた。


「王命に勝る……」


 神殿で大神官がよく叫んでいるやつだ。

 そして、それを耳にするたびに、国王陛下が苦々しい顔をする、定番のあれだ。


「左様でございます」

「騙したでしょ?」

「なんのことやら?」

「どの道を選択しても、結果は同じ。そうでしょ?」

「まさかまさか。恩人を騙すような真似は致しません」


 かっかっかっと、ワニは溌溂と笑う。

 その顔には薄っぺらい作り物の笑みが張りついていた。


「もういいです……さっさと説明を」

「感謝いたします。まずあの中に入った経緯ですが、地上世界ではいま、各国で神を恐れず、自分たちが世界を裏から牛耳ろうとしている勢力が暗躍しておりまして」

「なに? 魔王たちのこと? 魔族と人の対立なんてもう何千年もずっとあったじゃないか」

「その魔王たちすらも支配しようと企む者がおりましてね」

「企みがでかすぎるって! 僕はささやかに生きる単なる宮廷治癒師だよ!」

「しかしこのラクトクラン王国を守る程度には力を持っていらっしゃる。本来ならば私が地上に遣わされた時、他の神々が選んだ勇者や聖女とともに企みを挫こうと考えていたのですが」


 失敗しましてな、と肩を竦めるワニ。

 このワニ、解体してバーベキューの肉にでもしてやろうかと思った。


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