第二章 撃癒師と黒狼と

第17話 祭りの後始末

 祭りが終わった。

 体験することも稀有な出来事だった。


 大きな帆船が宙を舞い、マストよりも巨大な魔獣とその顎が、船を包む結界を破壊しようとする。

 神話にある勇者と魔王や、伝説の魔獣討伐のような一幕だった。


 観客は体感することを強いられ、恐怖も痛みも勝利の美酒にすら酔うことも、等しく分ちあう。

 それは同じ船に乗船していたから当たり前なのだが、楽しみ方も、人それぞれだ。


 同じ食材だって均等に切ってやらないと、大きさがばらばらでは火も通りにくい。

 一気呵成に同じ鍋の中に放り込まれ、均等に煮られたのでは、火の通りがよいところと悪いところがでてくる。

 今回、それと同じことが起きた。


「宮廷魔導師ではない?」


 カールが小さく「治癒師」です、と訂正する。

 船長はほお、と言って辺り見回した。


 甲板に出てきた人々は、船の中に隠れていたそれの一部に過ぎない。

 魔力を使い果たし、疲れ果てている水夫たち。

 その疲労感は最近、味わったものだ。


「彼らも素晴らしい働きぶりでした」

「それはありがとうございます。しかし、それだけではない……」


 宙に浮き、先端から斜めに傾斜する角度で船は空に向かい逃げた。

 急加速だった。


 それを逃がすまいとヘイステス・アリゲーターが船の結界にしがみつき、引きずり込み、さらには覆いかぶさって、あの頑丈そうな顎で噛み砕こうとした。

 外観的なものは結界で守られている。


 大事なマストもぎしぎしと悲鳴を上げていたものの、どうにかもってくれたようだ。

 問題は――。


「揺られ、撹拌されて……まるでカクテルをシェイクするようにですよ。お陰で、この有り様です」

 確かにあの揺れは酷かった。

「私なんて、一度、外に放り出されたんだから!」


 イライザがカールの持つ革袋を忌々し気ににらみつける。真っ黒な尾が逆立っていた。

 どうやら怒りを示しているらしい。

 革袋の中には、ヘイステス・アリゲーターの魔石が眠っている。カールが封印したものだ。


「それ、蹴りつけていい? 丁度いい、ボール代わりになりそうだわ!」

「だっ、駄目です!」


 言われてみると、確かに。丸い革製の空気で膨らませたボールのように見えないことも無い。

 イライザがシュッシュッと勢いよく、片足で蹴る真似をした。

 しかし、それはケリーによって諫められる。


「駄目だとおっしゃっていますよ、イライザ。人の頭部ではないのですから」

「だってー……あれって戻ってくるのが楽しいのよね」

「イライザ!」

「蹴らしてくれたら、もっと気分が良くなるんだけど?」

「駄目だって」

「生意気。年下の癖に」

「関係ないでしょう……」

「ふんっ」


 なんだか空恐ろしい経験をさらりと語る黒狼の少女に、ケリーと船長、カールやサティナを含む数人は聞き流すことにした。

 関わってはいけないものを聞いた気がしたからだ。


「と、とにかく。船の中では揺れが酷すぎて! 人は宙に浮くし、壁や床に叩きつけられるし、天井まで舞い上がって、そっから落ちて怪我をした者もいた。凄まじい嵐でも、ああはいかん」


 経験したことがあるのだろう。船長は辛い過去を乗り越えてきた人間の顔をしていた。

 その表情に疲れと焦りも見えている。

 彼一人の采配では、物事が治まらない、そんな不安にも見えた。

 カールはその内心を察し、おずおずと口を開く。


「その……僕でよければお手伝い致しますが」

「本当ですか!」


 船長の顔が一気に明るくなった。

 怪我人が多いのだろう。


 船医が常駐しているはずだが、その人物の手には余るということらしい。

 人手が欲しいそんな顔をしていた。


「うちの船医では貴族様の所まで手が届かないんですよ」


 船医は女性で、平民だから貴族の男性を診れないのだという。

 ……それはないでしょう。

 カールはその嘘をあっさりと見破った。


 平民でも医者や弁護士は特別だ。

 緊急時には貴族よりも大きな権限を与えられることも多い職業の彼ら。

 こんな船の医者でも、貴族席があるのだから、応対することだってあるだろう。


「旦那様?」


 カールの複雑な胸の内を察したのか、サティナが声を掛けてきた。

 宮廷治癒師がいるのだ。貴族たちの怪我の治療をさせて、後から問題が起これば彼のせいだとして、責任逃れをしたい。


 船長の思惑は透けて見えていて、カールは自分が言い出しから仕方ないと受けたものの、第四層の貴族室へ戻るとき、ちょっと不機嫌だった。


「旦那様ってば……ねえ、カール!」

「えっ」


 初めて自分の名前を呼ばれた気がする。

 後ろを振り返ったらなんだか寂しそうな顔したサティナがいた。


「カール、さん。その――」


 成人した女性だというのに、まるで乙女のよう恥じらいながら彼女は言葉を続ける。


「あ、うん。何、サティナ……さん」

「いえ、サティナと! それで十分です。違うそうじゃない――旦那様、何があったのですか。船長との会話からずっと物憂げに耽っていらっしゃる」

「うん」


 それだけ返事してまた顔を伏せた。

 下の層に続く階段を降りてその裏側へと回り込んだら、貴族たちの船室がある。


 頬や額をどこかにぶつけたらしい。顔に真新しい傷跡をつけた、水夫がふたり入り口に立っていた。

 挨拶を交わし奥へと進んだ。

 人気のないところに来てようやく少年は顔を上げる。


「あのね。格好悪いって思わないで欲しいんだけど」

「はい」

「いま自分のことを馬鹿だなって思ってて」


 新妻はキョトンと首を傾げた。

 彼の言葉の意味がよくわからなかった。

 人のために何かをしようとしているのに、どうして自分を卑下するんだろうか。


「なぜ?」

「なんだか都合よく扱われてるなって思ったのに」

「ああ……叱り飛ばしてやりたかったですか? 自分をそんなに都合よく扱うな、と」


 カールは無言で肯いた。

 やっぱり自分の考えは当たってたんだな、とサティナは思った。

 ついでに年若い夫が人付き合いが苦手だということもよくわかった。


「そうだね。彼からしてみたら、僕は宮廷治癒師だし、その役割は当然の配分かもしれないけれど」

「……正直に依頼して欲しかった」

「うん」


 不器用だなぁこの人。

 新妻はそう思った。舐められているといえば表現は悪いが、実力はあってそれに見合った役職に就いていて。


 けれど彼はまだ若すぎて、年功序列が当たり前のこの国では生きづらいのだ、とも思った。

 十四歳という年齢には、その肩には重すぎる現実だってあるだろう。


 それを少しでも、自分が隣で背負ってあげることができるなら、素晴らしいことだ。


「カール。カールとお呼びしてもいいですか」

「それはもちろん……あなたはいずれ僕の妻になる女性ですから」

「そうだったかしら?」

「え……」

「だって、ほら」


 サティナは胸元から身分証明書を取り出す。

 それを開こうとするからカールはちょっと待って、と叫んだ。


 廊下で話する内容ではなかった。カールとサティナは一度、部屋に戻ることにする。

 二つあるベットの片方にカールが腰かけたら、サティナはその前に腰かけた。


「あんな場所で開くべきものじゃないよ」

「私は別に構いませんが」

「僕が困るの。マナー違反だって思われてしまう」


 カールはちょっと怒っていた。いきなりの新妻の行動が彼からすれば常識の範疇外だったからだ。

 だけど、とサティナは悪びれたそぶりを見せない。

 反対にその手に開いた身分証明証を押し付けてきた。


「どこにも書いてありませんよ妻なんて」

「それは後からちゃんとするから」

「本当に? きちんとしていただけますか? 私はあなたのことを旦那様とお呼びします」

「う、うん?」

「けれどそれは外に向かってのことで開けて家の中ではちゃんと、カールと呼びたい。その……あなた、とか」

「急にいきなりどうしたのさ! 君らしくないよ」


 そう言ってカールはあっと口をつぐんだ。

 君らしくない。

 そう言って断じることができるほど彼女のことを知らない。

 そこに気付いてしまった。


「私らしくないと思いますか」

「これまでの君といた時間を考えたらそんな感じがする」


 彼女が嬉しそうに微笑む。


「私も同じ気分です」

「え? つまりどういうこと」

「あなたはこういう人。そんな風に言えるほど深く知りません。けれど自分よりも周りのことを大事にして優先して他人のために尽くすことのできる人だと私は今思っています」

「そんな大したもんじゃない……僕は臆病でだから船長にだって」

「それも分かっています。彼が責任を取らなくて良いようにうまく使われたって思ってるのもわかってます」

「驚いたね。どうしてそんなことわかるの」


 サティナはちょっと困った顔した。

 それから身分証明書に記載されている自分の来歴を示した。

 その行動は多分彼が既に知っているだろうという上に立ったもので。


「読まれていますよね。私の過去。今回で四回目の結婚になります。昔の夫たちは、全員死にました。もう二十一歳のおばあちゃんです。行き遅れです」


 最後の言葉はちょっと自虐的なものだった。

 カールは慌ててフォローする。


「普通だから! 王都だったら二十歳の女性が結婚するなんて普通だから! だから……気にしなくていいよ。そりゃ、四回目って言われたら驚くけどね」

「そこですよそこ」

「どこ?」


 サティナはなんだかむくれている。

 わかってほしいのにわかってくれない。

 それでついイラッとしてしまう。そんな顔だった。


「私にはちゃんと話ができるじゃないですか」

「それは君だから。身内だから―ーかな」

「船長さんは仕事をする上で上司と部下みたいな関係じゃないんですか」

「そうかもしれない、ね」

「カールさんは普段は無口と言うか人見知りかもしれませんけど。仕事になると人が変わったようにしっかりとしていたのに」

「まだそんなに見せたつもりないんだけど」

「とにかく。普段のあなたがその若さのせいで不遇を味わうことについては、私も何かお手伝いができるのです」


 でも、とサティナはぎゅっと両手でカールの手を挟み込んだ。

 それはとっても暖かい。

 心に強さをくれる暖かさ。


「仕事の時は、あなたには強く賢くいてほしい」

「……まいったな」


 負けそうだ。その芯の強さに。

 年上の女性というものはこんなに強いのだろうか。

 それとも三人の夫と死別した過去がこの強さを与えたのだろうか。


 この人に勝てそうにない。これから先ずっと、尻を叩かれてがんばれと励まされ応援されて必死になって仕事に励む自分の姿が思い浮かんだ。

 自由を失うのが途端に強くなった。


 しかしもう遅い。

 口約束とはいえ、約束したのだから。


「不満ですか? この船の中なら捨てるなり。最悪身分を剥奪して奴隷として売られても別にいいですよ」

「そんなことしないから」

「絶対に? 絶対にあなたの方から離れないって約束できます?

「……う、うん。努力はしてみる」

「それなら私はあなたがいらないっておっしゃられるまでそばにいることにします。迷惑ですか?」


 正直言うと、かなり迷惑だ。

 押しが強い。その強さがあったらもっといい男性だって巡り会えると思うんだけど。

 ここはもういいえそんなことはない、と伝えるしかない。


「ずっといていただけるだけで僕は……嬉しいです。君の望むような男性にはなれないかもしれないけれど。それでもいいなら」

「では話は決まりです。私はそばであなたを支えますからカール。カールの気が済むまで、そばにおいてくださいね」


 正しい返事はどうすればいいんだろう。

 はっきり言って女性関係にはまるで無縁な少年は、返事に困った。

 理性がぐるぐると頭の中で回転しまともな判断を下してくれない。


 焦りが心の中に生まれてきて、背中を滑りと嫌な汗が伝っていく。

 正妻? 本妻? 側室? それとも……。


 サティナの身分証明書をゆっくりと取り上げる。

 自分の名前を指さしてカールは覚悟を決めた。


「……家族だから。僕たちも家族だから……ね?」

「ええ、そうですね!」


 大きな認識の行き違いが発生した気がする。

 これ王都に戻ってうやむやにしていたら、そのうち、後ろから刺されたりしないか?


 ちょっと前に浮気をした仲間が妻にバレて包丁を片手に追いかけ回されたと話していたことを思い出した。

 なんだかそんな未来がどこかに待っている気がする。


 この問題。

 王都に戻る三日間の間にきちんとした答えを導き出さないと、自分の一生は大きく変わる。


 カールは笑顔を取り繕いながらヒクつく頬をそっと撫でてごまかす。

 愛おしいものをなでるように彼女の手がその後を追いかけて来る。


「私のカール。それでは役目を果たしてきてください」

「は、はい。……行ってきます」


 励まされて鼓舞されて、部屋から叩き出された。

 この人生、大丈夫なんだろうか。

 一抹の不安を抱えながらカールは船医の元を訪れた。

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