第12話 撃癒師と河の脅威

 時刻は昼過ぎ。

 秋の日差しが最も強くなるその時間帯は、水上とて例外ではない。


 甲板にでて川面を撫でる涼しさを帯びた風を身に受けようと、みんなが船上に姿を見せている。

 そんな中に調理場とは別に店を甲板に広げる、幾つかの店が、屋台を出していた。


「何食べる」

「チェットを。それと豚肉を焼いたものが美味しいですよ」

「チェット、か」


 丸く平べったいフライパンにパン生地のようなものを薄く広げふっくらと焼き上がった所に、豚肉を細かく刻んだものや、野菜を載せて、くるくるくるっと巻いた食べ物が『チェット』


 王都で流行っているお菓子、クレープの焼肉版か、とカールは受け取り、縁に近い部分に用意されている簡易的なテーブルと椅子に腰かける。

 長椅子を二つ置き、その合間に広い板を土台付きで据えた、簡素なものだ。


 敷かれている絨毯のようなテーブルクロスも、長年使っているのだろう、随分と色あせて見えた。


「ドレープのジュースを購入して参ります」

「ああ、お金。預けておくよ」

「はい!」


 飲み物を用意してくれるというから、路銀を入れた財布を渡した。中身はそう多くない。大半は船長室の金庫の中にある。


 立ち上がったサティナを見送り、カールは視界の下に見える川面に目をやった。


「……精霊、か」


 続いて上を見上げる。マストに張られた帆は、確かに風の精霊である緑の乙女たちが軽やかに待っている。


 カールは精霊使いではないが、撃癒を極めたことにより、気力を使って世界の根幹にアクセスできる。


 そのために、さまざまな種族を見分けることができのだ。

 船の外壁にある紋様魔法が水をはじき、船を浮かせているらしい。

 ぼうっと水面に映る緑色に発光した紋様を眺めて、これもなかなかの技術だ。と感心した。


 目を甲板へと戻す。サティナは出店の一つから、小ぶりな紙製のコップに入ったジュースを二つ購入していた。


「あれ、おーい。誰がそんなに食べるの……?」


 山鳥の串焼き、火トカゲの胸肉の香草炒め、木のどんぶりに入った麺を香辛料たっぷりの調味利用で絡めた冷静麵。それに丸く細い揚げパンを数本。

 彼女があちこちの店を梯子して、あっという間にテーブルの上には御馳走が詰めて並べられた。


「まだ足りませんか?」


 元気よく、彼女は溌溂とした笑顔で訊いてくる。

 どうしてこんなに集めたのか、と疑問だった。


「パンは日持ちがします。香辛料が効いていますから、炒め物は保存食にもなります。川の上ではまともな食事にありつけるとは、限らない……違います?」

「ま、普通はそうだけど。ここはそうならないように、食糧を予め調達しているだろうし」

「えっ、じぁあ、これ全部――」


 と、彼女は自分の想い違いに気づいたらしい。途端に悲しそうな顔つきをする。

 いいよ、大丈夫だ。とカールは落ち着きを含んで、串焼きを手に取った。


「僕もまだまだ足りないし、食べきることはあれでも、容器を貰ったら夜食代わりにはなる。ありがとう」

「いえ、そんな。至らないことばかりで、先走りしました」


 肩を竦めて萎縮する彼女に、カールはうーん、と不満を漏らした。

 あまり気負うことはないよ、と言ってやりたい。宮廷魔導師の兄弟子たちなら、女性の扱いにもこなれている。


 さぞ、気の利いたセリフを言えたに違いない。

 だが生憎とカールにはその方面の経験が足らない。


 女の従者を連れて旅をしたことがあるから、あくまで雇い主としての主観でしか彼女を見れなかった。

 これはまずいと思い、友人や知人、恋人……いや、違う。もはや、家族だ。


 独立するまで数人いた師と同門の仲間たちと、もしくはそれ以上の扱いを心がけなくては。


「あのね。食事をしながら聞いて欲しいんだけど」

「はい」


 自分のことを少し話してみようかと思った。


「僕ってさっきのさ。切符売り場の時もそうだけど、人と話すのが……ね?」


 ちょっと微妙な顔して彼女の反応を待つ。

 それについては思うところもあったのか、サティナも串焼きの油でべとついた指先を布で拭きながら、首を傾げた。


「……正直に申し上げてよろしいですか」

「いいよ」


 ちょっと返事を聞くのが怖い。

 否定されるかもと思うと、身が硬くなる。

 だが、違った。


「治療を。つまりお仕事をなされている時の旦那様はとても力強く、頼りがいのある感じでした」

「うん」

「ですがそれ以外の場所では、年相応で良いのではないかと」

「でも、君も見たように、僕は男らしくないよ。毅然としてない。君のように凛とした喋り方もできない」


 そうでしょうか、とサティナは空の一角を見た。

 真剣な顔つきだった。


「誰にも得意不得意は存在致します。お仕事に対して真剣に向き合う旦那様が私は良いと思います。それが人の心というのは立場とやることによっても変わると言いますし」


 思ったよりも彼女は饒舌だ。

 溜めていたことを全部吐き出すように語り出す。


「普段と仕事の時と別で良いと思うのです。私もそういう時はありますし……もうこんなおばさんですから」


 ちょっとだけ自嘲気味になるサティナ。

 つまり、この結婚に関して文句を言える立場ではないと言いたいらしい。


「君の場合結婚できただけマシ、ってそう思ってる?」

「もちろん。もちろんです」


 そう言い、照れ隠しのように、トカゲの胸肉と香草炒めに、彼女は手を出した。


「選ばれて喜ばれるのは」

「この土地の適齢期が。結婚の適齢期が十五歳だっていうのは、さっきあそこで耳にした」

「ですよね」


 切符売り場の職員と自分の会話を彼女はこそっと盗み聞きしていたようだ。

 いたずらがばれた時のような顔をする。


 二十一歳。四度目の結婚。相手は八歳年下だが、身分違いの貴族。

 なんだか物語に出てくるヒロインのようだな、とふと思う。撃癒を使う少年と新妻の物語。しかし、結婚は四度目。


 本に描いてみたら売れそうな内容かもね、と思いつつ。


「物事が弟のように接したい?」


 と、本音をずばり訊いてみた。

 いいえ、とサティナは手を前に向け否定する。


 大人の女性のゆとりがそこにはあり、動作もゆっくりだった。

 慣れてくると彼女の普段が見えてくる。自分の早く馴染みたいとカールは思った。


「素晴らしい魔法の腕と治癒の技術をお持ちの旦那様を私は誇りに思います」


 例え妻でなくても。と、こそっと付け足すのが彼女らしい。まだ正式に結婚していないからそれは責められない。


「僕はそうだねー……。迷惑じゃない。まあ迷惑だと思ったの本当だけど」

「母が申し訳ございません」

「しょうがないじゃないもう、こうなったら行くとこまで行くしかないよ。ついでに、ね」

「何でしょう?」

「イゼアも君を自由にしてやりたいと、願っていた。そんな気がするから」

「……はい」


 そんなこんなで話をしているうちに、緊張感が解け、空腹は満たされて甘いものが欲しくなる。


「この揚げパン、もう少し欲しくなるね」

「果物なども売っていたと思います。口直しに」


 大人の女性と彼女の持つ余裕に自分の未熟さをどうにか助けてもらって、やっていければいい。

 カールは改めてそう思った。


 油物ばかりでべっとりとしている口の中をさっぱりとしたいと思う。

 サティナはまた席を立ち、店に向かった。


 カールの視線は、さっきから足元ででうごめく何かに、そっと注がれる。

 それは多分、あのドラゴンのような招かざる客。あの騒動で魔力が溢れた水上に魅かれてやってきたのだろう。

 ぬるっとした嫌な魔力の波動を、カールは感じていた。


「ねーねー、あれ、なにかなー」


 と、左舷の方で声がする。

 見ると、黒髪に黑い尾、獣耳の少女。黒狼族と呼ばれる獣人の女の子が、親に向かい、水面を指差してパタパタと興味深そうに尾を激しく動かしていた。

 

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