下界落ち(4)

「スイルリード様との夜の密会は今日でしたっけ?」

「密会ってそんな、ただ一週間の出来事をお話しし合ってるだけだよ。」


 手紙を出したあの夜から丁度一カ月――ガイラさんとは四度ほどお話ししましたが、あの方は思っていた通りの素敵な方でした。

 知識の量も然る事ながら、その考え方や感性は正に国を支える公爵家のそれでした。


「なんだったらクリスちゃんも来る?」

「行かないわよ!何が楽しくて貴女達二人のいちゃついている所を見なきゃいけないのよ!」

「いちゃ――!?ちょっ、ちょっとクリスちゃん、私達は別にそんな……ただ普通に庭園をお散歩しながらおしゃべりしてるだけだよ。」

「それを世間ではいちゃついていると言うのですよ。」

「言わないよ!」

「でもデートには変わりないでしょ?」

「変わりあるよ!」

「どう変わりあるっていうんですの?」

「うう……それは……」


 ガイラさんとのお話し会が決まってからクリスちゃんの私に対する当たりが強くなった気がします。


 クリスちゃんの気持ちを考えれば当たり前といえばそうなのですが、まだどうなるか分からない以上クリスちゃんには出来るだけ味方であって欲しいと思うのですが。


 クリスちゃんは椅子に座り直すとお行儀悪く頬杖をつきました。


「まあ良いですわ。スイルリード様が言い出したことでユナウが抜け駆けした訳ではないのですから、貴女に嫉妬するのはお門違いですわね。」

「クリスちゃん……。」

「でも、スイルリード様を困らせたり、悲しませたりしたら許しませんからね。」

「うん、ありがとう。」


 時計を見ればそろそろ約束の時間です。

 私は寮を出ようと立ち上がりました。


「別に……お礼を言われるようなことではないわよ。」


 直後、クリスちゃんが何か呟いたようでしたが、小さくて聞き取るまでに至りませんでした。けれど、何となく想像はできます。


 私は部屋を出ようと扉に手を掛けたところでクリスちゃんの方へと振り返りました。


「クリスちゃん、私はクリスちゃんの方が素敵な女の子だと思ってるよ。」

「はっ?はあ――!?」


 私の言葉にクリスちゃんは顔を真っ赤にしていました。


「クリスちゃんは優しくて、可愛くて、言葉遣いも綺麗で、私なんかよりずっと最優秀淑女だって思ってるよ。」

「な、何言ってるのよ!煽てたって何も出ないわよ!」


 その反応と仕草は子猫のような愛嬌があり、微笑ましくていつまでも見ていられそうです。


「ほ、ほら!スイルリード様が待ってるわよ!早く行きなさいって!」


 半ば追い出されるように寮を出た私は大庭園までにんまりしながら歩いて行きました。



 庭園に着くとガイラさんはスイートピー広場のベンチでいつものように座っていました。


「今日は風が心地いいですね。」

「そうですね。」


 風に煽られた髪を整えながらガイラさんの隣に座り、目を閉じて同じように風を感じました。


「今日はいつもより楽しそうですね。何かありましたか?」

「ふふ、そう見えますか?」

「はい。いつもは落ち着いているようで、しかし何処か緊張しているように見えました。ですが、今日の貴女は楽し気で心が踊っているかのように見えます。」

「そ、そうですか?」

「ええ。とても魅力的ですよ。」


 その嘘偽りのないことがよく分かる爽やかな笑顔に、気づけば私の顔は高熱で熱っせられた鉄のように真っ赤になっていました。


 恥ずかしさのあまり暫く顔を合わせられずに黙ってしまいましたが、その間もガイラさんはニコニコと楽しそうでした。


「ユナウさん。」


 唐突に澄んだ空気が淀んでいくのを感じて頭を上げると、先程まで楽しそうな笑顔をしていたガイラさんの表情は一変、真剣な面持ちに変わっていました。


「ガイラさん?」

「一つ、貴女にご相談したい事があるのです。」


 顔だけでなく体ごとこちらに向け、ガイラさんは深呼吸をしてからゆっくりと瞼を開きました。


「私と結婚していただけないでしょうか。」


 それまでの様子とは打って変わってガイラさんは焦っているように見えました。


 しかし、私も私で唐突な二度目の告白に理解が追いつかず言葉を詰まらせてしまいました。


「驚かれるのは当然のことかと思います。そもそも卒業式の日という約束だったにもかかわらず、それを破ることになってしまうのは本当に申し訳ないと思っています。」


 私は心底驚きました。

 しかしそれは、結婚の承諾を今欲しいと迫って来たことに関してではなく、ガイラさんのこんな姿を見るのは初めてだったからです。


 いつも品のある落ち着いた様子で周囲に愛想の良い彼が、ここまで切羽詰まったように動揺しているのを噂ですら聞いた事がありません。


 だからこそ何かあったのは明白で、そんな彼の力になりたい。

 

 自然とそう思いました。


「何かあったんですね。私で良ければご相談にのりますよ。」


 頭を下げるガイラさんの膝に乗った手に、私は自分の手をそっと重ねました。

 すると、彼は切なそうな顔でこちらを見つめたのです。


「失礼しました。貴女の前でこのような無様な姿を……。」

「無様だなんてそんな――。」


 慌てて弁護しようとしましたが上手い言葉が見当たらず、私は迷ってあたふたしてしまいました。


 そんな私を他所に、ガイラさんは落ち着きを取り戻して前方に見えるスイートピーを眺めながら再び口を開きました。


「私には、時間がないのです。」


 寂しさの籠った声で放たれたその言葉は一瞬にして場の空気をしんみりさせました。


「それって、まさか不治の病か何かに――!?」

「あっ、いえ、すみません。そういう意味ではなくて。」


 咄嗟に浮かんだ私の考えは違ったようで、またも申し訳なさそうにガイラさんは撤回されました。


「これを見てもらえますか?」


 そう言ってガイラさんは上着の内ポケットから一通の封筒を取り出すと、それを私に差し出しました。


「手紙?送り主は……リべルド・ジーン=スイルリード!?」

「父上からの手紙です。」


 ガイラさんのお父様――つまりは現スイルリード公爵。


 この国で王族の次に権力を持つ人物からの手紙。

 それだけでこの手紙の持つ意味が十二分に理解できました。


「中を見ても?」

「もちろんです。」


 恐る恐る封の中から四つ折りになった紙を開くと、手書きの達筆な字がずらずらと書かれていました。



〝 我が息子 ガイラへ


 お前が家を出て学院に入ってからもうすぐ十一年という時が経つ。

 お前の学院内での功績は主教殿から聞いておる。

 あと約十カ月、余程の大事がなければ今年の【最優秀紳士】はお前だとも伺っている。


 公爵家の人間に恥じないその功績に、儂も嬉しく思う。


 さて、来年の三月にはお前も学院を卒業して成人し、晴れて正式に我が後継者となるわけだが、儂はお前の成人と同時に公爵の地位をお前に譲ろうと思っている。


 というのも、実は儂に元老院加入の話が来ている。儂はこれを受けるつもりだ。

 優秀なお前なら成人した直後でも公爵として立派に務めることが出来るだろう。もちろんそれによる協力も惜しまないつもりだ。 〟



「卒業したら直ぐ公爵に!?す、凄いですね。」

「いえ、それほどのことでは。それよりも最後まで読んで下さい。」

「す、すみません。」



〝 そこでだ。公爵としてのお前の面目を立てるために、お前にふさわしい妃を用意した。


 お前より二つ上の元【最優秀淑女】のジェシカ・ローレンズ=スカーレット嬢だ。


 彼女はお前に劣らぬ秀才な方だ。

 公爵としてのお前を裏から支えてくれるだろう。一週間後の六月三日に丁度彼女のご両親との会食がある。そこで話を進めるつもりだ。


 もしお前が学院内で己と一生を添い遂げるにふさわしい女性と既にお付き合いをしているのであれば、この話はなかったことにするつもりだ。その場合は会食の日までに返事をくれ。


 返事がない場合は了承したと見做し、話を進めさせてもらう。


 多少の強引さは重々承知しているが、これも公爵家の血を絶やさぬ為だ。

 お前にも承知してもらう。


 十カ月後、お前の凛々しい姿を再び見られることを楽しみにしている。


 リべルド・ジーン=スイルリード 〟



「これって、要するに政略結婚ってことですか?」

「そう取ってもらって構いません。」


 ガイラさんは寂しそうにスイートピーをじっと見つめていました。


「六月三日ってことは……四日後!?」

「学院外に手紙を送る場合は速達でも丸一日は掛かります。それに会食が四日後ですから、その前日までには父上に手紙が届いていないと意味がありません。」

「ということは、二日後には手紙を出さないと、ジェシカさんと結婚することが決まってしまう――。」

「そういうことです。ですから、私には時間がないのです。」


 何ということでしょう。

 会う度に少しずつガイラさんに惹かれていることは自覚していますが、まだ結婚を考えるには覚悟も気持ちも曖昧です。


 政略結婚――公爵家にはそういったものもあると噂では聞いていましたが、自分には縁遠いものだと思っていました。

 まさかこんなところでそれが弊害になるなんて思ってもみませんでした。


「このようなことに巻き込んでしまって申し訳ございません。」

「い、いえ。でも、どうしましょう。」

「今晩と明日一日、難しいとは思いますが考えてみてもらえませんか?それで答えが出なければそれでも構いません。その場合はミス・スカーレットとの婚約を受け入れます。」

「分かりました。でも、ガイラさんはそれでいいんですか?」


 そう口にした瞬間、私は自分の無神経さに呆れを通り越して怒りすら覚えました。

 しかし、一度口にしてしまった言葉はどうあっても消すことは出来ません。


「ミス・スカーレットのことはよく存じています。二年前までこの学院にいましたし、何度か食事もご一緒したことがあります。とても美しく素晴らしい女性です。最優秀淑女に選ばれるのも納得の方だと思います。」


 言葉とは裏腹に、ガイラさんの声と表情には悲しみと悔しさがひしひしと感じられました。


 その様子に、私は何て言の葉を紡いでしまったのだろう、と酷く激しい後悔に苛まれ、それ以上ガイラさんと目を合わせられずにいました。


 すると、膝に乗せた手に優しく別の手が重ねられました。


「ですが、私は貴女と共に歩んでいきたい。初めて貴女のことを知った七年前から、私は貴女にずっと惹かれていました。直接的な接点こそほとんどありませんでしたが、貴女のその所作一つ一つから滲み出る相手を慮る優しさ、ご学友との交流の中にふと表れる笑顔や振る舞い、優秀な成績を取っても自惚れず誰よりも努力するその姿勢と気概――私は貴女のそんな姿に次第に惹かれていったのです。この方と人生を共に歩みたい。純粋にそう思いました。」


 口調から感じられる優しさを体現するかのように、ガイラさんはそっと私の手を自身の両手で包み込みました。


「改めて申し上げます。ミス・アルバートン。いいえ、ユナウさん。どうか私と結婚していただけませんか。」



 その手は風の冷たさを忘れてしまう程に温かく、何よりも優しさに溢れていました。

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