第16話 絶対

「愛朱夏の奴、何でタピオカミルクティーなんか……」

「仕方ないじゃない、めざましテレビの特集を見て、どうしても飲んでみたくなっちゃったみたいなの……今すぐ飲まないと死んじゃうって……」

 自転車を漕ぐ僕の背中をつかんで、荷台に座る蒼依は焦燥感たっぷり答える。

「あんなもん、十四年後にだってあるだろ……実際僕らが小さいころにだって流行ってた記憶あるし」

「無くなっているんだって。この2008年の第二次ブームが過ぎ去って以降、タピオカは完全に廃れてしまってもう再興することはないらしいのよ。まぁ、私もそうだと思っていたのよね。見た目も何か気持ち悪いし。愛朱夏も、前略プロフに画像を上げたいと思えないようなものは未来では流行らないって言っていたわ」

「それにしたって今じゃなくていいだろ……一限目から授業サボってまで買いに行かされることかよ」

「エーピーのやつは夏季限定みたいなの。万が一この機を逃したら買えないからって。タイムリミットが迫っているわ……」

 いや確かに流行りものをここらで買おうと思ったら、行く先は家族経営のam/pmしかない。そんな村唯一のコンビニでさえ品揃えは悪い。テレビ特集なんかがあって季節限定品がたまたま二、三本でも売れたりしたら、品切れ&再入荷なしなんていう自体は普通に考えられる。

 ただ、僕が言いたいのはそんなことではない。まぁ言いたくても言えないのだが……。

「それに愛一郎だって、真面目な娘のたまのわがままくらい聞いてあげたいと思うでしょう? 全然電話に出てくれないって拗ねていたわよ? 留守電でも怒っていなかった?」

 そりゃ学校ではマナーモードがルールだからな……十四年後では校内でも携帯をバンバン使うのが普通なのだろうか。まぁ、どっちにしろ携帯なんて持たない十二歳じゃわからないか。

「怒ってたよ。僕に買って来てもらいたかったみたいだね。ママには甘え飽きたってさ。だから蒼依は学校戻りなよ。こんなことでわざわざ二人抜け出すなんてバカみたいだろ」

「いいじゃない。二人乗りとか青春っぽくて」

「何が青春だよ。危ないだけだろ。バランス崩してこけたりとか……」

「とか?」

 後ろから刺されたり、とかな。

 ――本来、愛朱夏は僕にだけ緊急事態を伝えたかったのだ。でも、僕が電話に出なかったから、仕方なく蒼依を中継して留守電に気づかせた。

 あいつからの本当のメッセージ内容、それは、


『ママは危険です。本当はパパを殺そうとしています。今までいろいろ黙っていてごめんなさい。ただ、わたしも騙されていたこと、知らないことがあったんです。わたしに秘密で、おじいちゃんも未来から来ていたみたいなんです。おじいちゃんとママはグルです。私はこの後、おじいちゃんに捕まりあの神社に連れていかれ、未来に返されることになるでしょう。あそこがこの時代のタイムスリップ地点のようですから。でも、まだ帰るわけにはいきません。少しでも時間を稼いでおきますから、あのときと同じようにもう一度、わたしを助けにきてください。――すみません、もう逃げないと……詳しいことはそのあと話しましょう』


 やめてくれ、本当に。なんなんだ、次から次へと。万葉からの意味不明な情報で頭がパンパンになった直後にこれだぞ。

 とはいえ別に僕も、こんなことを鵜呑みにしているわけじゃない。できるわけがない。

 もしも何らかの理由があって蒼依と父親が本当に僕を殺そうとしているとして、愛朱夏の扱い方の意味がわからない。

 だいたい、タイムマシンで未来と自由に行き来できるなんていう重要すぎる情報、一度も聞いてなかったぞ。バカな僕にだってわかる。そんな都合の良いガジェットなんて存在しない。ちなみにガジェットの意味はわからない。たぶんジェット的なものだからタイムマシンも含まれるだろう。

 もしもこれを、昨日愛朱夏から直接聞かされていたとしたら、完全に信じていたかもしれない。でも、電話というガジェットを通していたことと、「前科」の件があったことで、客観的に疑うことができている。

 とはいえ、蒼依のことだって、昨日以上に信用できなくなっている。「絶対」を封印するきっかけとなった過去の何か、十年前僕と出逢った直後に起きた謎の「死」、そして父親との関係――僕に隠していることが、こいつにはたくさんある。

 いずれにせよ――騙されているとわかっていても――愛朱夏のもとには向かって話をしなければならない。そのためには、まず蒼依を撒かなければいけないわけだけど……。

 ちょうど例の自販機の前まで来たところで、僕は自転車を止める。

「……とか、熱中症になったりとかな。さすがにバテたよ、まだまだ真夏だってのにこんな重労働……蒼依、君太った?」

「失礼ね……貞操帯の重みよ」

 一度話をしなきゃいけないのは、こっちも同じだよな。信用はしていないけど、万葉から得た情報を全て隠さなきゃいけないほど、疑う必要もない。謎があるなら聞けばいい。わからないならわからない、答えられないなら答えられないと、君がはっきり言い切ってくれたなら、その回答自体には猜疑心なんて持ったりしない。

 だから、

「じゃあ甘いものもいけるな」

 久しぶりに、いちごミルクでも飲みながら話そうぜ?

「え、いいわよ、そんな甘ったるそうなやつ……私もこのあと愛朱夏とタピオカ飲みたいもの」

 なんだこいつ死ね。だいたい貞操帯一つでこんなに重くならねーよデブ。

 いやダメだ、今度こそ冷静に話を聞かないと。解ける謎も解けなくなる。

 でも、愛朱夏の言葉、万葉からの真偽不明の告白・告発――いろんな情報を元に考えるにしても、何よりもまず確認したいことは、一つ。その一つが何よりも僕を冷静でいられなくしてしまうのだが。

 ベンチに座った蒼依が持参の水筒からコップに麦茶を注ぎ、差し出してくる。僕は黙ってそれを受け取り、隣に腰掛ける。

「…………で、何を聞きたいの? 刈上げ君から何か聞いたのでしょう? 私には彼が何者で何をどこまで知っているのか見当もつかないけれど……もしも、私に答えられることがあるなら、答えたいから」

 ……さすがにお見通しだよな、それくらいは。さすが僕の幼なじみで彼女だよ。

 じゃあ、そんな愛する彼女さんに聞くけどさ、

「万葉の話は後だ。それよりも……君が未来の浮気を否定できないのは、過去に僕を裏切った前科があるからなのか?」

「――違うわよ……! 何でそんな……っ、それだけはないわ!」

「蒼依……」

 やっぱり否定してくれた! 思っていた通りだ。愛朱夏が言うような過去の浮気なんて絶対にない……!

 しかし、蒼依は顔を曇らせ、

「でも考えてみれば確かに、そう疑われるのも当然よね……それに、あなたに隠していたことがあるのは事実だもの……もしそれを裏切りと捉えるのであれば、何も反論なんて出来ないわ……」

「……そんなに辛そうな顔するなら、話して楽になればいいだろ。もうどっちにしろ僕にここまでバレてしまってるんだ。その秘密って要するに、君が『絶対』を使えなくなったきっかけのことなんだろ?」

「……ごめんなさい、それは、言えない……」

「あのさ、はっきり言って僕の中で既に君への印象はどん底まで落ちてるんだ。未来の浮気によってね。だったら、最悪の虐殺行為――浮気でもない過去の軽犯罪くらい、これ以上重ねたところで何のマイナスにもならないよ。無駄に隠されてる方が不信感が募るだけでさ」

「ダメよ、これだけは」

「……何でだよ、大したことないって言ってるだろ、浮気じゃないなら」

 クソ、ダメだ。じれったい。この話題になると、どうしてもイライラしてきてしまう。

「正直……あなたは浮気を殺人だとか言うけれど……私にはとても陳腐に聞こえてしまう……冷笑してしまいそうになるの」

「……は……?」

 こいつ……っ、この期に及んでまたそんなことを……浮気を軽んじるようなことを……!

「蒼依、お前はやっぱり浮気女だ! そんなんだから未来で、」

「だって私の裏切りは、大切な人を本当に殺してしまった!!」

「え……」

 いま、なんて……

 顔をぐしゃぐしゃに歪めて、悲痛な叫びをあげる蒼依。その迫力に、僕は息を呑むことしかできない。

「私が私の欲望のために、死に追いやってしまったようなものなの! 確かに浮気だって最悪の裏切り行為よ! でも、私の裏切りに比べたら、そんなの……!」

「いったい、君は何を言って……」

 堰を切ったように、自分の罪を吐き出す。その勢いはもはや、止めることなどできないようで。

「絶対裏切らないと決めた人だったの! それなのに、あっさり裏切って、あんなことをしてしまった! そんな私に、絶対に浮気をしないなんて言う資格がある? あるわけないじゃない! 私は未来のことに対して、絶対なんて言ってはいけない人間なの! いくら愛一郎を愛していたって、永遠に愛し続けると思っていたって、わたしは――」

「ちょっ、ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ! 君が隠していることは――君が過去に裏切ったっていうのは、僕じゃなかったのか!?」

 君のその言い方じゃ、まるで……


「当たり前でしょう! それは断言したじゃない! 私はあなたを裏切ったことなんてない! あなたを手に入れるために、大切な人を裏切ったのよ! 十年前のあの夏の日に、私は――一番好きだった人を切り捨てて、一番好きな人としてあなたを選んだの!」


 朱い太陽が浮かぶ夏の蒼い空に、少女の懺悔が響く。

 残響が消え去るまで、僕はその言葉の意味を噛み砕くことができなかった。

「……そん、な……」

 それでも理解が及ぶにつれ、事実の重大さに気づいていく。

 蒼依が大切な人を裏切って、僕と付き合い始めた――それは、つまり。端的に言えば、

「僕が、寝取ったってことか……? 僕が、間男だったってことなのか……? 死刑に、なるのか……?」

「ならないわよ……だいたい、裏切るって恋愛的な意味だけではないでしょう……」

 自分よりも取り乱している人間を目にしたせいなのか、蒼依はだいぶ落ち着き始めていた。

 いや、じゃあ、どういうことなんだよ!? 恋愛的な意味じゃない裏切りって……ってそれを聞いて答えてくれるくらいなら、こんな状況にはなってないか。

「……わかった、とにかく君が過去に浮気なんてしていないことは僕も信じてる。でもやっぱりダメだ。君が未来に対して絶対を使えないってことはひとまず置いておこう。でも、さっきの――そして愛朱夏から未来の浮気を聞かされたときの――君の態度。浮気を軽視するような言動。それが僕には理解できない。許せないとか以前に、理解できないんだよ、本当に」

「別に軽視なんてしていないわ。私だって浮気は最低最悪だと思ってる。一般的な社会規範に照らし合わせて許されない行為よ。だから何? どんな許されざる不義も不貞も不正も、世の中には溢れてる。事実として存在している。人類が誕生してから、ずっと。それなのに、ありとあらゆる悪事はこの世から消え去るべきなんて、そんな夢物語を十八歳にもなってあなたは唱え続けるの?」

 静かな口調でありながら、挑発的な物言い。こいつ、キレてやがる。逆ギレだ。開き直りもいいところだ。

 カチンと来た。ふざけやがって、このクソビッチが。そっちがその気ならこっちだって開き直ってやる。もう目的なんて忘れたわこのヤリマンがよおおおおおおおお!!

「そんなこと言ってないだろ! 難しい言葉を使うな! 周りのことなんて関係ない! 僕と蒼依以外がどうだとか、そんな話は知らないんだよ! 僕とお前は約束をしたんだ、浮気は何があっても絶対禁止だって! ただそれだけの話だろーが、バーカ!! あとお前いま絶対まんこ臭いからな!!」

「だから絶対なんてないって言ってるでしょう!! 実際に開いて嗅いでみるまで分からないじゃない! もしかしたらラベンダー畑の匂いかもしれないでしょう! シュレディンガーのまんこよ! そんでそんな約束なんて知らないんだってば! あなたの妄想なんじゃないの、それ全部!」

「はぁ!? お前……っ、妄想なわけねーだろ! ラベンダーなわけねーだろ! そっから産まれてくる子ども、リラックス効果で絶対産声上げないからな! 産まれたときからぐっすり安眠だよ! シュレディンガーってどんな花だ!」

 我を忘れて言い争って、僕も蒼依もハァハァと肩で息をする。こんな猛暑日に外で何やってんだ僕らは……。

「……だいたい……万歩譲って客観的に見たって、君の未来の浮気に関して軽視も何もないだろ。君のはただの浮気じゃない。実際に人が死んでる。君と、浮気相手と、それに、お腹の中の子どもだって……っ」

 僕は自分が相手を心中に追い込もうとしていることを棚に上げ、神妙な感じで言った。

「……は? 何それ、子ども? 私は浮気相手の男と一緒に心中するんでしょう? お腹の中の、って何のことよ?」

 なぜか腑に落ちない様子の蒼依。ハッ、こいつこの期に及んで何をしらばっくれてやがる!

「君はこの一か月の間に始まる浮気相手との関係を、十四年後にそいつのガキを孕んだことで僕にバレて、ガキともども心中するんだろ! 愛朱夏から聞いているじゃないか!」

「……………………ちょっと待って。私、そんなこと聞いてない」

「はぁ?」

「私が聞いたのは、十四年後に浮気相手と心中するということまで。その場にはあなたもいたわよね。それ以降、心中に関する追加情報なんて聞いていないわ。私が浮気相手との赤ちゃんを妊娠していただなんて……それは、愛朱夏から聞いたのね……?」

「……え」

 確かに……今思い返してみれば、そんな後付けのような設定を僕が聞かされたのは、愛朱夏と二人きりのときだった……。てっきり蒼依にも伝えているものだと思い込んでいたけど……。

「……つまり、十四年後の私は。この世で一番大好きだった愛一郎を裏切る程に大好きになってしまった浮気相手との子どもを。自分のお腹に宿しながら、命を絶ったということね? ……なるほどなるほど」

「……なるほどて」

 蒼依は口に手を当て、考え込むように俯き――そして、どこかバツが悪そうにこちらを見上げ、

「ごめんなさい、愛一郎……あんなに威勢よく断言してきた手前、面目が立たないのだけれど…………前言撤回させてください」

「…………マジ?」


「マジ。だって私は――――絶対、そんなことしない。こんなに大好きなあなた以上に大好きな人との子どもを、授かることが出来たのでしょう? 絶対超幸せ。なら絶対決まってる。私はあなたと浮気相手をブチ殺してでも絶対生き抜いて、その子と愛朱夏、絶対的な宝物二人を絶対育て上げてみせるわ。つまり、愛朱夏は嘘をついている。絶対に」


 ここぞとばかりに絶対的在庫処分セールすんな、絶対の。

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