第13話 恋空

「ねぇ、朝早く申し訳ないのだけれど貞操帯を外してほしいの。掻きたいの。掻きむしりたいの」

 むしる必要はないだろ。あと朝早くなくても申し訳なさは感じてほしい。夜中に貞操帯の鍵開けるためだけに喧嘩直後の彼女んち行かなきゃいけない男の気持ち考えろ。

 ホームルーム前の教室。登校するや否や、蒼依はパタパタと僕に駆け寄ってきやがった。

 僕の方は一緒に登校するのを避けるため、わざわざ早く出てきたりしたというのに、こいつは昨日の今日で気まずさとか一切感じないのか。

 いや、そんなわけないか。どんなに言い争いをしても、自分の後ろ暗いところを僕に感じ取られた自覚があっても、そんなの関係なく、自身の未来を信頼してもらおうとこいつは必死なのだ。遠慮なんてする気はないのだ。

 蒼依がそう来るのであれば、僕の方も敢えてそれを流す必要はない。昨日は結局、自分を抑えられずにこいつを責め立てたりしてしまったが、本来の作戦通りに戻ろう。僕は改心して蒼依を信じている、というフリをする。

 そして浮気相手とくっつける。寝取らせる。

 その相手として、目下の最有力候補、それは――

「君たち、ずいぶんアバンギャルドな男女交際してるんだね。うん、いいね! 俺は恋愛のかたちは人それぞれだと思ってるからね、寛容だからね!」

「うぜぇ……」

 キモ刈上げこと万葉ばんば令和が白い歯を見せながら話しかけてきやがった。こんなのが最有力候補である。ぶん殴りたい。

 ちなみにぶん殴りたいと思ってるのも「うぜぇ……」と口に出したのも僕だけでなく教室中全員である。

「てか万葉、君も昨日の今日でよく登校できたな……最悪あのまま転入数分で再転校決まるかと思ったわ」

 昨日の自己紹介中に蒼依の飛び膝蹴りを食らった万葉は、そのまま早退していた。

「転校どころかあのまま異世界に転生するかと思ったよ。スマホ持っていったら無双できそうだし。バッキバキにされたけどスペアも持ってるからね! ん? あれ? てか、これよくね? 現代日本で死んだ高校生が文明の遅れた異世界にスマホ持っていって無双する小説とか書いたら跳ねそうじゃね?」

「流行るわけねーだろ、なんだそれ意味わからん。高校生がせっかく不幸にも死んだっていうのに、生き返っちゃったら恋人が泣けないし自暴自棄にもなれないだろ。死人なしで読者はどうやって泣けって言うんだ。恋空読んで勉強しろ。魔法のiらんども読めないのか、その折りたためないケータイは」

「ねぇ、ご主人様、そんな折りたためない刈上げなんてどうでもいいから早くトイレに行きましょうよ……! こうやって二人で抜け出せるタイミングで掻き溜めしておかないと……あなたが遠くにいたり、何かから手を離せない状態にいたら貞操帯を外せないんだから!」

 必死に懇願してくる蒼依。誰がご主人様だ。これから十四年間浮気して心中するかもしれない相手にセルフ調教プレイ見せつけてどうする。

 そんなド変態プレイを見せつけられている当の刈り上げは、サイドの刈り上げ部分に人差し指をトントンしながら、

「ふむ……なるほど、貞操帯プレイにはそんなデメリットが……なぁ、愛一郎くんの彼女さん」

「は? 愛一郎以外の男がなに私に話しかけているの? パカパカ出来ちゃう体にするわよ? ていうか一瞬で早退したくせに何で愛一郎の名前を知っているのよ」

「君の顔に書いてあるからだよ」

 顔に書いてあるというのが比喩でも何でもなく本当に書いてある女、それが僕の彼女である。

 そんな半顔丸ごとフェイスペイント女に対して、万葉はまるで怯むこともなく、

「貞操帯に遠隔操作機能を付ければいいんじゃないかな。うん、ロック解除などの制御はもちろん、管理履歴まで記録できるようなアプリを開発すれば、二人が離れていてもアイフォン一台で自由自在に貞操帯管理できるようになっちゃうよね。お、これいけそうじゃね!?」

「え……そ、そんなことが可能なの!? あんなパカパカ不可能ケータイで!?」

 目を見開き、前のめりになる蒼依。何がいけるんだよ。何もいけるわけねーだろ。

「うん。貞操帯も君が自作したんだろう? すごいじゃないか。僕の知識・発想力と君のものづくり技術が合わされば、そう難しいことじゃないさ☆」

「私買うーっ! パカ不可ケータイ買うーっ! 愛一郎にも買ってあげて四六時中管理してもらうのーっ!」

「いいね! 肌身離さず持ち歩くものなんだ、やっぱり未来志向じゃないとね! そうだ、いいこと思いついた。二台も買う必要はないよ! 予備のアイフォンがもう一台あるからね、それを君たちに譲ろう」

「本当に!?」

 未来志向の貞操帯って何だよ。そんで何こんな奴に食いついてんだよ、蒼依は……いや、食いついていいのか。食いつかせなきゃダメなんだった。

「どうだい、愛一郎くんも。まず一台持つとしたら、とりあえず管理する側の君がってことになるわけだけど。肌身離さず持ち歩いて、アプリ開発までにこのスーパーガジェットに慣れておいてよ☆ はいこれ☆」

「いらねーよ。携帯なんて電話とメールができて純愛系ケータイ小説が読めれば充分だ」

 しっしと手を払って拒んでみるが、万葉はどこからか取り出したアイフォンを僕のポケットに無理やり突っ込んでくる。

「あはは、そんなに警戒するなって。何も押し売りしてるわけじゃないんだぜ? 俺はアップルの回し者じゃないからね。いや確かに、どんなに進化したって道具はしょせん道具さ。でも、このガジェットは、ITに限らずどんな分野で革命を起こすためにも必須の道具になるはずなんだ。僕が未来で成し遂げたい壮大な、それこそ人類の常識を変えてしまうようなプロジェクトにもね! たぶん!」

「しゅごいっ! パカ不可ケータイしゅごいっ! 私も変えてしまわれりゅっ!」

 蒼依の奴、お股ガリガリしながらお目目キラキラさせてやがる。僕が何をするまでもなく、こんな刈上げ未来被れに夢中になりつつある。

 何だそれ。ムカつくな。勝手に死にに行くなよ。僕がお前を浮気させて、死に追いやってやるんだから。

「……未来未来ってうるさい奴だな。アイフォンなんて日本で流行るわけがない。実際、日本のメーカーに後追いしようとする気配なんて全くないだろ。お前の未来展望なんて的外れなものばかりなんだよ」

 僕は娘の受け売りで妻の浮気相手と張り合うことにした。

「そうかな。じゃあ愛一郎くんが考える未来展望は? 例えば、じゃあ、十年後の未来とか」

「……十年後とか中途半端でショボいからキリ良く十四年後の夏の予想にしてやろう」

「なぜそんなピンポイントで……」

「総理大臣は橋下徹で消費税が十二パーセント、野球では阪神と日ハムが首位でサッカーでは浦和レッズとガンバ大阪が首位争いだ!」

「うーん、なかなか面白いけどどうかな。正直、2008年現在の状況からでも言えるようなことでしかないよね。かといって妥当すぎないように、荒唐無稽にならないギリギリのラインでサプライズを入れてみました感が拭えないよ。俺はスポーツのことはわからないけど、日本ハムファイターズのビジネスモデルに持続性は見えないんだよね。十四年後ともなれば、ちょうど痺れを切らして本拠地移転に動いている時期なんじゃないかな。経営戦略上の過渡期にチーム編成へ資金を注ぎ込むのは難しいだろうから、首位を狙えるような状況にはなっていないと予想するね」

「はっ、言ってろ、札幌ドームの人工芝みたいな髪型しやがってよぉ! そのペラッペラの被せ髪ひっぺがして、刈上げコンクリートにコンサドーレ用の天然ヅラ被せてやろうかぁ!? なぁ、蒼依! 首位だよなぁ! 日ハムと阪神が! 2022年の日ハムと阪神は開幕十連勝決めて、首位独走中だよなぁ!?」

 舐めんな刈上げ、こっちはガチの未来人から情報提供受けてんだよぉ!

 万葉との仲を取り持つという目的をすっかり投げ捨て、蒼依に同意を求めると、

「――え……え、あ、あ、そ、そうよね……えーと、あっ、うんっ! そうねっ! 一位よね! 日ハムと阪神が優勝まっしぐらよね!」

「は……?」

 え、何その反応。何でそんな慌ててんの? 何か誤魔化してる感じなの? お前も愛朱夏からこの情報は聞いてただろ。そんときはそんな反応してなかったよな?

「――蒼依、ちゃん……? え、君、愛一郎くんの彼女さん、あおいちゃんって言うの……? え……? え――あっ! 確かに髪型とか変えたら…………え、ちょ、待っ――――い、いやいやいや、まさか……」

「は……?」

 今度はお前かよ刈上げ。え、何その反応。何に動揺してんの? 何に引っかかったの?

 ……まぁ何にって、そりゃ明らかに、

「どうした、万葉。汗がすごいぞ」

「え、あ、いや……な、何でもない! うん、これはマジで何でもないよ、愛一郎くん! だってそんなわけな――」

「何でもないわけねーだろ! お前、蒼依の名前聞いた途端、明らかに焦り出したよなぁ!? 蒼依の見た目が変質者デビューしてたから今まで気付かなかっただけで、蒼依のこと何か知ってるんだよなぁ!?」

 そういうことだよな、おい!

 転校生が蒼依と知り合いだった――全くの偶然でそんなことが起こるなんて、あまりにも都合が良すぎる。

 でも僕は蒼依がこれから誰かと浮気をするという未来を知っている。そして、蒼依にはそんな心当たりのある相手が全くいない。思いもよらないような出来事――99.9パーセント以上あり得ないようなことが起こらない限り、浮気なんて考えられないと主張していた。

 逆説的に言えば、思いもよらないような出来事が、出会いが、この期間に発生してしまうはずなのだ。その覚悟を、僕はしていた。

「お前、転校ってどこから来たんだよ?」

「え、と、東京、だけど……」

「蒼依も三年前まで東京に住んでたんだよ!」

 しかも蒼依は、東京時代の何かを僕に隠しているんだ!

「え……マジで……あ、いや違う! 三年前なんて、なおさら……」

「ああ!?」

 見るからにあたふたとする万葉。こんなの絶対黒だろう。

「蒼依! 君も黙ってないで何とか言えよ! 素知らぬ顔して、実はこいつと知り合いだったんだろ!」

「まんこかゆい……」

「ああ!?」

「まんこかゆい!」

「聞こえてる! 君も僕の話を聞け! 万葉のこと、前から知ってたんだろ!?」

「…………は……? 前からって……いや知らないけれど。知ってるわけないんだけれど、こんな髪型の奴。かゆい」

「え……」

 蒼依の顔に動揺は見受けられなかった。僕が問い詰めてきていることに全くピンと来ていない様子で下腹部を掻いている。

「は……? え、マジかよ」

「マジに決まっているじゃない。ていうか知り合いが転校なんてしてきたら、初めて目にした時点でもっと驚いているに決まっているでしょう。そんな偶然そうそう起こらないもの。かゆい」

 は? じゃあ何でこの刈上げは……

「いや、うん、そうそうそう、彼女の言う通り! そうだよね、そうに決まってるよね! いや、ごめん、完全に俺の思い違いだったんだ! そう怒らないでくれよ、愛一郎くん!」

 万葉の方も、汗を拭いて心底安心したように笑顔を浮かべている。

 ……本当にただの勘違いだったってことなのか……?

「いや実はさ、俺が子どものころ好きだった子に似てたんだよ。その子も蒼依って名前で。髪はすごく綺麗な黒のロングだったけど、あおいさんと顔つきまでそっくりな感じでさ。まぁでも、あおいなんて名前珍しくも何ともないしね」

「……ちなみに鈴木だぞ、蒼依の苗字は。二年後には田中になるけどな!」

「……鈴木さんって多すぎだよなー。鈴木あおいなんて人間、この世に何人いるんだか」

「くさかんむりの蒼に、にんべんに衣で、蒼依だぞ」

「……何人かはいるはずだよね!」

「やっぱりテメェかああああああああああああ!!」

「何が!? 違う違う違う! ほんとに絶対、同姓同名の他人なんだって!」

「愛一郎、落ち着いて。私、本当にこんな奴知らない。それだけは本当。信じて」

 それだけ、って何だよ。

 蒼依の顔を見る。先ほどまでの呑気な表情とは違い、そこには緊張感のようなものが見てとれた。

 やっぱり、何かあるんじゃないか。

「いやだってさ、蒼依さん。君のお父さんって、鈴木貞作先生じゃないだろう?」

「「――――」」

「ほら、俺が知り合いだったのは先生の娘の蒼依ちゃんだ。君とは――」

「ビンゴだ。万葉」

「え」

「鈴木貞作は蒼依の父親だよ」

「――そんな、わけ」

 愕然として立ち尽くす万葉。目を見開いて固まる蒼依。

 何なんだよ、一体……。

「あなた、パパのこと、知っているの……?」

 信じられないものでも見るかのように蒼依を凝視しながら、万葉はふらふらと後ずさりし、

「――――ぁ」

 そして何かに思い当たったように、ふっと真顔になり、

「ごめん、愛一郎くん。ちょいアイフォン返して」

「あ?」

 僕のポケットから抜き出したアイフォンの両端を握りこんで、

「てすらぁ!!」

 奇声を上げながら、大画面めがけて膝を打ち込んだ。

 ええー……。いきなり何し出したの、こいつ……。

「痛っ、てぇ……! ちょ、画面にヒビ入っただけじゃないか! どうやってこれを真っ二つにしたんだ、昨日の君は!?」

「私と愛一郎の愛の次世代貞操帯に何してくれてんだゴラァ!!」

「GAFAっ!!」

 昨日同様、何の躊躇も感じさせない飛び膝蹴りが、アイフォンをサンドイッチして万葉のみぞおちに直撃した。スーパーガジェットさんは一瞬で真っ二つになった。

「……ふぁんっ……ぐ……っ……」

「……異世界行っちゃったか、万葉……そっちでの大活躍、応援してるぞ……」

「い、いや、確かに君の言う通りだった……人は死んだら終わりだ、異世界も蘇りもない……はぁ、はぁ……保健室連れて行ってくれ、愛一郎くん……君に、話がある……」




 無人の保健室。苦しむ万葉をベッドに転がし、傍らの壁に寄りかかって、その刈り上げ頭を見下ろす。

「一体何なんだよ、お前。結局、昔の蒼依を知ってるのか知らないのか、どっちなんだよ」

「……知っては、いる……」

 万葉は気まずそうに僕から顔を逸らす。

「……何かあったんだな?」

「いやいやいやいやないないないない! あるわけない! あるわけがないんだ!」

「ホントに何もなかったならそんなに慌ててんのおかしいだろ。もう隠し通すのは無理だよ。怒ったりしないから正直に話せ」

「…………まぁ、昔告ったことはある」

「やっぱりテメェかああああああああああああ!! 応援してやんよ、あぁん!?」

「何言ってんだ、違うって! 昔も昔! 十年前! そんでこっ酷くフラれてるし! ていうか俺だけじゃなくて、同年代の男子はみんな蒼依ちゃんが好きだったんだよ! で、みんな告ってフラれてんの!」

 ……その話は知っている。聞いたことがある。蒼依は東京の学校で人気者で男子に告られまくって断るのも大変なんだと、自虐風の自慢を蒼依の母親がよくしていたのだ。

「……で、ストーカー化したお前が蒼依の引っ越し先を掴んで追ってきたってわけか」

「違うって! マジで知らなかったんだ、鈴木蒼依がいるなんて! 知るわけがない! だいたい俺は本当は……って俺の話なんて後回しだ! おかしいんだ! 絶対に! 彼女がこんなところにいるわけがない! いちゃいけない!」

 呼吸するのも大変だろうに、万葉は掴みかからん勢いで詰め寄ってくる。

「いちゃいけないって何だよ……やっぱヤバいんじゃないか、脳にまでダメージいってるのかもな。無理せず寝とけ」

「ヤバいのはそっちだぞ……何かを誤認識しているのは、絶対俺じゃなくて、君と彼女の方なんだ……とやかく質問する前にまず俺の話をちゃんと聞いてくれ」

「…………っ、何なんだよ……何かあんならさっさと言えよ」

 いい加減、じれったくなってきた。こいつは何なんだ、結局蒼依にとって、その他大勢の昔の同級生か何かでしかなかったってことだろ。浮気相手候補でもないなら出しゃばるなよ。テメェごときが蒼依の何を知ってるんだ。

 ホントにもう頭がぐちゃぐちゃだ。頼むからこれ以上、わけのわからん情報を増やさないでくれ……!

「落ち着いて聞いてくれよ、愛一郎くん……」

「もういいわ、お前! 相手にしてられん! 用済みだ! 帰る! いま蒼依から目ぇ離してる暇なんて僕にはないんだ!」

 ――たぶんそれは、一種の防衛本能で。無意識的に聞いてはいけない言葉を予期して、僕は万葉に背を向け保健室から飛び出そうとし――間に合わなかった。


「死んでるんだ、鈴木蒼依は!! 十年前のあの夏に!!」

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