落ち着くまで涙を流した。こんなことになってしまい、自責の念にかられて止まらなかった。泣いても仕方がないとはわかっていても。とはいっても、長い時間お邪魔するわけにもいかない。

 涙を拭って、兎のような赤い目で職員室のドアを閉める。それを見て、やっと体の力が抜けた。

 そのドアから指先を離そうとした時、すぐ隣で気配が——

眞野まのさん」

「うああぁぁ!」

 声を掛けられるまで全く気づかなかった。私は肩を上下させ、声が裏返る。

 反射的に見遣ると、そこには最も会いたくない相手がいた。たった先程まで話の中心にいた人の関係者だから。

 私はすぐに泣き顔を隠す為に、そっぽを向いた。

眞野まのさん、顔に絆創膏が」

 彼はある一点に気づくと、焦るように私の顔を覗き込む。

「あ、ああああ! ちょっと歩いていたら顔をぶつけただけ! 気にしないで、ね、ね」

 どうにか誤魔化せないかと思い、ニッコリと笑顔を作ってみせる。

 彼は、あからさまな溜息をついた。

「そんなわかりやすい嘘、つかなくていいですよ……母さんが、怪我をさせてすみませんでした」

 苦し紛れの嘘はあっさりと見破られる。私は演技力が皆無のようだ。心配をかけさせまいと、わざわざ嘘をついたのに情けない。

 福岡ふくおかくんは表情に翳りを見せる。私の傷は自分の母親が負わせたものだと、気づいているかのように。

 だから私はもう嘘をつくのをやめた。たぶん福岡ふくおかくんは全部わかってる。どうして私がここにいるのかも。

「ううん、大丈夫だよ。痛みよりも、ちょっと驚いただけ。それに大した傷ではないしね」

「ダメです。女性の顔に傷をつけたらダメだ。それに母さん、感情を抑えるのが苦手なんです。みんなが振り返るくらいに結構叫んでたし、いろいろ言葉でも傷つけてしまったと思います」

 職員室からあれだけ叫んでいれば、気になって人の足は止まるだろう。

 そうなれば自然と福岡ふくおかくんの耳にも情報が入ってしまう。例え母親が来校することを知らなくても、聴こえてくる声で誰の声かわかる。

「母がご迷惑をかけてすみませんでした」

 福岡ふくおかくんは頭を下げる。その雰囲気は怒っているように感じた。恐らく自分の母親に対してなのだろうが、実の親にそんな感情を抱くのは少し悲しい気がする。

福岡ふくおかくん」

 名を呼べば、その眼差しは柔らかい。

「この前、折角、連絡先を教えてくれたのにごめんね」

 上手く笑えているだろうか。

「一回も連絡しないまま終わりそう」

「どういうことですか? 母さんになにか言われたんですか?」

 誤解がないように、私は言わなければならない。

「連絡先を消して。お願い」

「母さんにそう言われたんですか⁉︎」

「ううん、違うよ。でも私達、年が離れすぎてるでしょ? それにわけだし、これからも誰かに変な誤解をされたら福岡ふくおかくんが困っちゃう。私はそんなの嫌だから」

「……」

 彼は考え込むように黙り込んだ。

 周りの人は私と違う価値観なんだ。今日、職員室であなたのお母さんと話をして、よくわかった。

 こうやって普通の会話をしているだけでも、周りの目にはに見えてしまうこともある。

「話をするのも、あまりよくないよね。できるだけ話しかけないようにするから。じゃあ、さよなら」

 逃げるようにその場から離れた。

 このまま学校にいても練習はできない。さっさと家に帰ってのんびりしよう。

 でも、本当にこれでよかったのだろうか。心の中がスッキリしない。言いたいことは他にもあったけど、飲み込んだからなのかな。

 それとも、福岡ふくおかくんが連絡先を消すことに同意してくれなかったから?

「ああ、違うなぁ。本当は——」

 私の言ったことを否定してほしかったなぁ。

 歳の差があっても大丈夫。問題もないし、誤解されたって構わない、て。だから連絡先を消さないよって、言ってほしかった。

 自己中心的な私が嫌い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る