第37話 迷い子(前編)

「……ありがとな」


 大柄な少年が、ベンチに座る中性的な少女に向けて素っ気なく言った。

 そこは学校の中庭、園芸部が整えた花壇の前。潮山千次が彼女と一緒に多くの時間を過ごした場所だった。


 ただし、見える景色にはそこかしこに影がかかっている。

 そこにいるはずの彼女も顔がハッキリとは見えず、自らが発した声すら壁を隔てたように聞こえ難い。

 それはまるで、壊れかけの記録媒体を無理矢理再生しているようであった。


「この二年間、お前――悪くなかった」

「お? 急になんだ? もうすぐ卒業――今更ご機嫌とりか? らしくない」

「本心だよ。今から――でな」

「どうした? 遠回しじゃ――言わなきゃ――ないぞ?」

「俺は、お前を――なんて思ってない。……お前が――」

「…………んお? な――なんだ、おまえずっとそんな下心――たのか? この――! ……なーんて、あたしも人の――けどな。あたし――だ、潮山」


 ぼやけた映像とノイズだらけの音声が、思い出を塗り潰して隠してしまう。

 彼女はどんな顔で、どんな言葉を言ったのか。

 虫食いの記憶は語らない。かつての思い出は削りとられ、消えてしまっていた。

 いや、自ら捨ててしまったのだ。外道には相応しくないと。その資格がないと。


 大切な思い出なのに。

 そのはず、だったのに。






 夜も遅い時間であるのに、それに反して光は目映く声は飛び交う。明るく賑やかなそこは、繁華街。

 世界の変化以前より減ってはいても、陽気に騒ぐ人々がいる。様々な人間の集う社交場の一つとして、変わらずに存在していた。

 だからこそ、この日も普段と変わらぬ出来事が起こる。


「ああん? なんだテメエ、俺に喧嘩でも売ってんのかぁ~?」


 パッと見ただけで分かる程に酔っ払った男性が、軽く肩のぶつかった青年に絡む。

 夜の町に付き物の小さなトラブルだ。それを心得ている通行人は関わらぬよう、遠巻きに眺めている。

 ただ、それは青年も似たようなものだった。

 慣れているのか度胸があるのか、困った様子もなく落ち着いていた。相手の顔を見て、冷たく静かに謝罪の言葉を返す。


「すいません」

「んん? なんだその態度はぁ~? 文句でもあんのかぁ~?」


 しかし、酔っ払いに理屈は通じない。

 冷静な対応が気に入らなかったらしく、酔っ払いはしつこく絡み続けた。しかも言葉だけに留まらず、乱暴に肩を掴む始末。

 だが青年はあくまで動じず、それどころか何の感情も読み取れないような無表情をしていた。そのまま酔っ払いの腕を軽く掴み返す。

 そして、


 そんなトラブルの途中。畳み掛けるようにして、更なるトラブルが唐突に起きた。






 人工の光も喧騒も消えた、黒く暗く陰惨な風景が広がる。エンカウントにより移動させられたそこは、魔界。

 戦士達は五人。こちらに来た影響で酔いの覚めた酔っ払いの男性と、絡まれていた青年。それに近くにいた通行人も含めた数だ。


 現れた魔物は、地面から生えていた。

 太い茎からは棘だらけのツタが何本も伸び、巨大な筒型の花には牙さえ見えて口のよう。食虫植物ならぬ食人植物であった。


 魔物は基本的にどれもが異様でおぞましい外見をしている。慣れていても覚悟があっても、一瞬はたじろぐ程度に。

 だがこの魔物に、威圧感も恐怖感も一切抱かなかった人物がいた。


 理不尽に絡まれていた大柄な青年である。

 彼は魔物の位置を確認するなり、揉めていた男性達をその場へ置き去りにして魔物へと直進していったのだ。先程とは打って変わって好戦的過ぎる行動だ。


「オイ、勝手に飛び出すんじゃねえ!」


 今はチームワークが重要な戦闘中。これには流石の元酔っ払いも声を荒らげて注意した。他の道連れも慌てて呼び止めようとする。


 しかし青年は全く耳を貸さず、駆ける足も鈍りはしなかった。

 むしろ二刀のナイフを強く握り、表情は殺気めいた剣呑な気配を帯びる。身も心も完全な戦闘態勢。

 そのまま一人で魔物の攻撃範囲、危険区域へと突入した。


 魔物は根があるからか動かない。そのかわりにツタを鞭のようにしならせている。

 そのリーチを活かし、魔物が先手を取った。血気盛んな若者にツタが殺到。その殺傷能力を発揮しようとする。


 だが、後手である青年の動きの方が数段速かった。

 軌道を見切り、体に届く前に全てを切り刻む。四方八方、何処から来ようと問題無い。目にも留まらぬ両手のナイフで手早く処理していく。足元を狙ってきたツタも、靴底で踏みつけ擦り潰す。

 向けられる敵意全てを、的確に淀みなく徹底的に挫いていた。


 そして攻め手が減ってくると、迎撃に余裕が生まれた彼は前進していく。

 とはいえ距離が縮まれば、今度は大口が迫る。牙の揃う、ツタ以上に危険な部分が。


 自分を飲み込もうとする闇。それを目にしても青年は怯まず、流れるように一旦体を低く沈める。

 そこで右に持つナイフの握りを変えた。順手だったものを逆手に。

 次いで反撃。下から上へ、全身を飛び上がらせながら右腕を豪快に振り抜いた。ナイフを加えたアッパーカット。

 斬撃により打ち上げられた筒型の花は無惨に散った。

 残るは茎とツタ。それも片っ端から構え直したナイフの餌食になっていく。

 間もなく魔物は活動を停止してたが、その事に気づかなかったのか青年の暴力はしばらく続いた。


 終始一方的なその戦いは、単なる殺戮でしかなかった。






「離してくれませんか?」

「……ぃっ!」


 エンカウントから帰還するなり、青年は冷たく要求した。

 すると酔っ払いは、その瞬間に酔っ払いでなくなっていた。赤ら顔が蒼白に。酔いが覚めるどころか、平常心を失って固まっている。遠巻きに見ていた通行人にすら、そんな恐れの感情が見られた。

 戦闘を終えたばかりだからか、それほど恐ろしい殺気めいた雰囲気を青年は未だに纏っていたのだ。


 故意ではなかったようだが、それで解放された青年はこれ以上相手に関心を示す事は無かった。

 冷たい気配を放ちながら、人より頭一つ分は高い大柄な青年は夜の街を歩いていく。




 潮山千次はあの殺人を犯してしまった日以来、生きた人形のように無味乾燥な毎日を送っていた。

 昼は惰性で大学に通い、夜は無意味に街を彷徨う。ただそれを無感情に繰り返すだけの生活を、何日も何日も。

 復讐の為だそいって鍛えていた頃の方が、まだ人間らしかったとさえ言えるかもしれない。


 胸に満ちる罪悪感が千次にそうさせていたのだ。

 エンカウント中の殺人。彼女への裏切り。

 彼が抱えるのはどれも、裁かれる事のない罪。だからこそ苦悩し、苦しんでいる。


 わざわざ夜の繁華街を歩いているのは、トラブルが起こりやすいからだ。揉め事があれば積極的に仲裁に入り、時には身に付けた暴力をもって解決する。

 無論仲裁は正義や善意からではない。

 だが、彼自身にもそれ以上は分からなかった。


 外道が八つ当たりの相手を探しているのか。罪人が罪滅ぼしの方法を探しているのか。あるいは、死に場所を求めているのか。

 候補は浮かぶものの、断定出来ない。

 ただひたすらに迷い、彷徨っている。


 かつて道を示した彼女を、残した思いを、千次が捨ててしまったせいだろうか。




「あーあー、そこの君?」


 千次が幽鬼のように歩みを進めていると、突然気の抜けるような声をかけられた。

 そちらを見れば、相手は制服を着た壮年の警官。

 確認した千次は嫌そうに顔を歪める。


「……またか」


 その顔に見覚えがあったからだ。

 夜の出歩きで喧嘩騒ぎになる度に会っている男。この馴れ馴れしいともいえる調子が苦手であった。


「『またか』ってのぁ、そりゃオジサンの台詞だなあ。恐ろしい顔の不審者がいるからって来てみりゃあ、知ってる恐ろしい顔だったんだから」

「……それなら見逃してくれるのか? 知ってる顔なら不審者とは呼ばないだろ」

「んー。そうは言われても。お巡りさんである以上、一般市民を怖がらせるような人間を放置は出来なくてねえ。まあ、色々と調べてきた訳だよ」


 その不穏な台詞を聞き、千次は警戒して眉根を寄せる。

 相手もその警戒心に気づいた様子。それでも彼はあくまで口調を変えず、気軽な調子で話を続ける。


「お前さん、向こうだと余計に不審人物、いや危険人物になるんだってねえ。随分とまあ、危なっかしい戦いをするらしいじゃないか」


 煽っているともとれる問いかけに、千次は反論しない。

 怯えの視線は先程経験したばかりだ。彼にも自覚はある。

 だからなんだ、と殺気めいた眼光で睨むだけだ。


 そんな視線も、飄々とした雰囲気の警官には緩やかに受け流された。それどころか心配するように喋りかけてくる。


「他人に実害を出さないのは構わないよ。だがね、自分はどうなんだ。死にたいのかい、お前さんは」

「ああ、別にいい」


 それは間髪を入れず、淡々と言い放たれた。

 ずっと悩んでいた迷いを改めて口にしてみても、そこに躊躇や未練はない。

 千次とて死にメリットがあると考えている訳ではない。罪を犯した彼は死しても彼女に会えないしそれで償えもしないだろうから。

 ただ、どうせ生きていても迷っているだけ。どちらにせよ同じ事だ。

 だからやはり、答えは「どうでもいい」だった。


「……そうかい」


 その囁きには今までの馴れ馴れしさが抜け落ちていた。おかげで気安い表面の下にあった、本気の心配が窺える。

 それから更に、彼はまぶたを閉じてしばし沈黙する。その様子は何処か厳かで、千次の代わりに祈っているようにも感じられた。


 赤の他人に、何故。

 千次は疑問を抱き、今の内に立ち去ってしまおうとは思えなかった。その答えが重要な何かでありそうな予感が、足をその場に引き留める。


 惑う若者の前で、奇妙な大人は再度目を開く。すると彼の顔は微笑みになっていた。

 ただし微笑みといっても、切なげで寂しげで慈しみすら感じるもの。まるで心を見透かされるような表情だった。


「そう思っちまうのは、やっぱり……止めてくれるあの子が、もう居ないせいかい?」


 あの子。

 それが誰を指したものなのか。千次にしてみれば一人しかいない。警官の方も恐らく間違えてはいないだろう。

 不意を突かれた千次は、瞬時に凄まじい反応をした。


「……ッアンタはなんだ? 一体、何を、どこまで知ってる?」


 警官を威圧するように詰め寄り、尋問するように凄む。

 その顔はもう生きた人形ではなく、救いを求めて必死に足掻くちっぽけな人間のそれになっていた。


「やあっと興味を持ってくれたみたいだねえ。それじゃあ……場所を変えて、ゆっくり昔話でもしようじゃないか」

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