第30話 不死者

 空は分厚い暗黒。大地は血塗れて錆びて汚れた荒野が、地の果ての不気味なシルエットまで続く。岩や草木も全て異質な形で現実味が無い。何かが腐ったような臭いやジットリした空気の感触さえも、未知な不安感を演出している。


 魔界。

 世界の改変により人々の生活に組み込まれた、戦場である。

 今この時もエンカウントが起き、二人の男が招待されていた。


 そして彼らは熱い戦いの真っ最中だった。


「どうだ? まだ手はあるか?」

「ぬ、うう……む」


 挑戦的に問う坊主頭の男と、悩ましげに唸る長い金髪の男。対照的な彼らはどちらも若く、同年代に見えた。


 膠着は長い。

 強敵を相手にしても、金髪の男は必死に考えを巡らせている。だが、とうとう諦めてしまったのか、はしたない大声で叫びをあげた。


「ぐあぁぁ駄目だ! クッソ、また猿渡サルに負けたぁ!」

「はっはっは。そんなんじゃいつまで経っても勝てないんじゃないか、乾」

「なんでそんなに強えんだよぉ!」

「まあ、ひとえに経験の差だな」


 二人の男は魔界にいるとは思えないような和やかさで平和に会話をしていた。

 それもそのはず。彼らが行っていたのは平和な戦いだったからだ。


 彼らが見下ろしている物は、地面を多くの四角に区切った枠線と辺りの岩を小さく砕いて文字を刻んだもの。

 手作りの将棋盤と駒である。ついでに言えば、周りには他にも石器めいた様々な遊び道具が転がっている。


 金髪の男が乾。坊主頭の男が猿渡。彼らは鎧を脱ぎ武器を放り捨てて遊んでいたのである。

 魔物から逃げ、深い穴を掘って中に隠れて。息を潜め、見たくない現実から目を逸らして。ずっと、ずっと。

 そんな無為な時間を、どれだけ過ごしてきたのか。


 手作り駒を並べ直す途中、坊主頭の猿渡が世間話のように話を始めた。


「……これで、将棋も百戦は越えた。今は一体、何日目になるんだろうな」

「さあなー。ここが無人島なら毎日印つけて数えるんだけどな。ずっと夜だから分かんねーや」

「そうだ。分からなくなるくらい、俺達はここにいる」

「ん? 急にどうした、変な事言って。持病の発作か?」

「……それだけ時間があれば、充分だとは思わないか?」

「んん? 回りくどいのは止めろよ。ハッキリ言え」


 厳しく促されるも、躊躇する猿渡。目を逸らし、口ごもる様子は先程の乾より遥かに思い悩んでいるように見えた。それを察してか、不思議な顔をする乾も余計な事は言わない。

 長い沈黙の中、石を動かす音が異様に響く。


 やがて時間が経ち、決心をつけたのか、猿渡が顔を上げ真っ直ぐ相手を見据えた。

 そして、淡々と切り出す。


「……もう、止めよう」

「あん? 勝ち逃げする気かよ」

「違う、将棋じゃない。ここに居座る事をだ」


 その提案を耳にした乾の反応は凄まじいものだった。

 手作り盤に拳を叩きつけ、威嚇するように激しく音を立てたのだ。額には血管が浮き、瞳孔が開いている。それが示すのは理性に勝る、激情。


「……あ? 何言ってんだ。最初に決めただろ。あんなもん無視して生き残るって! おれは生きたいんだよ!」

「ああ。その時は俺も決断出来なかった。だが、ようやく覚悟を決められた……いや、受け入れられたんだ」

「ハッ、やだね。サルの意見がどうだろうと、おれは死にたくねえんだよ」

「このまま生きててもなんにもならない。死んでるのと変わらないだろう」

「別にそれでいい。おれは恐えんだよ」


 そう言った乾は全身をかすかに震えさせていた。怒りで己を誤魔化しながらも、虚勢の下では死への恐怖に震えていた。

 対する猿渡は静かに、しかしやはり恐怖を押し殺したような固い声で語る。


「そうか。おれはここに閉じ籠ってる方が恐い。いつか自分ってものが壊れそうでな」

「なんだそりゃ。壊れても死ぬよりはずっとマシだろが!」

「だったら、お前は思い出せるか? ここに来るまでの生活を。一緒に過ごしていた人の顔を」

「……っ!」


 指摘され、乾はハッと気づいたように目を見張った。

 図星の表情。思い当たる節があったのだろう。


 時間の流れが記憶を遠くへ置き去りにしていく事に。


「だから、その前に、止めよう」


 表情や仕草から、乾が揺らいでいる事は容易に想像できる。だからその生じた迷いを突いて、猿渡は穏やかな語り口で説得を試みた。


 だが、彼の想定以上に、乾の意思は固かった。


「断る。一人で行ったら強引にでも止めるぞ」

「おい、いい加減に……」

「わかんねえか? おれはお前にも死んで欲しくねーんだ!」


 熱く激しい、真っ直ぐな叫び。隠れている穴に反響し、二人を体ごと振動させた。

 今度は猿渡が気圧されたように押し黙る。

 ややあってから、皮肉げな笑みを伴いつつ口を開いた。


「……よく言うよ。最初の頃は『お前のせいだ。許さねえ』なんて喚いてた癖に」

「……もう思ってねーよ。短い付き合いだかな」

「ああ。本当に、短い付き合いだ。戻れば一瞬程度の。だが、濃厚な一瞬だ」


 猿渡は顔を上げて鑑賞には不向きな空を、過去を懐かしむように見つめた。つられて乾も同じよくに見上げる。

 常にそこにあった景色を見て、二人して思い出しているのだ。逃げ隠れする生活を決めてから、今までの時間を。


 そして二人の目は再び前へ、お互いの顔へと向く。


「俺もそうだ。生きたいし、生きて欲しい。だからこそ、可能性に賭けてみないか」

「……可能性、か……そりゃ、おれだって戻りてえよ。でもよ、可能性ってのはどんだけの確率なんだ!? 生き残れる保証はあるのかよ!?」

「保証は、ない」

「だろ!? じゃあ無駄死にじゃねーか!」

「ここにずっといたら、無駄死にすら出来ないだろう。長く長く、全てを忘れるまで生きるだけだ」


 再びの指摘。

 猿渡が突きつけた未来は、まさしく壊れた人生。死と同様に未知で恐ろしいものだった。

 乾の顔は混乱と葛藤のせいか、元の顔が分からないくらいにグシャグシャになっていく。


「おれは……最初嫌だったんだ。知らねえ男と二人でなんて、居心地悪くてよぉ。でも、仕方ねえから、せめて楽しくやろうって……色々考えたなあ……」

「ああ。助かった」

「それは大体、ダチに教わったもんなんだ。いつも爆笑させてくれる面白い奴がいてよ。歌がプロみたいに上手い奴もいてよ。手先が器用な奴もいてよ……」

「ああ。知ってる」

「だよな。何回も自慢したもんな。……ああ……また、あいつらに会いてえよ……」


 その最後の呟きには、薄くとも光のように明るい響きがあった。それはようやく夜が明けた、日の出の瞬間にも似ていた。


 ゆっくりと、全身に己の意思を行き渡らせながら、乾は立ち上がる。


「……もし、もしだけどよ……おれになんかあったら、残ったモンは頼む。」

「縁起でもない。自分でやれ。そう誓え」

「ははっ。厳しーな、オイ……なら、お前もだ。死ぬなよ」

「ああ、そのつもりだ」


 剣呑な話題を軽口めいたやりとりで済ませた二人は、まさしく長い時を共に過ごした親友、戦友だった。


 話は決まった。あとは行動に移すのみ。

 両者は久々に鎧を身に付け、武器を手に取った。鈍った体をほぐし、得物を素振りして感触を確かめる。

 そうして準備を終えた彼らは、覚悟を決めた戦士の顔つきで安全な場所から出ていった。偽装用の岩をどかして道を確保し、見慣れた色合いの荒野を進む。


 その先には、小さな鳥めいた異形がいた。小突けばアッサリと倒れてしまいそうな、か弱い見た目の魔物だ。更に言えば羽の上に重石を乗せられ動きを封じられていた。

 そして、その魔物は二人が一回ずつ攻撃しただけで、呆気なく動きを止めてしまう。


 二人の戦士に、永かったエンカウントから帰還する瞬間が訪れるのだった。






 月が高く浮かぶ深夜だった。

 だからその交差点には人も車も通らず、静かな空気が停滞している。周囲の建物からも明かりは漏れておらず、まばらな街灯がぼんやりと照らすばかり。

 その為、道路上で発生したとある出来事に気づいた者は、当事者以外誰もいなかったのである。


 そして、その二人の当事者は危険な状態にあった。

 体から血を流し、グッタリと道路に倒れているのだ。近くには破損が目立つ二台のバイクが転倒している。

 誰が見ても事故現場である事に疑いはなかった。


 坊主頭の男、猿渡の目は閉じており、指先すらピクリとも動かない。顔色も悪く、明らかに危険な状態である。

 だがもう一人の金髪の男、乾の方は意識があった。猿渡と同様、出血があり顔色も悪いが、力を振り絞って行動していた。


 彼は危なげな手つきでなんとかスマートフォンを取り出すと、途切れ途切れの息遣いで救急車を呼ぶ。

 それからもう一人の男の方を向くと、必死の形相で、小さい音量ながらも力のこもった声をかけるのだ。


「……絶対、生き残ろうぜ……相棒」

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