第28話 喪失者(前編)

「ちっくしょぉー! アタシのどこが悪いってのよー!」


 頭に響くような高い音が鳴り、テーブルが揺れる。アタシは飲み干した缶ビールを叩きつけながら大声で愚痴っていた。

 アルコールで荒れた声が古いアパートの一室に反響して、寂しさをより一層引き立てる。虚しい。

 突っ伏したテーブルにはまだまだ缶ビールが幾つも積んである。一緒にコンビニで買ってきた焼き鳥やスルメも。

 誰がどう見てもやけ酒なこの惨状は、事実としてその通りだった。


 理由を聞けば同情してくれる人は多いと願いたい。最近はとにかく酷かったから。

 まず、長年付き合っていた彼氏に浮気されたあげくフラれた。それから、お金を貸した友達も音信不通になった。ついでに仕事もクビになった。それから空き巣に入られ、色々と盗まれた。他にもまだまだエトセトラ。

 人間関係もボロボロ。金銭的余裕もない。

 なにもかもを失って、今のアタシに残るのは僅かな預金だけ。それも衝動的なやけ酒でそこそこの額を使ってしまった。

 自分でも馬鹿だと分かってる。

 でも、虚しい。寂しい。やりきれない。

 だから酒の力で誤魔化すしかなかった。


 とはいっても、誤魔化すにも限界はある訳で。


 なんだかあまりに虚しすぎて、とうとうある考えが頭に浮かんでしまう。


「うぅ……こうなったらもう、死んでやるぅ……っ!」


 私は熱い頬に涙を流しながら、そう口にしていた。嘆きと絶望と喪失感から生まれた願望を。


 酔った勢いかもしれない。

 でも、それでも構わなかった。

 本気だ。本気で人生がどうでもよくなっていたから。


 そうと決まれば考えないといけない事がある。

 さて、どうやって死のうか。

 出来るならなるべく痛くなくて苦しくないのがいいんだけど。






「あれ?」


 ぼんやりする頭で必死に悩んでいたアタシは、ふと景色が変わっている事に気づいた。

 そこは怖くて汚くて気持ち悪い場所、魔界。つまりエンカウントが起きた訳だ。


 酔った頭が冴えてきた。

 これまでの経験で染み付いた習慣から、反射的に脅威の度合いを確かめる。

 いつも通り、少し離れたところに魔物はいた。

 足の先が刃物になっている、カマキリとクモが混ざったような見た目だった。ただでさえ不愉快な虫と魔物が合わさって、非常に気持ちが悪い。


 ただ、殺傷力がありそうなのは丁度よかった。


「ああ……うん。これでいいや」


 酔いが覚めても考えは変わっていない。覆す気はない。

 これで悩みが解消された。


 あの刃は痛いだろうし、即死出来ないかもしれない。

 ただ、自殺じゃなくて「エンカウントでの敗北」ならば、後の世間体的にも好都合だ。

 だから、アタシの人生はこの魔物に終わらせてもらおう。そう決めた。


 下手な抵抗はしない。

 目を閉じ、力を抜いて、棒立ちでその時を待つ。

 早く早く。待ち遠しい。

 これから痛い目に逢うというのに、期待に胸が膨らむ。

 見えなくてもカサカサという音で魔物がこちらに移動してくるのが分かる。蜘蛛が動く音なんて本当なら気味悪いだけなのに、今だけは出発を盛り上げるドラムロールにも聞こえた。


 ようやく終わる。

 虚しさからの解放の為、全てを受け入れようと無防備な状態を晒し続け――


「お姉さんっ!」


 結果、受け入れたのは若い女の子の声だった。


 それに、風を切る音と耳障りな虫っぽい鳴き声も続く。

 どうやら思い通りに事は進まなかったらしい。

 ガッカリ気分で目を開くと、足を一本切られた魔物が見えた。そして剣と革の鎧で武装した、アタシより小さめな人間も。


「ちょっとお姉さん、なにボーッとしてるんですか! 危ないですよ!」


 アタシの邪魔を――命を助けてくれやがったのは、快活そうな女の子。我らが安アパートのお隣さんだった。

 名前は忘れた。確か独り暮らしの専門学校生だったはず。

 未成年。未来と希望を持った若い学生。今のアタシと真逆の存在。なんだか無性に腹が立ってくる。


 さて。余計な事をしてくれたこの子にどう対応するか。

 正直に「死にたいんです」と言う訳にはいかないし、この子に不意打ちをかまして強引に突破するのは流石に気が引ける。ひとまずは無難にやり過ごすべきだろう。

 アタシは虚ろな本心を外向けの顔に隠し、平然と嘘をつく。


「ちょっと仕事で疲れてて……アリガト、助かったわ」

「もう。これからは気をつけて下さいよ。ここは危ないんですから」


 お隣さんは厳しさを含んだ調子で注意をしてきた。

 現代人らしくアタシ達の関わりは薄い。だけどこの子はよっぽど育ちがいいのか、心から心配しているのが伝わってくる。

 ただ、年下に注意されるのはいい大人としてどうだろう。情けないというか腹立たしいというか、虚しいというか。


 アタシの複雑な顔には触れず、お隣さんはやる気に満ちた顔で発言する。


「今日は私が先頭に立ちます。お姉さんは出来る範囲で援護してください」

「ゴメンね、気を使わせちゃって」

「別にいいですよ。これぐらい。それじゃあ、行きます!」


 そんな宣言を合図に、戦闘は再開した。

 あの子は特におぞましい外見の魔物にも怖がらず、果敢に攻めていく。怪しまれないよう、アタシも妙な刃先の槍を適度に突き出しておく。

 外から見れば、アタシ達は同じ敵に立ち向かう仲間同士。

 ただし、考えている内容は正反対だった。


 正直な話。

 アタシは意地の悪いことに、あの子が危機に陥る事態に期待していた。ピンチになった時に飛び出してかばえば、死さえも自然な流れになるから。

 やっぱりアタシは敗北を望んでいたのだ。


 ただ、そんな事もなく魔物は倒れてしまった。お隣さんはやる気に合わせて充分に強かったのが原因か。


 それでも、この場はとりあえず誤魔化せただけよしとする。

 そう。

 今すぐである必要はない。ゆっくり待てばいいだけの話だ。

 この子がいない、その時を。






「はあ……お腹空いたなあ……パン耳は飽きたしなあ……」


 テーブルに突っ伏したアタシは深く深くため息を吐いた。薄い壁に腹の音が反響してくる。虚しい。


 死のうと決意したあの日から一週間。

 アタシはまだ生きていた。

 金欠による空腹に耐えながらも、辛うじて。大家さんが情けをかけてくれなかったら更に悲惨な状態だったろう。


 この部屋にいたらお隣さんが頑張ってしまうし、アパートの外でも誰か他の人がいれば魔物は倒されてしまう。

 昼間の学校がある時間ならお隣さんはいないのに、そういう時に限ってエンカウントは起きない。

 どうしてこうも運が悪いのか。

 早くこの虚しい苦しみから開放されたいのに。


 お隣さんの無邪気な心配がまた辛い。

 あの子には「また危なかっですね。お姉さん、ちゃんと休んだ方がいいですよ?」なんて、今日もついさっき心配されたばかりだ。

 これではどっちがお姉さんなのやら。


 考える事はまだある。エンカウント以外にも、新たな問題をどうにかしないといけない。

 蓄えももう底をつきかけていて、仕事は見つからないのだ。

 このままではエンカウント以外の、それも最悪な部類の理由であの世に行ってしまう。


「餓えて死ぬのはやだな……」


 アタシはまさか生涯で使うとは思ってもいなかった独り言を口にした。


 その時。

 ぴんぽーん、と。

 まるで小馬鹿にしているような高らかさで玄関のチャイムが響いた。


 無性に嫌な予感がする。

 正直無視しようかと思った。

 だけど、ぴんぽんぴんぽんぴんぽんと続いて、凄くうるさい。悪質な嫌がらせだ。

 無視し続けるのは至難の技。

 仕方ないので、動くのも億劫な体を無理矢理働かせてドアを開ける。


「こんばんはー」


 するとドアの前にいたのは若い女の子だった。

 予想通りに例のお隣さん、宇佐見うさみだ。ここ数日の一方的な因縁のおかげで一応名前は覚えた。

 その子は軽く頭を下げ、申し訳なさそうに話しだす。


「すいません、こんな時間に。でも、お姉さんにちょっとしたお願いがあって」

「……お願い?」


 面倒だ。鬱陶しい。早く帰れ。

 そういう思いをなるべく詰め込んだ声音でアタシは聞き返した。

 なのにこの子は、そんな拒絶もはねのけて、無邪気な笑顔を見せてくる。


「お姉さん、いい大学出てるって聞きましたよ。よかったら勉強教えてくれませんか?」

「うーん、ごめんね、疲れてるから」

「あ、今日じゃなくてもいいんです。時間がある時で」

「でも、何年も前だから忘れちゃってるかも……」

「そんな事言わないで下さいよ。お礼だってしますから。私、調理師志望なんで料理は得意なんです。見た感じ、ロクに食べてないんじゃないですか?」

「う……それは、そうだけど……」

「だったら決まりですね。いつなら空いてますか!?」


 結局魅力的な見返りに押されてしまったが、アタシは人懐っこい笑顔に身構えていた。頬が引きつりそうになるのもなんとか堪える。

 表面上はただのぶしつけなお願い。

 だけどアタシはその裏にある意図を正確に察した。


 このお隣さんは、アタシが死のうとした事を理解した上で、死なないように監視、あるいは説得して止めようとしているのだ。




 全く、このお節介なお人好しめ。

 面倒な事になったものだ。

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