主役は柿崎?〜好きと言えないモブ男の受難〜

松浦どれみ

第1話 俺はモブ男なのか?


高砂たかさごミイナです。よろしくお願いします」

「あ、か、柿崎かきざきタツキです。よろしく……」

「柿崎くん、高砂さんは君と同じ高校一年生だよ。仲良くね」


 何となく暇で始めたバイト先。

 彼女の声を聞いた瞬間から、その後自分が話した言葉も、店長の声も聞こえなかった。


 ツヤツヤの黒い髪のポニーテールに血色が良さげなピンクがかった白い肌。黒くて大きな瞳のパッチリとした目。赤く色づいてふっくらと柔らかそうな唇。少し高めの可愛らしい声……。

 可愛いなとか、綺麗だなと思う子は何人かいたことがあるけど、笑顔一つで頭が真っ白になるくらいに全部が吹き飛んで、心臓を直接鷲掴みされるような感覚は生まれて初めてだった。

 ——十六年生きていて、俺は初めて恋をした。



◇◆◇◆


「ちょっと、カキ! 十番のウーロン茶、ホットって言ったよね?」

「ああ、悪い。すぐ作る!」

「忙しい日でもないんだから、こんなミスしないでよ。仮にも先輩なんだから」

「すみません……」


 一ヶ月前、ミイナに出会った時、まさか自分がこんな扱いを受けるだなんて思っていなかった。

 彼女は三ヶ月先輩だった俺より、すっかり仕事ができるようになっていた。

 そして、なぜか俺にだけ厳しかった。

「同い年だし、敬語とか使わなくていいよ」とカッコつけた結果がこれだ。そもそも、カキって呼び方は何なんだ? 俺は苗字も最後まで呼ぶ必要はないってか?


「ねえカキ! まだできないの?」

「あ、ごめん。もうできてる」

「もう、早くよこしてよ」

「はい……」


 もたつく俺から、ミイナはホットウーロン茶を受け取るとにっこりと笑う。僅かに俺の指先が、ミイナの白くて小さな手に触れる。


「よしっ! じゃあグラス食洗機入れて一休みね!」

「ああ、うん」


 どんなに雑に扱われても、やっぱりあの笑顔は俺の心を根こそぎ奪っていって、いつも息が苦しくなる。彼女に触れた指先がじんじんと、火傷でもしたみたいに熱い。

 この気持ちは恋で間違いないし、相当重症だ。けど、さすがに今の情けない状況じゃ告るなんて無理な話だよなあ。


◇◆◇◆


 今日は土曜日。学校は休みだから十六時のバイトまでゆっくり準備をする。

 ミイナも出勤の日だ。せめて身だしなみはしっかりしないとと、鏡に向かう。


「うーん。顔は悪くないと思うんだよなあ……」

「そうねえ。問題は中身と身長ね……」

「うわ! 姉ちゃん! 見てんじゃねーよ!」

「見られたくないなら、公共のスペースに出てくるんじゃないわよ。私、今日飲み会だから。早くそこどきなさいよ」


 洗面所じゃなくて、自分の部屋でやっていれば良かったと後悔した。俺の周りはなぜか気の強い女ばかりだ。虐げられて、抵抗する気力なんてもう何年も前に無くしている。俺はすごすごとリビングへ避難することにした。


「タツキ。あんたそういうところよ。気弱すぎる男はモテないからね!」

「な! ほっといてくれよ!」


 トドメまで刺さなくても……。自然と肩が落ち、背中が丸まる。そのままリビングのソファで膝を抱えながら時間を潰し、俺はバイト先へ向かった。


「おはようございます……」

「ちょっとカキ! 何で来て早々暗いの? 仕事はちゃんとしてよね!」

「……はい」


 どうしてこう、俺の周りって俺に厳しいの? でもやっぱり、今日もミイナは可愛い。


「あれ? ミイナちゃんは?」

「今は他のお客様のご注文を受けておりまして」

「マジかよ。俺ミイナちゃんが良かったのに。モブ男くん、とりあえず生四つ」

「……かしこまりました」


 ちなみに、俺だけがミイナを可愛いと思っている訳じゃない。世間一般から見てもアイドル顔負けの美少女だ。実際この大学生四人組も、毎週ミイナに会いに店に来ている。モブ男という訳の分からないあだ名も呼ばれ始めて三週間が経っていた。

 お客さんですら俺に対してだけ雑だ。この前モブ男と呼ばれたときなんて、別なテーブルから「たしかに!」と笑い声が聞こえた。酷すぎる。


「お客様、お飲み物の追加はいかがでしょうか?」


 大学生たちにビールを持っていった後、俺はもう一人の常連に声をかけた。おそらく注文はしない。


「い、いえ……。まだいいです」

「失礼いたしました。空いた皿をお下げします」


 サラリーマン風のこの男。節目がちで小太りな、何だか陰気なコイツもミイナ目当てだ。週四日は来店しているらしい。

 ミイナが入ってる日は決して彼女以外に注文しないし、いない日はサクッと飲んで帰宅する。あからさますぎるけど、あの大学生たちみたいにミイナちゃんと呼ぶことも、デートしようと声をかけたりすることもなかった。俺だって、心の中でしか名前で呼べないのに。


「すいません、ウーロン茶ホットで」

「はい! かしこまりました」


 あの男が通りがかったミイナに注文をする。ほーらね。ノンアルのくせに耳まで真っ赤。ロリコンなのか?


「カキ! ウーロン茶ホットひとつね! ホットよ。間違わないでよ」

「はいはい」


 さすがに混んできて、あの男も大学生も俺たちの勤務が終わる頃にはいなくなっていた。


「柿崎くん、高砂さん。お疲れ様!」

「「お疲れ様です」」


 さすがに深夜二時の閉店までは働けないから、高校生の俺たちは九時半で勤務終了だ。着替えをして、スマホゲームを少しプレイして、従業員出口から店を出る。

 街灯の灯りが等間隔に道を照らしているが、中通りは少し暗い。歩いていると、前の方に見覚えのあるシルエットが小さく見えた。

 ミイナだ。こんな道通って大丈夫かよと、心配して早足で追うと、公園の前で彼女の姿が突然消える。俺は全力で走った。


「高砂!」

「んんん!」


 不安は的中。誰かがミイナを押さえつけて、口を塞いでいる。頭に血がのぼる。さらに加速して、そいつ目掛けて体当たりをした。


「お、お前は!」


 常連でミイナ目当てのロリコンサラリーマンだった。


「す、すいません。警察だけは……すいません!!」


 言うだけ言って、そいつは走って逃げていった。俺は座り込んでいるミイナに手を差し出した。


「高砂! 怪我ないか?」

「……大丈夫、肘擦りむいただけ」


 ミイナの肘は、地面に擦ってしまったのか擦りむいて血が流れている。「この状態で家に帰れない」という彼女の手を引いて、俺たちはまた店に戻った。


 あれ今、これって手を繋いでるんじゃないか?

 危ないところを助けられて恋に落ちる、みたいなの漫画とかならあるよな?

 不謹慎だけど、もしかして、ミイナに好きって言うチャンスなのか——?


「おう! どうしたんだ?」


 従業員出口の前には、ちょうど一服して戻るところの店長がいた。


「店長〜!! あたし、あたし……」


 ミイナが、俺の手を離し、店長の胸に飛び込んだ。店長もミイナの背中に手を回し、抱きしめるような格好だ。ん? どゆこと?

 俺は泣きじゃくるミイナにかわり、公園でのことを説明する。


「店長……。こわかった……」

「ミイナ、もう大丈夫。俺がいるから」

「…………」


 完全に、二人の世界だった。

 え? 苗字じゃなくて名前呼び? 何これ? そゆこと? でも店長って……。


「あ、柿崎くん。このことは……内緒でね」

「はい……」


 二人は腕を絡ませ、従業員出口のドアの奥へ消えた。

 こうして、俺の恋は告白することもなく終わりを告げた。

 人生は、漫画みたいにはいかない……。


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