第2話 二人だけの世界

「ねえ、ウンコ出た?」

「してねえし」

「じゃあ、おしっこは?」

「それもしてねえ」

「一人エッチで熱を発散したの?」

「……してねえよ。リアクターの温度が急上昇したから冷却水を蒸発させて温度を下げた。そんで水不足になったから水を補給した。それだけだ」

「え? ならトイレ関係なくない?」

「蒸気を排出する時に服を脱がなきゃいけないんだ。人前で脱ぐわけにはいかんだろう」

「ええ? あたしは全然平気だよ。アンタのあそこ、見てみたいし」

「見世物じゃねえよ」

「ふーん。で、さっき言ってたアミノ酸とか油脂の交換ってやったの?」

「猫獣人のくせに物覚えがいいんだな」

「あ、また差別した。猫獣人だってね、大事な事はちゃんと覚えてるんだよ」

「そうだったな」

「でさ、ウンコしたの?」

「してない」

「老廃物は排泄したんでしょ」

「……まあな」

「それ、何処から出るの? さっき言ってた蒸気は何処から出るの? ねえねえ。教えてよ」

「どこだっていいだろう」

「よくない。知りたい知りたい!」

「……ニンゲン……ト……オナジ……ダ……」

「よく聞こえない」

「……ニンゲン……ト……オナジ……ダ……」

「え? 大きな声で言ってよ」

「だから、人間と同じだって!」

「あは。やっぱりウンコだね」

「黙れ。お前には羞恥心と言うものが無いのか」

「うーん。多分ないよ。他の人がいれば気になるかもだけど、誰もいないし」

「誰もいないな」

「どうして誰もいないのかな」

「主な人は宇宙に逃げたし、残った人はみんな死んじゃったからだ」

「どうして?」

「きのう話しただろ? 2100年ごろから爆発的に広がったコロナウィルス感染症が致命的だった。2020年代に接種したmRNAワクチンのおかげで次世代以降の免疫力が崩壊(注)し、様々なタイプのコロナウィルスが容易に感染症を引き起こしたんだ。最終的には致死率が90パーセントを越えた」

「うん。聞いたことがある」

「そのウィルス感染症から逃れるための選択肢は三つあった。一つ目は体を機械化する事。二つ目は獣人化してウィルス耐性を持つ事。三つめは宇宙へと移住する事だ」

「うん」

「日本人の殆どは宇宙へと移住した。月軌道に同期している七つのコロニーにな。ユーラシア大陸では機械化した人と獣人化した人が半々だった。大陸の覇権を争って、機械化人と獣人の間で戦争が起こったんだ」

「うん」

「双方が相手にとって致命的な生物兵器を開発した。獣人の生殖機能と知能を奪うmRNA製剤は空中散布するだけで絶大な効果を発揮した。アルミニウムを食う軽金属腐食バクテリアは機械化人を次々と錆びつかせたし、集積回路にまで入り込んでAIを沈黙させた。それでみんな死んじゃったんだよ」

「うん」

「アフリカ大陸では獣人化も機械化も間に合わず、殆どの人がウィルス感染症で死亡した」

「うん」

「オーストラリア大陸はスペースコロニーが落下して壊滅したし、北アメリカでは政争が続いて決断が遅れた。エリート層は早くに宇宙へと脱出したし、一部の人は機械化して少数が生き残っている。逆に、南米では獣人化が多く行われた。これも対処が遅かったため人口は激減したんだけど、少数の獣人が自然と共生する大陸となった」

「うん」

「俺たち以外で日本にいるのは、知能の無い獣人と壊れた機械化人だけだ」

「うん。ぜんぶ聞いたことがあるよ。私たち二人は特別だって」

「でも、忘れてたんだろ」

「うん。覚えてると辛いから」


 そう言って俯くエリザの両目からは、涙の粒が幾つもこぼれ落ちていた。


(注)mRNAワクチン接種により免疫機能が壊され、近い将来に壊滅的な被害をもたらす……という説があります。作中では80年後にその壊滅的な被害が発生したという設定です。私自身はこのような説を信じていませんし、成人へのワクチン接種は可能な限り推進すべきだと考えております。作中ではワクチンの弊害を大仰に描いておりますが、当作品においてワクチン接種を否定する意図はなく、また、作者自身もワクチン接種を否定する意思はない事を明記しておきます。

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