放課後の帰路

 この街の学校は、基本的に授業時間が短い。その分内容を詰め込んでいて、俺なんかはついていけなくなるわけだが、健康に不安のある者が多い満生台だから、合理的なことだとは思っている。

 そもそも滅多に登校できない生徒だっているのだ。盈虧園でも、河野理魚という女の子が年に半分以上も欠席となっていた。これは俺のオヤジルートで聞いた話だが、彼女には肉体的な問題だけでなく、精神疾患もあるのだとか。調子の悪いときは他の人に迷惑がかかるからと、彼女の両親が家に留めておいているという。それでも勝手に街を徘徊するときはあるらしく、結構怖い話ではある。

 ……盈虧園。欠け落ちた者たちの学び舎。

 ここはどうして盈虧という名称なのか。ずっと俺は気になっているのだけど。

 午前中の休み時間、偶然にも玄人が話題にし、そして双太さんが答えた意味。


 ――子どもたちの成長は山あり谷あり、色々経験することが大事。


 それは、あの施設も同じだったのだろうか。

 いや、ともすればこの学校もあの施設と同じ系列なのだろうか。


「……分っかんねえな」


 俺が呟いた言葉を、黒板に書かれた内容が分からないのだと勘違いされて、近くの席の龍美がニヤリと笑っていた。

 ……ムカつく。

 退屈な授業を昼寝で乗り切り、五時間目終了のチャイムが鳴る。これで今日は解放だ。

 来週から期末試験があるらしいが、俺にはあまり関係のない話だった。

 将来の不安が無いわけではない。漠然と、俺にできる仕事なんてあるのだろうかと考えたりはする。

 ただ、この街にいて、オヤジと暮らしていて。満足とはいかずとも、まあ生きていくことくらいは可能だろうと、ある程度楽観的にはなっていた。

 自分の未来に如何ほどの希望が残されているかは分からないが。

 生きていれば、何かしら見えてくるものはあるだろう。


「ふー、頭痛がすらぁ」

「あはは、寝てた人に言われても……」


 隣に来ていた玄人が苦笑する。こいつは良くも悪くも真面目だし、ちゃんと意味を持って授業に向き合ってるんだろう。

 俺からすれば、眩しい生き方だ。


「眠いんだから仕方ないだろ。……んじゃ、帰るわ」

「佐曽利さんの手伝い?」

「まあな。今日はメシ作る以外にもやんねえと」


 今日の当番は確か夕飯の他に、風呂掃除して沸かさないと行けなかったはずだ。

 夕飯の材料を買いに秤屋商店にもよらないといけないし、割と時間はとられる。


「大変だね。頑張って」

「そんなでもねーよ」


 昔なら怠いと文句を垂れてただろうが、今はそんなこともない。

 怠いのは授業と龍美の相手くらいだ。


「あ、そうそう。覚えてるならいいんだけど。……明日、昼から集合だからね」


 ……怠い予定だな。


「忘れてねーよ。んじゃな」

「ん、じゃあね」


 玄人の言葉を背に、俺はお先に下校させてもらった。

 明日の用事とは、俺たち四人が時折集まって励んでいる活動のことだ。

 集合場所は森の中という、普通の人が聞いたら耳を疑う所なのだが、俺たちは街の北に位置する【黒い森】の中で、誰にも秘密でとある工作活動を行っているのだった。

 正直なところ、俺はそこまで役に立っている感はない。けれども仲間だと口を揃えて言ってくれる奴らがいるから、行かないという選択肢はなかった。力仕事くらいならいくらでもしてやろう。頼られるのなら、応えるのが筋というものだ。


「暑っちいなー……」


 夏の陽はまだ高い。早く帰りたいところだが、早歩きなんて出来ない俺は汗を拭いつつ懸命に進むほかない。帰ったら部屋のエアコンを効かせて冷たいジュースでも飲もう。そんなイメージを拠り所に、逃げ水の生じる道路を歩いていく。

 街の中央広場に差し掛かったとき、広場内の長椅子に老夫婦が仲良く腰を下ろしているのが見えた。この暑さが堪えるので、休憩中なのだろう。基本的に広場の端は木が植えられていて、陽射しが遮られるところが多くあった。

 広場の中心には、俺の身長よりも高い記念碑が立っている。あれは街に点在する道標の碑とは違い、平成になって設置された新しいものだ。道標の碑に倣い、牛牧さんが立てた物だと聞いたことがある。

 特に言葉が刻まれているわけでもない、つるつるした御影石の碑だが、俺はそれを綺麗だと感じていた。電波塔を街のシンボルにすると最近はよく謳っているが、この記念碑だって十分にシンボルだと思う。地元住民は猶更、こちらが好きだろうな。

 広場を過ぎれば秤屋商店だ。この街唯一のお店で、食材や日用品だけでなく色々な物が取り揃えられている。

 流石に満ち足りた暮らしをスローガンとしている以上、いずれはスーパーマーケットなどを誘致したりはするのだろうが、今のところ満生台はこの秤屋商店がライフラインだ。

 店主は若干ニ十歳の秤屋千代さん。父親の体調悪化が原因で家業を継ぎ、元気に店番をやっているのだ。

 認められるならこういうところでバイトでもできりゃ、一応暮らしていけるのかなと考えたりもする。


「虎牙くん。こんにちはー」


 入口に立っていた千代さんが、俺に気付いて挨拶をくれる。


「おっす。調子はどうっすか?」

「ぼちぼちよー。暑いのにご苦労様」

「千代さんの方こそ」


 店内は冷房が効いているとはいえ、外の熱気も入ってくるだろうし、立ちっぱなしで接客をしている千代さんは毎日大変なはずだ。

 陳列する物の数も多いので、繁忙期にはバイトを募集しているが、いっそ常に募集していればいいのにと思う。


「今日の献立は何かしらね」

「そんな難しいの作らないっすよ」


 言いながら、俺は買い物のリストを千代さんに手渡す。他の人はこんなことするわけないが、俺は毎度千代さんに商品集めをお願いしていた。彼女もすっかり了解しているから、ふむふむとリストを読み込むと、すぐにリスト通りの商品をそのまま袋に入れてくれる。


「はーいお待たせ。今日はポトフってところかしら?」

「そんな感じっす。野菜とか切るだけでいいんでね」


 というわけで、佐曽利家の献立は大体千代さんに筒抜けだったりするのだ。


「ありがとうございましたー」


 千代さんが商品を詰めてくれた袋を手に提げ、俺は商店を後にした。

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