第22話 きのこ狩り

「本当にお帰りにならなくて宜しいのですか?」


「…ああ」


 ベアトリクスとヴァルデマーは『ハッハハッハ』と鼻息も荒くしっぽをブンブン振る犬と共に、森できのこを探していた。


 なんやかやでまだ王子は公国に居たりする。

 少し離れてエリクやクローディアス、公国の兵士数人が二人を護衛していた。


「あ、ございましたっ!」

 

 キノコ探しが得意な犬よりも早くベアトリクスが見つけたのは、緑のコケの間から生えた鮮やかな黄色いカンタレールあんずたけだった。見つけ出すたびにこの世の幸福を手に入れたかのようなベアトリクスを見ているだけでヴァルデマーの心が温かくなる。


(クローディアスは苦い顔をしているが帰国を伸ばして正解だった。公国にいるほうがベアトリクスと話しやすいし、ずっと供にいられる…)


 得意げにきのこをウルフバートでカットし、木製のピクニックかごに放り込む姿は幼女のようで微笑ましい。その年季の入ったかごにはいろんな色のきのこの絵が描かれているのできのこ狩り専用のようだ。

 ヴァルデマーがかごを見ているのに気が付いたベアトリクスは少し赤くなり、


「こちらのかごはわたくしが12の年に絵付けしました。公国で最も危険な毒きのこたちです」


と説明した。


「ど、毒きのこを描いたのか?」


 普通のきのこだと思っていたヴァルデマーは目を見開いた。


「そうなのです。この公国には数千から万もの種類のきのこが生えておりますが、その中でも食べられるのは100種類ほどしかございません。人体に悪影響のある毒きのこを口にしない為に図鑑から書き写したのですわ」


 そう言いながらも彼女は目ざとく針葉樹の湿った落ち葉の間から生えたカールヨハンポルチーニに手を伸ばしてさっさと切り取っている。

 かごの底にはリンゴンベリーこけももやブルーベリーも放り込まれていた。


「ベアトリクス、かごは俺が持とう」


「まあ、ありがとうございます、殿下!」


 いつもならば『大丈夫ですわ、わたくしが持ちます』などと言うところだが、きのこ狩りの興奮のせいか『やった!』と言わんばかりにベアトリクスはかごを王子に押し付けた。


 犬と公女の働きであっという間にかごはきのことベリーでいっぱいになった。


「もうそろそろ戻ろう。取り過ぎはいけないのだろう?」


「あら、最初にわたくしが申し上げたことを覚えていらっしゃったのですね。わたくしはすっかり忘れておりましたわ、ふふふ」


 満足げに笑う公女を前にヴァルデマーは無表情ながらも密かに胸をときめかせていた。このようにずっと誰かを見ていたいと思ったのは初めてだった。




「本日はわたくしの趣味にお付き合い頂きありがとうございました。こちらのシチューとピザに収穫したきのこが入っておりますわ」


 森から城に戻るとベアトリクスは急いで厨房にかごを持って行き、その夜の食事に使用してもらうようお願いした。自分が見つけたきのこを王子や皆に食べてもらいたかったのだ。


「うむ…美味いな」

 

 王子からその言葉が出ると、ベアトリクスは満面の笑みを浮かべた。


「それはようございました。わたくしもう公国でし残したことはございません。殿下は何かございますか?それとも帰国いたしましょうか?」


 明らかにクリストファ王が心配するので帰ろうと言外に言っているのはわかっていたが、また『我がまま』というものをを言ってみたい気持ちが膨れ上がっていた。

 王の跡を継ぐ王子として生まれてこのかた、『我がまま』を言ったこともないし言ってみたいと思ったこともない。欲しいものはすぐ手の届く場所にあり、すべてが先回りで用意されている人生だった。

 したいことを考える暇もないくらいすることが用意されていた。『皇太子』の生活をこなすのが彼の毎日だったのだ。


(ええい…思い切るのだ!)


「俺は…デーンでは見られない景色が見たい…あと、ロブスターを食べたいのだが…」


 俯いて答えたヴァルデマーは、きっと呆れているであろうベアトリクスを見たが、彼女は意外そうに王子を見てから、


「そうなのですね!では明日計画を立てて明後日出発いたしましょう。楽しみですわ。ロブスターも帰ってきたら食べられるようご用意いたしますわ、産卵前の雌は絶品ですのよ」


と当然のように答えた。


「よいのか…?」


「殿下はどこかを訪れて見たり食べたりしたいのですわよね?もちろんご協力させて頂きますわ」


 ホッとしたヴァルデマーは胸をなでおろした。


(ふう…良かった。しかし、このままだと『我がまま』というものがどこまで通用するのか試したくなってしまいそうで怖いな…)


「殿下はご身分が高いので今まで自由なご旅行はなさったことがないのですね。このような機会は最期でしょうし、お望みを出来るだけ叶えたいと思っております。もちろん、クリストファお義父様の許す範囲でですが」


 ずきりと痛む胸をヴァルデマーは押さえた。彼女はこの里帰りがヴァルデマーとの最初で最後の共に過ごす旅行だから出来るだけ楽しませたいと純粋に親切で言ってくれている。それが辛かった。


「…そ、そうか」

 

 そんな王子の気も知らず、ベアトリクスは嬉しそうな様子で手を合わせ、


「そうですわ!殿下にお見せしたい場所があります。そちらに船で参りましょう!」



と声を弾ませた。

 王子の後ろに控えているクローディアスはこの上なく苦い顔をしていた。この上なく嬉しそうな王子を見られるのは嬉しいが、予定の日程をかなりオーバーしている。この上延びるとなるとクリストファ王から叱責を受けるのは確定だった。




「ベアトリクス様、困ります!殿下に帰国を勧めて下さい」


 クローディアスの懇願にベアトリクスは不思議そうな顔をした。


「なぜ?」

「決まっているではないですか、私が叱られるのです!」


 それを聞いてベアトリクスはふふふと笑った。


「そのようなことは貴方が言えばいいではないですか。親友ですもの」


「今のヴァルが私の言うことなど聞くわけないのがわかりませんか!?」


 目の前で「今の…?」と首をかしげる公女にクローディアスはめまいがした。どうも王子がベアトリクスとべったり一緒にいられることに浮かれているのに気が付いていない。


「とにかく、この遠出を終えたら帰国を進めて下さい。貴女の言う事なら聞くでしょうから…あ、もちろんベアトリクス様も一緒にですよ!」


「はぁ…しかし殿下がお気の毒ですわ。この先この国に来ることもないでしょうし…」


 ベアトリクスが王子と離縁したら、公国に来る機会は多分ないだろう。だから王子にはこの国の良い所をたくさん見せて良い印象を与えておきたいベアトリクスだった。

 もちろん王子と一緒にいたい気持ちがあるが、それは一切外に見せないようにしていた。そんな彼女の気持ちなど、これからの両国の未来に何一ついい影響がないのは明らかなのだ。

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