第19話 家族

(眠れない…)


 ヴァルデマーは隣室が気になり過ぎて、身体は疲れたのに眠れなかった。まさかとは思うが二人が…と想像すると頭が沸騰しそうになる。


 重い身体をベッドから起こし、淡い光を放つランプを持って廊下に出た。

 真夜中の建物はシンと死んだように静まりかえっており、王子が心配するようなことは起こっていなそうだった。

 クローディアスに見つかって笑われる前に部屋に戻ろうとドアノブに手をかけたら、エリクの部屋のドアが開いて静かに人影が廊下に滑り出た。


「ベアトリクス…」


 白い夜着をまとった彼女は長い銀髪を三つ編みで一つにまとめて前にもってきており、デーン王国にいる時よりもずっとくだけた恰好をしている。それでも月の光を浴びた精霊のような彼女からは静謐な美しさが溢れており、ヴァルデマーは眩しくて思わず目を細めた。


「殿下、お眠りになられないのですか?」


「そなたこそ眠れないのか?」


 二人ともどこかそわそわしながら目を見合わせた。


「殿下の足音が聞こえたので出てまいりました。宜しければ気分転換に外を歩きませんか?」


 ヴァルデマーは彼女が自分の護衛で寝ていないと気がついた。自分の下衆な勘繰りに恥ずかしくなり、こくりと頷いた。




「…夏とはいえ夜は寒い。傷は痛まないか?」


「はい、わたくしは大丈夫です。傷はすっかりよいのでお気になさらないで下さいませ」


 ヴァルデマーは手にしていたランプを無言でそばの岩の上に置き、自分が羽織っていた上着をベアトリクスの肩にかけた。


「いえ、殿下が風邪を…」

「俺はいい。心配するな」


 彼女の心配を無下にシャットアウトした形になり、ヴァルデマーは口ごもった。しかしせっかく二人きりになれたので、一番に気になっていたことを口にした。


「…沼で泣いていたな。なぜか聞いてもいいか?」


 ヴァルデマーの問いに、ベアトリクスは少し迷ってから答えた。


「母と話していたのです。10年前に亡くなった母と心の中で…子供じみていて恥ずかしいのですが」


「いや、恥ずかしくなどない。そうだったな、ベアトリクスも母上を早くに…」


「身分の高い殿下のお母様とは全く違う、戦う母でした。しかしわたくしにとっては尊敬する母だったのです」


「そうか…俺が以前見識不足から『劣り腹』などと言ってしまい、傷ついたであろう。本当にすまなかった…自分の未熟ゆえの発言を今も後悔しているのだ。すまぬ」


 ヴァルデマーが立ち止まり、ゆっくりと頭を下げたのでベアトリクスは慌てて側に寄って袖の裾を引っ張った。


「前に申し上げましたがよいのです、本当のことですから。でもまだ気にされていたなんて困った殿下ですわ」


「いや、どれだけ謝っても足りないくらいだ。俺の一番大切なモノを覚えているだろう?母をけなされるのは誰であっても辛いという簡単な事さえわかっていなかった。俺の傲慢を許せ」


「ふふふ…」


 ベアトリクスは微笑んで頭を下げたままのヴァルデマーの頬に手を添えて頭を上げさせた。


「本当のことを申し上げます。殿下のおっしゃる事は間違っていないと頭ではわかっていましたが、心の底では酷く腹が立ちましたわ。わたくしと母は殿下に見下されているのだと…。10年前に公国で反乱があり、母はわたくしとエリクを秘密の通路から逃がして戦って亡くなりました。エリクの義母と祖父も、です。その時から闇深い細い道を恐怖するようになりました」


「…では俺の部屋からの通路はさぞ怖かったであろう。申し訳ないことをしたな…」


「いえ、あの通路は天井に等間隔で明かり採りがありましたので大丈夫でしたわ。お気遣い頂きありがとうございます」


「あと、俺は決してそなたを見下してはいない。それどころか初めて会った時にも助けられ、深く感謝している。ベアトリクスは俺を二度も助けてくれた大切な恩人だ」


 ヴァルデマーは自分の頬に添えられた白い手がゆっくり離れて行くを寂しく感じながら、なぜこの話にエリクが出てくるのかひっかかったので聞いた。

 するとベアトリクスはしまったという表情で説明した。


「…エリクはわたくしのいとこです。伯父の息子なので、将来は我が家門を背負う身。後学の為にデーン王国で勉強させて頂いております。もちろん陛下にはご了解を頂いておりますの…」


 ヴァルデマーは目の前が暗くなるのがわかった。エリクが公女の幼馴染でも普通の貴族ならば恋敵にはならないという油断があったのだ。


「で、では彼は将来公主になる、ということか?」


「…そうですわね、わたくしと父はそれを望んでおりますが…可能性はない事はないでしょうが、エリクは武人ではないので領主にはなれても公主は認められないかもしれませぬ」


 公国では強い者が武力で外敵から民を守り、尊敬されて上に立つ。貴族といえども弱いものは強いものに取って代わられるのが普通だ。エリクは訓練を受けた武人であるが、どちらかといえば戦術家のほうが向いているとベアトリクスだけでなくエリクの父も思っている。


(ということは、武の誉れが高いベアトリクスと文官のエリクが夫婦となれば…これほど強い組み合わせはないではないか!エリクもそれを狙って…?)


 ヴァルデマーは普段の陽だまりで遊ぶ小熊のようなエリクの穏やかな顔を思い浮かべた。どうも公主の座を狙ってベアトリクスを利用するタイプではない。


(いや。純粋に彼女を愛しているほうが余計始末が悪いではないか!)


「では、ベアトリクスはエリクをどう思っているのだ?先ほども同じ部屋で…」


 そこまで言ってからヴァルデマーは顔を赤くした。二人がベッドで…と先刻と同じ妄想を頭から追いやる。


 先ほどからやたらエリクの話になっているのをいぶかしんだベアトリクスだが、将来の両国の関係を考えているのだと思い直した。エリクは『結婚したいほど大好き伯父様の息子』という位置付けが一番正しいが、それを王子に言うのは嫌だった。


「エリクはいとこで、厳しくも優しい兄です。小さな頃からずっと一緒にいたので、空気のような…そう、いつもそばで見守ってくれる『家族』ですわ!」


 ぴったりの表現を見つけてベアトリクスは満足していたが、ヴァルデマーは意気消沈した。間違いなく自分の何千倍もエリクのほうが彼女に近い存在だとわかってしまったからだ。


「そ、そうか…」


「殿下にはオーロフ様がいらっしゃるではないですか!あのように優しいお兄様はこの世界にはおりませんよ。どうかいつまでもお仲良くされて下さいませ」


「あ、ああ…」


 ベアトリクスがデーンに輿入れしてから兄との距離が近くなったヴァルデマーだったが、口ぶりから彼女がデーンを出て行くつもりだと改めて痛感した。

 打ちのめされて寡黙になったヴァルデマーとふわふわとした風情のベアトリクスは、無言で長い散歩をして部屋に戻った。


 カーテンを少し開けると空が白んでいる。出発は近かった。

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