第15話 成果には報酬を

「イタタっ…」


 エリクはすぐに冷静に戻り、彼女の肩の傷口を見て適切に止血を行った。指の一関節分はある傷の深さに言い知れない程の怒りを感じる。いつもの彼女なら海賊相手でもこんなはしない。つまりはクソ王子のせいだが、そうは言えないのでイライラをベアトリクスにぶつけた。


「イタタ、じゃないっ!本当に何やってんだ!?この深さの傷を首に受けてたら10数えないうちに死ぬぞ!!」


「避けたけのですが、ちょっと当たったてしまいました…」


 痛みをこらえてわざととぼけて笑みを浮かべようとするベアトリクスに怒りが倍増した。傷跡が残りそうなのにも悔しさがこみ上げる。


(ベアが傷を気に病まなければいいのだが…いや、違う。嫌なのは俺だ!)


「今すぐにおまえをスタツホルメン公国に連れて帰る!」


 いつもは熊のお人形のように穏やかなエリクが、怒りで斧を振り上げたトール神のように髪を逆立て怒鳴った。ベアトリクスは痛みもあってますますしゅんとなる。もともとエリクはこの計画には反対をしていたので反論しづらい。何より、一緒に育ってきた自分を心配しているのがわかるだけにだ。


「ごめんなさい…」


 うなだれて謝るベアトリクスを見てヴァルデマーはむっとした。実態はないが一応は自分の妻である。エリクがいくら幼馴染とはいえ遠慮がなさすぎに見えた。


「ベアトリクスに強く言うな」


『おまえのせいだよ!』と言いたいが、流石に言えないエリクは黙り込み、血止め処置を終えてぶすっとしたままベアトリクスを抱き上げた。

 それを見てますますヴァルデマーの眉間の皺が深くなる。


「…俺がベアトリクスを運ぶ」

「結構です。私達の国の公女ですから」

「今は俺の妻だ」

「その妻を守れなかったのは殿下ですよ」

「ぐうっ…し、しかし…」


 にらみ合っている二人の間にクローディアスが割って入り、有無を言わさず指示を出した。肩の痛みからぐっと目を閉じて歯を食いしばっているベアトリクスが気の毒だった。いくら痛みに強いとはいえ限界がある。


「ヴァルデマー様は陛下にご報告をお願いします。エリク殿、ベアトリクス様をお部屋にお願いします。私は医者を手配してから飲み物などお持ちして伺いますので」


「わかった」「わかりました」


 王子たち3人はその場を離れたが、クローディアスはきびきびと現場で指示をしている。やることは夜が明けてもありそうだった。




「うーむ、流石に嫁いで3か月で里帰りと言うのはまずいからな…王子と一緒にいて負傷したから保養地にいるとでもしよう」


 ベアトリクスの計画を聞いたときは上手くいくか不安だった王だったが、ヴァルデマーが無事でかつ彼を狙う過激なハリス教徒の不穏分子が一掃できたことに満足を隠せなかった。

 密かに心配していたヒウィル司教が計画に関与していなかったのも嬉しかった。ヒウィルはクリストファ王にとっては友であり、オーロフ王子にとっては敬愛する師である。

 しかしベアトリクスの怪我にはショックを受けた王だ。


「何をおっしゃるのですか、まだ危険分子がいるかもしれません。俺は絶対に反対です!それに怪我も…」


 ヴァルデマーは不満を隠せない様子で王に反対した。ベアトリクスに残るであろう傷を思い出すと、ますます顔を歪めた。自分のせいだと思うと不甲斐なさで叫びたくなるのだ。


(どのように責任をとれば?いや、俺は責任をとらせてもらえる立場にもない…)


「昨夜ベアに会ったが全く元気だったぞ。里帰り中もあの公国の兵士たちに守られていたら安心だ。どうしたのだ、そのようにイライラするなどお前らしくない」


 王はヴァルデマーがベアトリクスを手元から少しも離したくないとわかっていたが、彼女との契約上そのようなことは些細な事だ。依頼した仕事をこれほど早く解決したのだから、何をもってしても最大限のお礼をしなければ王の面子が立たない。


「うっ…そ、そのようなことはございません、ただ…」


「ヴァルよ、成果には報酬を与えねばならぬ。これは王であるワシが今決定したこと、おまえが口を挟むな」


 少々可哀想ではあるが、ヴァルデマーにもいい薬だった。計画に沿わない行動で周りを危険にさらしたのだから。


「…わかりました」


 ヴァルデマーが珍しく拗ねたような顔で王の前から下がると、王は息子が不憫で大きなため息をついた。


(やはりベアトリクスは王子の手に余るか…残念ながら今のヴァルでは三年でベアトリクスをものにできそうにはないわい)


 彼は気を切り替えてベアトリクスが公国に帰るときに持たせるお土産を大臣と相談した。なるべく早くにデーン王国に帰ってきてもらえるよう、たくさんの素晴らしい品物を持たせなければならない。




(くっ…ベアトリクスが里帰りだと!どうせ彼女にべったりのエリクが勧めたのだろう。彼がデーンへの帰国を阻止するか、引き伸ばすのは大いにありうる。下手をしたら3年経ってしまい、子供がいないから自動的に法律に乗っ取って離縁にもなりかねん!ああ、どうしたら…)


 朝の鐘が鳴って父王に朝の挨拶をした際に、ベアトリクスから里帰りを相談されたと言われた。もちろん王子は反対したが、王が了承するのは当然で頭ではわかってはいる。しかしどうしても腑に落ちなかった。


 襲撃から2週間、ベアトリクスはヴァルデマーの部屋で夜の警護をする必要がなくなり、自分の部屋で普通に寝起きしている。つまりはほとんど会っていない。

 怪我の具合など聞きたいが話が出来ない。事件以来目を合わせようともしない彼女の様子からふがいない自分は嫌わてしまったかもと思い悩んでいた。


 そんなこんなで王子が落ち込んでいると、午前の鍛錬の後で親友のクローディアスにたしなめられた。


「おいおい、そんなに落ち込むな。兵の士気が下がる」


 そんなに落ち込んでいる姿をさらしているつもりでなかったヴァルデマーは弱音を吐いた。


「それが…ベアトリクスが里帰りするのだ。もう戻ってこないかもしれぬ…」


 王子はそれが実現しそうな不安に足に力が入らなくなり、大きな樹の下に座り込んだ。

 クローディアスは、事件のあとずっと王子の元気がなかったが、そういう理由で今日は特別元気がないのだと合点した。がっくりとうなだれるあまりにも気の毒な親友を見、なんとかせねばと決めていた。

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