第9話 リンデンの花

 王子二人とエリクが話している頃、ベアトリクスは部屋に戻ると思いきや足音もなく教会の礼拝堂に入っていった。


 集会が終わり誰もいなくなった礼拝堂の隅で、痩せて背の高い男と太って背の低い男二人がこそこそと話していた。本部から来た僧、グンナルとダグだ。

 近頃この時間に決まって二人が話しているのを知っている彼女は、こそりと椅子の影に隠れて盗み聞きした。


「教団本部から計画の了解をもらった。細かいところはダグ、お前が詰めろ。そういったのはお得意だろう」


「へへへ、やっとおいらの腕の見せ所がきましただ、グンナル様。で、ヤツを殺るのに何人ぐらい人を使えますかね」


「おまえのいるだけを言え、用意する。この国にはおまえみたいな信者がたんまりいる」


「もちろんですだ。では早めに決行ですな。で、あの女はどうしますだ?」


「そうだな…オーロフ王子と熱心に講義で勉強をしているところを見ると、これから使えるかもしれん。公国に布教する足掛かりにするから今は生かしておけ」


 暗に殺すのはいつでもできると言わんばかりにグンナルは冷たい笑みを浮かべた。


「ヒヒ、目の保養が残るのは良いいことですだ。しかしあの美しさは異教徒といえど罪深い。これ以上罪が深くなる前においらが救って差し上げねば…」


 よくわからないことを真剣にブツブツ言うダグを、ニヤニヤしたグンナルは見つめていた。そして小声で相談してから部屋を出て行った。



「やはりあの方たちは…」


 ベアトリクスが立ち上りざまにボソリと呟くと、


「何がなのですか?」


と真後ろから言われ、ベアトリクスは反射で太ももに装着していたウルフバートを声の主の喉元に当てた。


「う、うわっ!わ、私ですっ」


「クローディアス様っ!なぜこちらに?」


 彼女は何事もなかったようにナイフを鞘に納めた。クローディアスはかなり肝を冷やしながらも、先ほどの話の内容に怒り心頭のようで頭から湯気が出そうな勢いで説明した。


「なぜって、陛下からの命令でベアトリクス様の警護をしています。これは殿下には内緒にしておいて下さい。しかし先程の僧の話は聞き捨てなりないですね。殿下を殺す、ってのは頂けません。そう、全く頂けませんな。いっそこの場で殺そうかと思いましたよ」


(あっさりと殺すなんていうクローディアスも大概ですわ…)


 クローディアスの喉元をと切り裂こうとした自分を差し置いてベアトリクスはため息をついた。


「殺しては駄目、陛下の指示です。泳がせて根を探るのです」


「…司教様、ですか?」


 クローディアスのこげ茶色の瞳が不安に揺れた。司教は王都の民の敬愛の対象だ。ハリス教徒であるクローディアスが動揺するのは致し方ない。

 ベアトリクスはクローディアスを良くは知らないけれども、陛下の密命を受けるほどの男だと信じることにした。


「…わかりません。が、わたくしは司教様が関わっていないと信じたいです。大元は大陸にあるハリス教本部なのはわかっておりますが、この国に根を張っている者達を知りたいのです」


 その言葉を聞いてクローディアスは心からホッとしたのを隠すようにニヤリと笑い、誰もいなくなった教会から出る為にベアトリクスの手を優しく引いた。クローディアスよりも背が高く女性慣れをしている。そしてデーン王国の騎士にしてはマッチョだ。

 そしてどうやら彼女を放してはくれない雰囲気だ。


「ベアトリクス様…」


「はあ、わかりました。ではお話しを致しましょう」


 ベアトリクスは猛烈な眠気を抑えつつクローディアスと並んで城外に歩き始めた



「なるほど、うかうかしていられませんな。殿下の警護を強化するとします。しかし、夜にベアトリクス様御一人では…」


「大丈夫です、と言いたいところですが、人数によってはお力添えを頂きたいと思います。ただ、警護がしっかりし過ぎて襲ってこないのも困りますので…そうですわね、殿下の部屋で音を立てて合図をしますので応援に来てくださいませ。それと、わたくしには危険がないようなのでクローディアス様はわたくしよりも殿下の警護を行って下さい」


「了解致しました…しかしやつら許せません!あのお優しいオーロフ殿下を担ぎ上げようとは…おっと、すいません、カッとなってパンが…」


 マッチョなクローディアスが手を開くと、握りつぶして粉々にしたパンの残骸がある。

 ベアトリクスは笑って、


「いいのです、もう部屋に戻らないとエリクも心配致しますので…」


ととりなしたが、彼は代わりの軽食を持ってきますと言い残して城に向かって走っていってしまった。


「ああ、もういいのに…しかし眠い…ですわ…ここはと…っても居心地が…ふわあ…」


 ベアトリクスは城から出てすぐの海に流れ込む寸前の川に面した広場に植えられたリンデンの大木の下でゆっくり目を閉じた。フワフワとしたリンデンの白い花の香りが彼女をふんわりと包んだ。




「ベアトリクスさ…お休みになられているのか」


 クローディアスが新しい昼食を手に戻ると、ベアトリクスは地べたなのにぐっすりと眠っていた。毎日昼寝ばかりしていると評判の王太子妃が、実は殿下の警護の為に寝ずの番をしていると聞いて腰を抜かすほど驚いた。

 デーン王国騎士の間では毎晩欠かさず王子の部屋を訪れる彼女に好奇の目を向ける者もいるし、彼自身も二人の夜の営みが盛んなのだと勘繰っていた。ヴァルデマーから昼に会えないと聞いたので不思議に思っていたのだ。


「このように疲れて…お可哀そうに。陛下に可愛がられるわけだ」


 初夏のデーン王国の気候がいいとはいえ、木陰はひんやりとしている。寝るにはあまり快適とは言えないだろう。

 彼は着ていた騎士の制服を脱いでベアトリクスにかけた。膝まで覆われた公女を見ていると先ほどナイフを自分の喉元に向け躊躇なく切り裂こうとした女性と同じ人物とは思えない。実際クローディアスは公女の殺気にあてられて足が全く動かなかった。


(ヴァルの警護に着くようベアトリクス様が言うのは当然だな。しかしこれでは身体が冷えてしまう、少しだけ寝かせてから部屋にお連れしよう)


 クローディアスは彼女の頭側に座り樹にもたれて二人分の軽食を口にした。

 ポトリと音がしたので見ると、ベアトリクスにかけられた紺の制服に白い可憐な綿毛のような花が落ちた。

 煮出すと女性の病気に効く人気があるハーブだ。


(リンデンか。今まで気にしたことがなかったが、可憐な花なのだな…)


 食べ終わったクローディアスは、少しだけ名残惜しい気持ちでベアトリクスを抱き上げた。

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