第6話 白の王子

  ベアトリクスとヴァルデマーの婚姻は両国民を驚かせた。


 特にデーン王国では王子は女性に興味がないとされていたので、この電撃的な慶事を喜んだ。

 反対にスタツホルメン公国ではていのいい人質ととらえられ、公女に同情する公国民は少なくなかった。



 海を越え大陸各国からの使者が都に来るお祝いムードのなか、デーン王国の一部も不満を抱えていた。


「ハリス教の信者でない妃など…ありえないですだ!邪教徒を国から追い出すですだ!」


「しかし、あの女は陛下のお気に入り。簡単にはいかぬ」


「…では」


 教会の薄暗闇の中、僧服を着た痩せて背の高い男と太って背の低い男二人が目をぎらつかせ密談している。十分な教育を受けていないどころか粗暴で剣呑な雰囲気まで漂わせていた。


 ふいに鐘の音が鳴り、背の低い方が大げさに慌て出した。


 教会では起床時刻を知らせる1の鐘(早朝の3時)と仕事の始まる2の鐘(6時)、3の鐘(9時)、正午を知らせる4の鐘(12時)、5の鐘(15時)、仕事を終えて家にいなければいけない6の鐘(18時)、就寝の7の鐘(21時)が鳴らされる。


「3の鐘ですだ。司教がオーロフ王子にお教えする時間なのでこれで」


「わかった。この件はハリス教本部に戻り上と相談で進めることとしよう。未来の王の教育は重責だ、しっかり務めよ。そなたの行いを神はみておられる」


「もちろんでございますだ、我らの神の為なら何でもいたす所存ですだ」


「うまくいけば次の司祭は…わかっているな、ダグ」


「おいらがですか、グンナル様っ…?も、もちろんでございますだ!」


 小男のダグは嬉しさを身体からはち切れんばかりで喜んだ。そして慌てて頭を深く下げてこそこそ音もなく出ていった。


「ふん、田舎者が。しかしオーロフ殿下か!ダグは邪魔者を陥れたり殺すのを自分の使命だと勘違いしている狂信者だが、目の付け所はいい。本部にいい報告が出来そうだ、くくく」


 背の高い痩せマッチョの男はそう独りごちて笑い、オーロフ王子の優しげで頼りない顔を思い浮かべた。


 オーロフは白王子と国民から呼ばれて親しまれているが、母は平民出の侍女だ。彼女は王子を産んですぐに亡くなっていた。

 オーロフ王子は義弟ヴァルデマー王子が産まれるまでの5年間は王宮で大切に育てられたが、それからは取り巻きもいなくなりとして必用最低限の教育を施されて暮らしていた。

 そんな白王子に取り入ったのがハリス教だ。


「ヒウィル司教を教義上の父と慕うオーロフ殿下を次の王に据える。我らの操り人形にし、スタツホルメン公国を併合し教徒を増やすのだ。献金も増えてハリス教本部もお喜びになる」


 彼は将来手にする物を想像し、神に仕える者にあるまじき顔で笑った。それは上品なものを食べる下品極まりないドブネズミを思わせた。




「ハリス教は興味深いです、司教様。まずは自分を愛すことからだなんて…確かに自分を愛せないと他人も愛せませんわ」


 ベアトリクスは父母が確かに愛し合っていたのを思い出し、講義の感想をヒウィル司教に告げた。

 ヒウィル司教は常に着古したくたくたの衣装を身に着けており、立派な服は初めて会った時と結婚式の時だけだった。普段は質素倹約を自らに課しており、野菜などを敷地で栽培している。


 ベアトリクスは質素で博識な彼に好感を持った。


 彼女の隣に座る栗色の髪と濃い茶色の瞳を持つオーロフ王子は穏やかな視線をベアトリクスに向けた。彼が他人に向ける視線は愛に満ちている。

 クリストファ王はオーロフ王子にあまり接触していないことがこの1か月で彼女にもわかった。その行動は王国、ひいてはオーロフを守っているのだがベアトリクスは同情心が湧いてしまう。


 質素だが明るく居心地のいい部屋で、ベアトリクスとオーロフ王子は毎日ハリス教を学んでいる。

 ヒウィル司教の後ろには小太りのダグ修道士がのっそりと突っ立っていた。司教からは『本部からの経験豊かな僧』と紹介されたが、ベアトリクスは信じていない。


(わたくしを見る目つき…司教様たちは何も思わないようですが、あのねっとりな視線は勘弁ですわ!今すぐ目玉をえぐり取ってやれたら最高なのですが。話す言葉も浅く、学も品もない。飢饉で食いっぱぐれた農民の次男、ってとこかしら)


 毎日午前に司教が講義をすると聞いてベアトリクスも参加させてもらった。

 学ぶ為でもあるが、ハリス教徒のデーン王国民やハリス教団本部によい印象を与えるだろう。


「そうでございます、ベアトリクス様。まずは自分、そして周りを幸せにするのです。もちろん異教徒でも生贄になど致しませんし、むしろ彼らはハリス教徒になり共に救われる愛すべき存在だと思っております」と司教は暗にベアトリクスの公国で信仰されている生活宗教を揶揄やゆした。


「確かに公国では古代より春祭りで人や動物の生贄を焼きます。それは偉大な自然への怖れからくる神聖なものだとわたくしは理解しておりますが、ハリス教では自然を恐れないのですね。自然よりも神の怒りを恐れる…しかも異教徒だけでなく同じハリス教でも教義の解釈が違う者を殺す。やはり興味深いですわ。どちらが正しいわけでもなく、ただ両方とも残虐だと思います」


 そうベアトリクスが答えると、隣にいたオーロフがくすりと笑った。彼は人に悪意を持たない、まさに白王子だ。そして彼の笑顔は陽だまりが似合うのだ。

 

(オーロフ殿下のような善良な人が周りにいなかったので調子が狂いますわ。司教も無表情で第一印象が悪かったのだけど、今は芯がとても暖かいハリス教の良心であるとわかってきましたし…)


「何を信じようとも善を行うものが正しいのだよ」とオーロフ王子が微笑むと、司教が深く頷いた。


「なるほど…」


 ベアトリクスがその言葉について思索しているところへヴァルデマー王子がズカズカと足音を立てて入室した。午前の鍛錬から直接来たようで、顔が上気している。


「司教、私も参加してよいか」


「もちろんでございます」


 ヴァルデマー王子はちらりとベアトリクスに視線を落としてから彼女の隣に座った。ベアトリクスはこっそりと彼の横顔を眺めた。


(やはり綺麗なお顔…公国ではこれほど整った御方は見かけません)


 3年前のパーティで彼女が王子に見とれてしまったのを遠い昔のように思う。政治的判断ではなく、彼女は王子を助けようと本能で動いてしまった。


(この国にきて1か月、殿下が講義に来たのは初めてですわね…あまり教義に熱心でないようだから誰かに言われて仕方なくでしょう。相変わらず寡黙で凛々しいお顔は好みですが、わたくしを嫌ってますし…まあ、わたくしには伯父様がいますから)


 ベアトリクスは愛する伯父を懐かしく思い出しながら、ぼんやりと司教の言葉に耳を傾けた。ハリスの言動が弟子によって事細かに書かれている聖典は疑わしいがとても興味深い。


(なるほど…うまく出来ています。信者が増えるはずですわ…)

 

 ベアトリクスはそのしくみに感心して青い目を輝かせた。

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