第2話 ウルフバートを持つ女

 ベアトリクスの誕生日の翌週、正式にデーン王国への輿こし入れが決定した。


 スタツホルメン公国は強力な軍を持つ国として長く世界に恐れられてきた。しかし海賊や隣国との抗争で国力が弱まった100年程前にデーン王国に攻め込まれ傘下に入った。

 かつて最強の名を欲しいままにしたスタツホルメン公国民は自立自尊の気持ちが強く、デーンの支配を未だに快く思っていない者が多い。そんな独立を目指す過激派の内乱を何度か経、現在は穏健派のヤール家が公主を勤めている。

 公国には半年前から打診されていたデーン王国からの正式な申し入れを断る余地はない。



「あーぁ、わたくしやっぱり伯父様と結婚したかったですわ」


 城の南にある広場では、エリク・ヤールに愚痴りながら激しい剣の訓練に励むベアトリクスがいた。

 公女たるものいつなんどき危機に直面するかわからない。自分の命を守るための訓練は欠かせなかった。身代金目当ての海賊だけでなく、自国の過激派からも常に狙われている身だ。

 揺れる長い銀髪を朱く染めた紐で結わえている。朱は彼女が愛する伯父ホルムイェルの髪色だ。


「…っていうか、親父がおまえにプロポーズされて『イエス』って言うと思ってたのか?賢いくせにマジで馬鹿だな」


 そう答えた栗色の髪と優しい茶色の瞳のエリクはホルムイェルの一人目の妻の子だ。

 ベアトリクスより3歳年上で頼れる兄のような存在であり、熊のような見た目に反して頭脳明晰、ベアトリクスの相談相手でもある。立派な戦士を目指して日々訓練に励んでいるが戦闘には不向きだ。


「失礼な!エリクの弟を産んでさしあげようと思っていましたのに…」


 ベアトリクスはいとこのクレイモアをウルフバートでいなして懐にするりと入り込み、右手の短剣を彼の喉元にピタリと添えた。

 野生動物を思わせる彼女の愛用の短剣・ウルフバートは伯父から贈られた激レアモノだ。海賊からの戦利品の為どこで作られたのか不明だが、非常に硬質で普通のクレイモアならば叩き折ることも出来る。もちろんいなすなどお手の物だ。

 彼女はそれを常に身にまとっていた。


「やっぱウルフを持ったおまえ狼公女には勝てねーな。っていうか、おまえが義理の母親とか怖い」


 エリクはとほほな表情で両手の剣を天にかざした。


 ベアトリクスは公国民から尊敬を込めてウルフバートを持つ女kvinnan med Wolfbartと呼ばれていた。ウルフバートに相応しい剣の使い手、という意味だ。それが転じて現在の呼び名は『狼公女』となっている。


「この体たらくでわたくしを守れるのかしら?本当は伯父様についてきて欲しいのですが…」


 太陽の光を受けて鈍く光るウルフバートを腰の鞘にしまい込んだベアトリクスの言葉を受け、エリクはあきれて脱力した。

 エリクは見聞を広める為に身分を隠してベアトリクスの警護としてデーン王国に滞在することになっていた。


「馬鹿にすんな、俺がデーンの軟弱者に負けるわけないだろ。っていうかおまえってばまだ諦めてねーのか?!もうすぐ結婚すんだぞ?」


「諦めきれるわけないですわっ!伯父様より魅力的な人がいれば別ですけど…」


 ベアトリクスは雨が降りそうな灰色の空を見上げ、半年前にデーン王国のクリストファ王より届けられた手紙を思い出した。



『親愛なるベア


 そなたはもうすぐ17歳になるのだな、時が過ぎるのは早いものだ。

 誕生日に王子との正式な婚姻申し込みの書簡を父王へ送るつもりでおる。


 以前にも増して勢力を強めたハリス教徒が、もう一人の王子を担いで反乱を起こそうとしている。以前わしの弟が反乱を時と同じく国が混乱して疲弊するのは想像に難くない。

 そこで、我が息子ヴァルデマーと偽装結婚して敵から守って欲しいのだ。


 取引内容を下記に記す。

 

 こちらに嫁いで3年間、ベアトリクス嬢が王子を守り切れば円満離婚とすること。その後、ヴァルデマー王子とその息子の治世でのスタツホルメン公国への侵略はご法度とする。

 また、王子がベアトリクス嬢から夫として認められるまでは夫婦の行為を行わないものとする。


 そなたならこの手紙の重さを理解できると信じている。


 ベアの友であり父、クリストファより愛を込めて』



(くっそー、狸ですわっ!わたくしの性格をわかっておりますわね…この好条件ならみすみす断れませぬ。こうなったらお返事する前に伯父様にプロポーズするしかありません。正式に申し込まれる前に婚約してしまえばこっちのものですから!)


 彼女は15歳の折に父とデーン王国を訪問し、クリストファ王から猛烈に気に入られてしまっていた。パーティ会場で王子を助けようとドレスでテーブルに飛び乗り、つかんだ銀食器で暴漢を殴り倒したせいだ。

 にぎやかなパーティ会場がしんと静まり返り、食器が床に落ちてチャララ…と儚い音を立てる中、驚愕で緑の瞳を見開きベアトリクスを見る王子と彼の隣で笑いをこらえる王を前に公女は赤くなった。聡い王は公女が王子を見ていたからこそ危険に気が付いたとわかっている。

 美々しい男性を見たことがない山猿、もとい山狼と思われたであろう。そして王子を全く知らないのに美々しい見た目にうっとりしたことが何より恥ずかしかった。彼女の一番の黒歴史である。

 狼公女の名に恥じる行いだったと王子の事はきれいさっぱり忘れ、伯父の妻になるべく人生を捧げてきた。おかげで契約結婚の申し込みがあっても動じることはなかった。

 


 それから月一程度に王より寄こされる手紙にはベアのような娘が欲しいだの寂しいなどとあったが、ベアトリクスは社交辞令と取った。王への返事を書くのに最初は緊張していたが、慣れとは恐ろしいもので今は気楽に日常のことを書き送っている。


 ベアトリクスは婚姻の打診で伯父への告白を決意し撃沈した。

 伯父が彼女の結婚が決まって『逃がした魚は大きかった』と焦るのではと思っていたが、全くそうでないことが悔しくて仕方ない。しかし諦めるつもりはなかった。


 王からの契約結婚の私信は内密にし、ただ隣国の王子と政略結婚したようにみせかけるのだ。もちろん父と伯父にも。騙すのはまず身内から、が定石だ。

 デーン王国で3年のを果たして清らかなまま帰国した暁には、伯父に跪かせて『ベア、俺の愛しい人!酷く後悔していたのだ、俺と結婚してくれ』と言わせるのが彼女の最終目的だった。そして一族でスタツホルメン公国を守るのだ。


(その上、デーンとの長年の友好もくっついてくるなんて最高ですわっ!)



「まあ、なるようになります。さ、いとこ殿、もう一戦致しましょう!」


 エリクは「うへえ、またかよ…」と言いながら、両手に剣を構えて燃える狼公女に対峙した。




 ベアトリクスがデーン王国に出立したのは、それから3週間後の春祭りの後であった。

 彼女は古くからこの地に伝わるメイポールダンスを楽しみ、いけにえの籠を燃やす巨大なかがり火を皆と囲んだ。古き自由な北の国の貧しくとも幸せな公国民の姿を目に焼き付け、新しい季節と共に新天地に向かった。

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