第31話 邪神ニグロム(下)

「あの少女を助けたいのだろう? なら、儂を受け入れるのじゃ。お前を依代とすれば、儂は完全な形で顕現できる。世界の最上位者としてな」

「……そうして俺を依代に顕現した後、世界を滅ぼすってわけか」


 闇が笑った。


「〈英雄物語〉の一周目で、自分が何をしたか忘れたか? 全てのNPCを斬り殺して、ジェノサイド・エンディングを迎えていたろう?」


 ……耐久配信をやる以前。

 初見プレイ配信のとき、彼は確かに皆殺しプレイをしていた。


「あれは初回配信でネタを作るためだ。だいたい、ゲームの話だろ。現実とは関係ない」

「〈英雄物語〉はただのゲームではない。魔法が掛かっておるのよ、あれは。儂に相応しい依代を探すために、次元を越えて少々の細工を、な」

「……どういう細工だ」

「なに、大したことではない。ちょいと魔法で魂を借りて、この世界に転生させたときのシミュレーションをな。まあ、大概のプレイヤーは最初の戦いで死んだからのう。まともにシミュレーションをやったのは、わずかな数だけじゃが……お前が初見プレイだと思っておるのは、そのシミュレーションの結果じゃよ」


 姿が見えずとも、声の調子だけではっきり分かるほど自慢気だった。


「ふふふ、見事なものじゃろう? 永劫の時を封印の中で過ごしてきた儂は、並行次元との接触法を編み出したのじゃ。厳重な封印を破って現世へ接触することはできずとも、別次元へ情報を送ることはできる。そして都合のよいことに、ゲームとは情報だけで構成されておる。そうして探し出した候補者の中で、最も儂に近いのが……」


 闇がケイドの手を取った。


「お前よ、西田ケイ。……お前の記憶は覗いたぞ。押入れに放り込まれて、外からガムテープで扉を塞がれているところなど、共感せずには居られなかったのう。なにせ、狭い暗闇に封印される恐怖を儂ほど知っておる者もそうそうおらん」

「……」


 西田ケイの封印した記憶が開きかけて、じりじりと頭の奥が焼けた。


「もしもお前が、ゲームという逃避に救われていなければ。行く末はシリアルキラーだったろうなあ。蓋をした記憶の奥底から、際限のない怒りが湧き出しておった。お前が結局は幸せになれなかったのも当然なのじゃ」

「……黙れよ」

「いや。お前が幸せであったことなど、一度もないのかもしれんな。人間と仮想的に殺し合うゲームを通じて、怒りを発散して生き延びていただけで。どれだけ表面上で丸くなろうと、お前は地獄の修羅よ。怒りの炎に内から焼かれておる……」

「黙れ!」


 ケイドは闇を振り払おうとして、いたずらに腕を振り回した。


「俺は……ケイド・シニアスだ。俺の両親は、惜しみのない愛をくれた! 今の俺は幸せな人生を生きてるんだ……お前とは違う! 闇に落ちる気はない!」

「一度生まれ変わった程度で、人間の根本が変わるか! お前は今も変わらない! 儂には分かる、お前は儂と同じだとも! 結果に何一つ責任を持たなくてよい状況があれば、今にも人を殺しだすぞ! 自分に嘘をつくな!」


 闇がケイドの頬を撫でる。彼は飛び退った。

 それはまったく無意味であった。ここは尋常の空間ではない。


「それに、なあ。儂は別に、世界を滅ぼしたい訳ではない。ただ……この永劫の暗闇に閉じ込められたことへの復讐を済ませたいだけなのじゃ。その後は全世界の皇帝にでも収まって、ほどよく人を導くとも。人間同士が愚かな争いを繰り広げ続けるよりも、ずっと幸せな未来が来るかもしれんぞ?」

「……上手くいくはずがない」

「なあ、西田ケイ。考えてみろ。儂と協力すれば、お前はどこの誰にも負けない最強の力を手に入れるのだ。無限に近い寿命を手に入れて、楽しく生きられるぞ」

「……」

「娯楽がないのに長生きしても仕方がない、と思ったか? だがな、儂らが協力して人類を導けば、数百年もしないうちにアニメもマンガもゲームも大量に生産されるようになるとも。下手に便利な魔法があるせいで停滞した世界に、爽やかな風を吹かせてやろうではないか、なあ?」


 闇はケイドの頭を撫でる。どれだけ振り払っても、その感覚は消えない。


「面白そうではないか? いわば、現実で街や文明を作るゲームをやれるのだぞ? それに、飽きたら飽きたで、自分たちで作った世界でいくらでも遊べるのだ。何なら記憶を消して、世界を解放する勇者ごっこをやったっていい。世界の半分づつを分け合って戦わせてもいい。楽しみは無限大だぞ!」

「お前、それが本当に”楽しい”と思ってるのか?」


 ”神”というには、あまりに愚かで、あまりに幼稚だった。

 ……だからこそ、この邪神の手を取れば、きっと楽しいのだろう。

 でも、それは駄目だ。今のケイドには守るべきものがある。

 邪神の手を取れば、きっとその全てを捨てることになる。


(俺が邪神と組んだら、ラティアは悲しむ……)


 ただそれだけで、断る理由は十分だった。

 何も考える必要はない。答えはとっくに持っている。


「なあ。どうしてそんな必死に俺を誘うんだ」

「それは……」

「寂しい奴だな、お前。ずっと一人で閉じ込められてたから、遊び相手が欲しくて仕方がないんだろ。自分みたいな仲間が欲しいんだろ。分かりやすいんだよ」

「ッ!」


 図星を点かれて、闇が怒気を纏う。

 一瞬、暗闇にシルエットが浮かび上がった。

 ケイドと大して変わらない、小さな子供の姿だ。


「”怒りの炎に内から焼かれておる”だったか? 俺に言ってたことを、そっくりそのままお返しするよ。お前はただ癇癪を起こして暴れたいだけだ。でもな、自分がそうだからって、俺まで同じだと思うなよ」

「貴様……随分と、舐めた口を叩く……!」

「俺の記憶を読んだんだろ? 口が悪いって知らなかったのか?」

「知っておるとも! ……儂はな、情報を異世界に送るついでに、お前の配信を見ておったのだぞ! 儂はお前のファンなのじゃぞ!」

「そうか。俺はお前のことなんか嫌いだよ。すぐに封印し直してやる」

「決裂というわけか。……残念なのじゃ。お前とは楽しくやれると思っていた」


 闇がわずかに距離を取った。


「仕方があるまい。”バックアップ・プラン”といこう」


 ケイドの胸が独りでに引き千切られて、左右に開く。

 その中で浮かんでいる、光り輝く命の源を、闇が取り囲んだ。


「この体は儂が貰い受けるとしよう。そもそも、儂一人で動くほうが何もかも手早く済むのだ。このまま虚空へ消えるがいい、西田ケイ」


 全力で抗っても、何の意味はない。

 相手は邪神。そして、ここは現実の空間ですらない。

 勝負にすらなるはずもなかった。


「……最後に、もう一度だけ聞こう。儂と一緒に、世界を支配せんか?」


 ケイドの顔は、恐怖で引きつっていた。

 否、と答えれば、そこで全ては終わる。

 だが、邪神に協力した後には何が起きる?

 ……果たしてラティアは救えるのか?


「くくく。分かりやすいな。答えてやろう……儂と組めば、ラティアは助かる。というより、助けてやろう。無駄手間だがのう」

「その代わりに、お前が世界を支配するんだろ。大勢が犠牲になる……」

「さっき、自分で言っておったろう? 大勢を犠牲にしてでも、ラティア一人を選ぶと。儂と組まねば、ラティアは救えんぞ?」


(……俺は……)


 ケイドの喉から、言葉が出かかって、詰まる。


(ラティアの命か。それとも、邪神に支配された不自然な世界か)


 二択。


(……違う。これはゲームじゃない。答えは”はい”と”いいえ”だけじゃない)


 原作から外れた、第三の道を。

 探し続けろ、と彼は自分に言い聞かせる。

 徹底的に不運なケイド・シニアスというキャラに転生して、それでもハッピーエンドを目指すと決めたんだ。苦しい道になるだろうことは分かりきっていた。

 それでも幸福な未来を掴みたいのなら。

 絶体絶命のピンチぐらい、どうにか切り抜けてみせろ。


(考えろ。邪神はどうやって俺に干渉してる? たぶん、あの瘴気が変じた黒い炎を通じて、だ。俺の精神に入り込んでる何かを追い出せば、きっと俺は目を覚ませる)


 いや。だが、彼は邪神の横薙ぎをまともに食らったばかりだ。

 干渉を跳ね除けても、傷が深すぎる。起きられないかもしれない。


(……あ……)


 自分の体に意識を集中すると、痛みが増した。

 ……痛みを感じられている。つまり、この状態でも、現実の体とまだ神経が繋がっている。なら、この状態でも自分の体を動かせる。

 指先にはっきりと意識を向けて、曲げる。関節が痛む。


(現実の世界の俺が、指を曲げた証拠だ)


「無限には待てんぞ? 答えはまだか?」

「俺の答えは」


 ケイド・シニアスは、痛みを頼りに腕の位置を合わせた。

 そして、一気に動く。


「これだ!」


 ――懐の〈エリクシル〉を掴み、飲む!


「なッ……き、貴様……!? せ、接続が切れる……何をッ!?」

「〈エリクシル〉だ! ラティアに刻まれた魔法陣すら治療できる万能の霊薬が、体内に入り込んできた邪神の一部ごときを”治療”できない筋合いは無い……ッ!」

「……情けをかけてやったというのに、これが返事か! もうよい!」


 周囲の闇が取り払われていく。曖昧な闇のシルエットは、やがて幼い少女の姿へと変わる。

 少女の姿をした邪神ニグロムは、指先をケイドの胸に突きこんだ。


「貴様の魂を消し去って、殺してやるッ!」


 開いた胸から”魂”を握り、潰した。

 そうして、西田ケイは死んだ。

 物言わぬケイド・シニアスの抜け殻だけが、両親の元に届けられるだろう。


 ……かに思われた。


「醜いぞ」

「なッ……なんだ、貴様!」

「小さく弱きものであればこそ。無力な存在が死力を尽くして足掻くからこそ、彼らの命は尊く輝くのだ……その輝きを道連れにするなど、無粋がすぎる」


 闇の明けつつある非現実空間へ、巨大な赤竜が着地する。

 竜の不可思議な魔法により、ケイドの魂は守られていた。


「ト……トカゲ風情が! 儂の邪魔をするなッ! 貴様らの種ごと歴史から消し去ってやるッ! 滅ぼされたくなければ退いていろ!」

「滅ぼす? まだ封印からも抜けられず、無理矢理に不完全な顕現で引きずり出され、唯一の望みだったケイドへの干渉は失敗したというのに? 彼の機転で、貴様の勝機は既に潰えている。貴様は負けたのだ、邪神ニグロム」

「があああああッ……!」


 年老いた口調の子供っぽい邪神少女は、全身を歪めて醜い叫びを吐き出した。


「まだだ……! まだ儂は負けておらんぞ!」


 負け惜しみと共に、邪神は姿を消す。


「……勝った、のか?」

「いや。干渉を跳ね除けただけだ。勝つか負けるか、それはお前次第だな」


(確かに。目を覚まして……あの不完全な邪神を倒さないと)


 エリクシルで体が治ったとはいえ、厳しい戦いなのは変わらない。

 まだラティアを助けるのに必要な分の薬は残っているが、そもそも彼女の元に近くこと自体が難しいのだ。

 ……ケイドは赤竜を見た。


「勘違いするな。我は貴様の味方ではない。ただの観察者だ。助力など期待するな。いいな?」


 やはりと言うべきか、まともに力を貸してくれることはなさそうだ。


「今回のこれは例外だ。せっかく英雄の卵を見つけたというのに、邪神の負け惜しみで道連れにされて終わりでは話にならんからな。……助力をしないのだから、我が貴様の選択に口を出すこともない。ラティアを救うか、彼女ごと邪神にトドメを刺すか……」


 好きに選べ、と赤竜は言い残し、彼女もまた姿を消した。

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