第10話 蟲の檻

 迂回をしたり気配を消したりと、試行錯誤はしたが結論は同じ。

 エイトールたちが愚森ぐりんを奥深くまで進み、ある一定のラインを超えると虫たちが一斉に襲いかかってくる。

 森の持つ独自のルールを前に、ふたりは停滞を余儀なくされていた。


「どうしましょう、エイトール?」

「んー、俺ひとりだったらどうにかなりそうなんだが……」


 もちろん、それでは何の意味もない。

 リタを帝都に送り届けるため、この森を踏破するのはもはや必須の項目。

 しかし、その入り口でこうも苦戦することになるとは流石に予想外だ。


「そもそもなんでこの虫たちは急に襲いかかってくるんだ?」

「巣が近くにあるのでしょうか? 私たちを襲うのは卵を守るためだとか」

「その線は薄いんじゃないか? だって襲ってくる虫は一種類じゃないぞ」

「ですよね」


 うーむ、と仲良く悩んでみても答えは見つからない。

 辺りと飛び回る羽虫たちの音に集中を乱されながら、リタは更に疑問を呟く。


「この森に住む動物たちはどうやって生きているのでしょう? この量の虫に襲われれば、大型の動物でも無事ではすまないと思うのですが」

「確かにな……、お?」


 リタの疑問に頷くのと同時、エイトールがその気配に気づいた。

 振り返り、視線を下げる。

 そこの茂みがガサゴソと騒いだかと思うと、そこから大型の齧歯類げっしるい

 エイトールの膝くらいまでの体格を持つネズミのような生き物が現れた。


「なんだこいつ? ネズミにしちゃ尻尾がひらべったいな」

「ビーバーですね。湖や川に巣を作るネズミの一種です。近くに川があるのかもしれませんね」


 リタの解説を他所よそに、テコテコと歩いてきたビーバーはふたりの前で立ち止まる。

 森にやってきた人間たちが不思議なのか、そのつぶらな瞳はじっとエイトールたちへと向けられていた。

 口からはみ出た前歯に愛嬌あいきょうを感じるリタだったが――。


「なんかムカつくな、こいつ。殴っていいか?」

「だ、ダメですよ!? 何を言っているのですか!」


 ビーバーの浮かべたマヌケ顔にエイトールが拳を握るが、リタがそれを慌てて止める。

 そんな人間たちのやり取りを見て、ビーバーは『ぶふっ』と喉を鳴らした。

 笑われた?

 まるで馬鹿にしているようなビーバーの態度に、エイトールは再びイラッとして――。


「よっしゃ。人間様の恐ろしさを教えてやろう!」

「やめなさい! 野生動物にムキになるなんて恥ずかしいですよ!」


 やんややんやと言い争うふたり。

 そんな人間たちの醜い争いに飽きたのか、ビーバーはトコトコと歩き出す。

 ふとその視線を追ったふたりは「あれ?」と首を傾げた。

 ビーバーはどんどん森の奥へ進んでいき、その場所は既に虫に襲われる範囲内に。

 しかし周囲の虫たちはビーバーに注意を向けず辺りを飛び回るのみだった。


「あん? どうしてあいつは襲われないんだ?」

「……もしかして虫たちは人間しか襲わないのでしょうか?」


 だとしたら状況は手詰まりだ。

 当然ながら自分達は人間をやめるわけにはいかない。

 この森に入る条件に種族的差別があるのなら、愚森ぐりんの踏破などまさに夢物語だ。

 しかし――。


「この辛い匂い……なんだ? あのビーバーからか?」

「え?」


 すんすんと鼻を鳴らしたエイトールが、感じ取った刺激臭に違和感を覚える。

 言われ、リタも嗅覚に意識を向けるが、深い緑の匂い以外に感じるものはない。


「私には何もぎ取れませんが……お前は鼻もくのですか?」

「人を犬みたいに言わないでくれよ。まあ、王国にいた時は自室から王城にある全てのお菓子を嗅ぎ分けられるくらいはできたけどよ」

「軍用犬もビックリですよ」


 もし犬たちに問い掛ければ『できてたまるか!』と盛大な反論を浴びただろう。

 まあ、そんなもしもの妄想はさておいて――。

 エイトールは再びすんすんと鼻を鳴らし、その匂いの分析を試みる。


「うん、やっぱり匂いの出所でどころはあのビーバーからだな」

「どんな匂いなのですか?」

「刺激のある……なんて言えばいいんだ? 辛い料理とかの、あの……」

「香辛料の匂い、とか?」

「そう! そんな感じの匂い!」


 香辛料の匂い。

 確かにそれが野生のビーバーから漏れ出ているのは不自然だろう。

 リタは細く長い指を唇に押し当てて考える。

 虫たちの襲撃――その攻略の糸口が掴めそうな気がしたから。


「……エイトール。それと同じ匂いが、この森のどこからかしませんか?」

「ん? あのビーバー以外からってことか?」

「そうです」


 言われて、エイトールはまぶたを閉じる。

 視覚をなくし、神経を嗅覚に集中するためだ。

 鼻腔びこうが吸い込むさまざまな匂い。

 もちろん一番は濃厚な緑の匂いだ。

 いで虫たちから漏れ出る悪臭、森にいる動物たちから溢れる獣臭。

 そんな無数の匂いの狭間で――ちりっと、エイトールの鼻はそれを捉えた。


「――ある。かすかにだけど、あのビーバーと同じ刺激臭のする場所が」

「っ! 案内してください!」


 言われ、エイトールは匂いのする方向へと歩き出す。

 時折、足を止め、すんすんと鼻を鳴らし方角を確認。

 そうして二十分ほど歩いたところで、ふたりは辿り着いた。

 濃厚な赤色の花弁を広げる花たちで埋め尽くされた花畑。

 ここまで来れば、リタにもその強烈な刺激臭を感じ取れた。


「うへぇ、こりゃ凄い匂いだな」

「でも、エイトール。ここら一帯には虫がいないようですよ」

「ありゃ、ホントだ」


 言われて、エイトールも気づく。

 愚森ぐりんに入ってからは絶えることのなかった羽虫の音が今は聞こえない。

 リタは屈んで、赤色の花を一輪、茎の根元から丁寧に摘み取った。


「――これは『鮮血花リントンフラワー』。図鑑で見たことがあります。虫除けの香の原料になる多年花たねんかですね」

「へぇ、花なのに虫を嫌うのか。珍しいな」

「ええ、確かこの花は草食の昆虫が住み着く森に自生するはず。つまりこの匂いはリントンフラワーなりの自衛の手段というわけです。それを愚森ぐりんの動物たちが利用しているみたいですね」


 見れば花畑のあちこちでは動物の姿が。

 先ほどのビーバーと同種類の生き物や、鹿や狐といった哺乳類。

 見たことのない色鮮やかな鳥なども、花畑の中で羽を休めて匂いを染み込ませている。

 どうやらこの花の匂いこそが、愚森ぐりんに入るための招待状代わりになるらしい。


「じゃ、俺らも参加するか」

「ですね」


 さっそくとばかりに、ふたりも花畑に入り花の匂いを身に纏う。

 十分な時間を花畑で過ごし、保険にリントンフラワーの花弁を何枚かポケットに仕込んだ。

 すると、その効果は明白に――。

 先ほどまでは周囲を飛び回っていた虫たちが、エイトールたちを避けて飛ぶようになったのだ。


「はぁ……まさか森に入るだけでこんな苦労することになるとはな……」

「本当です。でもそれだけ厳しい森なら追手も簡単には入ってこれないでしょう」


 やれやれと頭を掻くエイトールを、リタはそう口にして気晴らした。

 そんな慰めに肩をすくめてから、ふたりは森の奥へ。

 愚者の森の洗礼はまだ始まったばかりであることを――。

 この時の彼らは知らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る