第2話 ぺったんこなお姫様
リタ・プルームは正義感に溢れた帝国貴族だ。
曲がったことが大嫌い。
納得できないことがあれば教師にも突っかかる。
黙っていれば絶世の美姫と称される整った容姿だが、その苛烈な内面のせいで彼女のことが苦手なクラスメイトは少なくない。
が、その人数を圧倒的に上回る尊敬を彼女は集めている。
教師からの信頼も厚い。
成績は優秀、武芸にも嗜みがあり、思わず見惚れてしまう美貌――。
「これで胸が残念でなけりゃ完璧なんだけどなぁ」
「何か言いましたか、エイトール?」
「何も言っていません、サー!」
ギロリ、と
手を斜めに額へと当てた王国騎士団式の敬礼だ。
エイトールはバレないように、ちらっと視線だけをリタの胸元へと向ける。
うん、壁だ。
絶壁だ。
これを登れと言われれば骨が折れるぞ。
リボンをふんわりと結ぶことで、その
なんと言うか、その涙ぐましい努力が見ていて辛い――。
「ふんっ!」
「ぐはっ!?」
リタの鉄拳がエイトールの脇腹に容赦無く突き刺さる。
鋭い衝撃に、エイトールは腹を押さえながら屈み込んだ。
「視線でバレバレです。ふんだっ、どうせ私は貧乳ですよ」
「い、いやっ、リタ! お前のそのぜんぜんない胸だって魅力的だぞ! 胸がぜんぜん、少しも、微塵も、これっぽっちもないからって気にするなよ!」
「……もう一発いっときましょうか?」
にこやかに笑いながら拳を固めるリタ。
その額には、ピキピキと青筋が浮かんでいた。
ふたりがいるのは校舎から寮までの途中の道。
特に放課後、用事がなかったふたりは一緒に帰ることにしたのだ。
「はぁ。王国貴族は紳士が多いと聞いていましたが、お前を見ているとどうやら嘘の噂のようですね」
「おいおい、俺を王国貴族の代表にしてくれるな。俺の兄ちゃんたちはみんな紳士的で女性にも人気があったぞ」
「ならなぜお前はその兄たちを見習わなかったのですか?」
バッサリと言い捨てられ、エイトールは「ぐぅ」と押し黙る。
まるで餌をお預けされた子犬のようだ。
そんな姿が可笑しくて、リタはくすっと笑う。
「でもさっきグレインから私を守ってくれた時は格好良かったですよ。ちょっとだけ心がドキっとしたかもしれません」
「別に友達が危なかったら助けるのは当たり前だろ?」
「それを当たり前と言えるところが、お前の尊敬できるところですね」
リタの真正面からの賞賛に、エイトールの方がドキリと心臓を跳ねさせる。
怒っていない時のリタは本当に可愛い女の子だった。
「そういえばこれを返しておきましょう」
「あ、そうだよ、ありがとう! 中は……良かった、無事みたいだ」
リタが渡してきたのは、グレインたちに取られかけた黒い箱だ。
受け取ったエイトールはすぐに中身を確認して、ほっと息を吐く。
その様子にリタは不思議そうに首を傾げた。
「私も中を見て大丈夫ですか?」
「ああ、リタなら構わないぞ。ほら」
エイトールが見せてきた箱の中身に、リタはますます首を傾げた。
「石……? お前は珍しい形の石を集める趣味でもあるのですか?」
「そんな
ばばーん! とでも効果音がつきそうな言い様でエイトールは石ころを見せつける。
リタは目を細め、まじまじとその石を見つめた。
「宝石? これが? 宝石はもっと綺麗でピカピカしていると思いますが」
「それはこいつを研磨……削ったり磨いたりした後の姿だな。こないだの休みに師匠と一緒に洞窟を潜ったら偶然これを見つけてな」
「師匠……ああ、そういえばお前はビルズ老の工房によく足を運んでいますね」
エイトールは頷きながら説明を続ける。
「俺は宝石職人になりたいんだ。ただの石ころを削って磨いて綺麗にして、それを素敵な人たちに届ける仕事をしたい。宝石ってのは結婚のプロポーズとかで男性が女性に渡したりするもんだ。俺の作った宝石でプロポーズが成功したなんて話があったら、そいつは最高に素敵なことじゃないか?」
まるで子供のように語るエイトール。
幼くも眩しい少年のその夢に、リタはくすりと微笑んだ。
「私は宝石には詳しくないですけど、その夢は素敵だと思いますよ。協力はできないけど応援はしています。頑張ってくださいね」
「おう、ありがとう……なあ、せっかくだからこの宝石ができたらリタがもらってくれねぇか?」
「……お前はさっき自分が言ったことを覚えていないのですか?」
エイトールが「ほぁ?」とマヌケ顔を晒す。
宝石は男性が女性にプロポーズで渡すもの。
先ほど自分で口にしたばかりの内容をこの男は覚えていないらしい。
「遠回しな告白かと思いましたよ。まったく心臓に悪いですね」
「え、なんだって?」
「お前はやっぱりデリカシーのないバカだと言ったのですよ」
「急にひどくねっ!?」
リタからの罵倒にうじうじと下を向くエイトール。
だが地面へと顔を向けたのは幸運だったのだろう。
違和感に気づいたエイトールは咄嗟に、リタの襟首をぐいっと引っ張った。
「おわっ? 何を――」
突然の奇行にリタが驚くのも束の間。
先ほどまで彼女がいた地面が盛大に
ぬめりを持つ白肌の
蛇のような
その口に生え揃ったノコギリのような歯を見て、リタは悲鳴のような声をあげる。
「
もしエイトールが引っ張っていなければ、今頃リタは蛇の胃袋の中だっただろう。
その事実を遅れて理解し、ブルリと身体を震わした。
だけど、恐怖で固まっている時間なんてない。
リタはすぐに頭から恐怖を追い出して叫んだ。
「エイトール! 早く逃げましょう!」
「いやぁ、こいつを放っておくと他の生徒を襲うかもしれねぇぞ? ここは寮から学校までの通学路だしな」
「だ、だとしても私たちにできることなんて――」
「まあ、見てろって。これくらいの大きさだったらたぶん大丈夫だから」
何を言っている――というリタの言葉が届く前に。
土砂を巻き上げた
獲物を丸呑みにせんと大きな口を広げた巨大蛇に対して――。
「ふんっ!!」
ガッ! と。
エイトールは両手で力強く、ノコギリのような蛇の牙を掴んだ。
「なっ!?」
リタの驚きの声が響く。
その圧倒的な体格差を見れば、人間が太刀打ちできるはずがない。
丸呑みにされるか、良くて蹴られたボールのように吹き飛ばされるか――。
しかし、エイトールはどちらでもなかった。
「くぅうう、流石にちょっと痛ぇな!」
足の筋肉がビキビキと音を鳴らしている。
不自然な拮抗は、そう長く続かなかった。
「らぁあっ!!」
気合いと共に、エイトールは足を振り上げた。
強烈な蹴りが
痛烈な威力だったのだろう。
すぐに白目を剥いた巨大蛇は泡を吹きながら倒れ、ピクリとも動かなくなった。
「…………うそ……」
リタは目を見開いて驚愕した。
丸腰の人間が力尽くで
そんなバカな……。
「だ、大丈夫なのですか、エイトール?」
「ん? おう、ちょっと手は痺れたがそれくらいだ。最高の宝石を作る職人の手は無事だぜ!」
そう言って手を開いたり閉じたりするエイトール。
リタは自分で見たものが信じられなかった。
「
「別にこれくらいできるやつは他にもいるだろ?」
「魔力も使わずに
「ふーん」
エイトールは
どうやらあまり興味がないらしい。
「ふふっ」
これくらいの年齢の男の子なら、騎士や冒険者に憧れる者が多い。
だけどエイトールはそんなことには一切興味がなく、ただ石ころを磨くのに夢中なのだ。
それがなんだか可笑しくて、リタは小さく笑った。
「ありがとう、エイトール。また助けられてしまいましたね」
「別にいいさ。友達を助けるのなんて当たり前だろ?」
リタは頬を朱色に染めながら、エイトールを見つめる。
笑う少年の横顔が、ちょっとだけ格好良く見えたのは内緒だ。
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