第八章 ニライカナイ①
夕闇の空は、徐々に
雲の縁を赤く滲ませていた夕陽は、もう完全に西の岬の向こうへ落ちたか、夜空には星が瞬き始めていた。西の空が闇に沈むと同時に、
「あんた……あの時の」
奈良の街で無量を襲った暴漢と一緒にいたモスグリーン・コートの中年男だ。面長の異相に、
萌絵を振り返ると、真っ青になっている。それを見て、彼女を石垣島へと連れてきたのも小豆原──「あの夜の男」だったと無量は気づいた。
「今のは、どういう意味なんだ。忍。まさか、こいつが三村サンを……?」
「至急、東京にお戻りください。昌史様の御命令です」
と小豆原が会話を遮って告げた。コントラバスを思わせる重く低い声だった。目元には怒りが滲んでいる。
忍はじっと睨み据えている。
「否定しないのかい?」
「愚にもつかない話です」
「
「JBスタンフォードのウォール会長が、三ヶ月ほど前に、シンガポールの邸宅で、
無量が「それ誰?」と
「ウォール会長に何を言ったんです。東シナ海開発の発言は、どう考えても、井奈波の社内秘を把握した上でのものとしか思えない」
「雑談をしただけさ」
「ジオ社に、新実が保有する
「何を証拠に」
小豆原が突き付けたのは、数枚の写真だ。
写っているのは、他でもない。忍ではないか。
「眼鏡の男は、
「………。どうやって、こんなものを?」
「地元経済誌がリーク画像として入手していました。この後、ウォール会長は鉱業部門への長期投資方針の変更を示唆している。
どういうこと? と萌絵が無量に耳打ちした。何だかよくわからないが、つまり、今度の買収劇の中心人物であるウォール会長が動く時、なぜか忍が近くにいる、と言いたいらしい。
「しかも談話の中で、
「……僕が『龍禅寺文書』の内容を、彼らに教えたとでも?」
「では、なぜ、コアのデータまで、彼らが把握していたんです」
詰問する小豆原を、忍は鋭い目つきで凝視している。
「ジオ社が発表した東シナ海の銅鉱床に関する予測評価に、井奈波が尖閣近海で採取したボーリング・コアのデータが使われていた。社内秘を何者かがリークしたとしか考えられない」
「スパイは僕だと言いたいんだね」
「情報
「ふっ。取引のつもりかい? 小豆原。おまえの罪と僕の罪を、
「『龍禅寺文書』にはこうあった。〝蓬萊とは
「〝銅の〟……〝海〟……」
「そう。龍禅寺雅信は、始皇帝が、蓬萊を求めさせたのも、実は不老不死の薬を探すためなどではなく、銅鉱床を手に入れるためだったと解釈した。龍禅寺雅信は『蓬萊』を探し出し、そこに埋まる『宝』の資源を手に入れるのを一生の野望としていたからね。そして、その場所がどこかを、特定する手がかりになるのが、『不老石』と蓬萊文神獣鏡だった」
「つまり、蓬萊産の鉱物を掘り出すために……
「そういうことだ」
と忍は認めた。
蓬萊からの使者のものと思われる墓から出る副葬品。
その素材を化学分析することで、産出地を特定できる。
「蓬萊の場所が、沖縄近海を指すことは、父さんが見つけた琉球古代文字が大きな手がかりになった。『龍禅寺文書』に記されていた蓬萊文字が、実際に石垣島で見つかったことは、驚くべき発見だったから、雅信も教授もそりゃあ興奮しただろう。……八重山近海から採取される鉱物中の鉛が、青銅鏡の原材料となった鉛の同位体と一致すれば『蓬萊』の場所が特定できる。鉱石を同定できれば、なお間違いない。同時に『龍禅寺文書』が
無量はようやく合点がいった。
あの古墳の発掘には、何か別の意図がある。
何か異様な力が働いていると感じたのは、このためだったのだ。
「……当の雅信は結局、それを確かめる前に死んでしまったが、
「忍……」
「だが、そんなことはさせない」
忍は闘う眼になって、強く断言した。
「義兄さんの思い通りにはさせない。家族を殺し、父さんの研究を汚した人間が、『井奈波の天皇』の座に納まろうなんて、この僕が断じて許さない!」
忍の頑強な意志に、無量は息を
そのためだけに忍は、三村教授を操り、恐らくはそのために文化庁の職員にまでなったのだ。世界に名だたる投資家や中国のライバル企業までも巻き込んで、そうまでして阻止しようとした忍の意志に、圧倒されずにはいられなかった。
「永倉さん、あなたがあの日見た『研究室から去る男』は、僕に間違いない。……あの日、僕は三村教授に電話で呼び出されて、研究室に行ったんだ」
と忍が語り始めた。奈良市内の居酒屋で、無量たちと吞んだあの夜のことだ。急な用事ができたと言って、席を立った忍。あの時の電話は、他でもない、三村教授からのものだったのだ。
「電話の向こうの三村教授は動揺してた。『何者かから電話を受けた。〝
そして、その数分後には、三村教授は命を絶たれた。
無量と萌絵は、その目で見た殺害現場の
忍は不気味なほど淡々としている。
「僕が駆けつけた時には、教授はすでにこときれていた」
「……犯人はその場にいなかったんですか」
「ああ。すでに」
「なら、なぜ」
「証拠も証言もないのに、ひとを人殺し扱いしようとは」
と小豆原が重く口を開いた。
「ことによっては、名誉
忍は動じず「話は終わりじゃない」と付け足した。
「……教授は、犯人とのやりとりを、画像と音声付きで、僕に伝えてきてたんだ」
「なに」
「これでね」
と懐から取りだしたのは、見覚えのないスマートフォンだ。
三村教授のスマートフォンだった。所持品からなくなったまま、警察も見つけられなかった。忍が持っていたのだ。
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