6 黙秘します

 昼休みを迎えた新太は、教科書をしまうことも放棄して教室を飛び出す。


「透ー! ちょっと顔出せるか?」


 隣のクラスの教室にひょこっと顔を出し、気さくな調子で透に声をかけてみる。教科書を片付けていた透が顔を上げた。目が合えば、透は静かに立ち上がる。

 扉の前で待つ新太に対し、ちょうど教室を出ようとしていた三人組の女子生徒が彼の前を通るタイミングで笑いかけてきた。新太はこちらを見てくる三人に対して片手を上げて爽やかに挨拶を返す。


「なに。うちのクラスにナンパしに来たわけ?」


 目の前を去った三人組に続いて新太に近づいてきたのは呆れ顔の透だった。


「んなワケあるか」


 透の肩を軽く叩いて漫才師に似た突っ込みを入れた新太の表情はにこやかだ。透が遠慮なく嫌味を言ってくることは、新太にしてみれば彼と親しくなった証拠とも言えた。新太はにこにこしたまま透の肩に腕を回して廊下に連れ出す。


「で、どうしたの? 昼飯忘れたとか?」

「いや。ちゃんと持ってきたって。そうじゃなくて、もっと大事な話だよ」

「大事な話? 昼飯は新太の超重大事項じゃないっけ?」

「それはそうだ。でも今はそうじゃない」

「そうなの?」


 透を連れたまま廊下を歩く新太は、人通りが少ない端の角まで透のことを導く。この先の第一資料室は古びた書物ばかりが積まれているだけで人の往来がない。人に聞かれたくない話をするにはちょうどいい空間だ。


「ほら。今朝の集会の後、校長先生に呼ばれてただろ? あれ、大丈夫だったのかよ」

「ああ。そのことか」


 ひそひそと辺りを警戒しながら訊ねる新太の真剣な表情に神経を尖らせていた透。しかし出てきた言葉に気が抜けたのか、話を聞くなり彼は新太の腕から離れて壁に背をつける。


「新太にも聞こえてたんだ。心配かけたなら悪い」

「いいんだよ。何を言われたのかって結果にもよるけど」

「メディア室の鍵の話は、もう知ってるよね?」


 透は緊張を滲ませる新太の様子を眺めるように見てから問う。


「ああ、聞いたよ。鍵を任されてるのは透なんだってな」


 嘘偽りなく、新太は透に真剣に向き合った。


「そう。メディア室は、カメラとかスペック高いパソコンとか……学校の中でも高価な機材が揃っていることもあって使ってないときは鍵をかけないといけない。メディア室を使うのは主にメディア部。授業でもたまにしか使われないし、ほぼメディア部の部室と化してる。だから、俺たちメディア部は特に鍵の扱いには注意しろって厳しく言われてきたよ」

「そうらしいな。俺もメディア室はほとんど入ったことがない」

「だよね」

「でも、なんで透が鍵を持ってるんだよ。そんな場所の鍵、生徒が管理してるとかちょっと危険じゃないか?」


 新太は腑に落ちない顔をして学校側の管理体制を疑うように眉をひそめた。


「まぁそう思われても仕方ないか。でも、メディア部って活動日が決まっているわけでもなく、結構生徒が各自でやりたいことがある時に部屋に行くって感じなんだよね。事前に先生に許可を取る必要はあるけど。で、頼成先生がメディア部の顧問になってしばらくして、生徒の自主性をもっと尊重したいって理由で生徒にも鍵を自由に使わせてあげようって話になったらしい。それまで鍵は先生が管理するやつと、保管されてる予備の二本だけ。頼成先生の提案が通った後は、部員用にもう一本増えた。その鍵を代々メディア部の中で一人だけ受け継ぐことができる。先生も忙しい。許可は取れても、活動したい時にいつでも動けるわけじゃない。そんな時に、生徒だけでも気軽に活動できるようにしたかったみたいだ。頼成先生は、何よりも生徒の自主性を重んじていたからさ」


 透はポケットに手を入れて壁に重心を傾けた。


「鍵を持つ部員は先生が決めた。毎年四月の新学期に、先生が直感で決めるんだ。俺の場合は、高価な物にも興味がなさそうだから、っていう理由で任された。機材を転売される心配もないってな」

「それは見る目があるな」


 新太の知る限り、先生の見込み通り透は物の金銭的な価値に関心がない。というよりも、他人と自分の所有物にきちんと区別をつけている。他人の所有物に関しては、どんな理由があろうと手を出したりしないことを、同居を始めてすぐに新太は身をもって知った。


「まぁ、鍵の話はさておき。とにかく鍵の管理を任されてた俺は捜査対象になるって話だよ。校長先生にそのことを言われただけ。手間をかけるけど、調査のために警察が話を聞きたいと言っているから協力するようにって」

「事情聴取はこの前終わったんじゃないのかよ?」

「それは第一発見者として。次は違う」

「容疑者ってことか」

「あくまで重要参考人、だけど」


 透はこくりと頷いて肯定した。新太の喉元を苦いものが通っていく。


「なぁ、透。俺に出来ることないのか?」

「この前も言ったけど、余計な首は突っ込まなくていいって。新太も来年は受験生だ。今から勉強に本腰入れといたほうが身のためになるよ」


 ポケットから手を出した透は軽く放り出していた片足に力を入れてしっかりと姿勢を正して立ち直す。


「心配してくれるのは嬉しいけど、でも、俺としても新太を巻き込みたくないし」

「そんなこと気にする必要あるのかよ? それこそ余計なお世話だって!」


 新太は凪の如くゆらぎのない鷹揚な透の調子に歯向かうように声を上げる。


「俺は、お前の力になりたいんだよ。兄として」

「兄、と思ったことなんてないけどね。生まれが数か月早いだけだろ」

「──ッあああもう! そうじゃなくて!」


 もどかしさに頭を抱え、新太は喜劇役者に劣らぬ大胆な身振りで身体を上下させた。


「お前がどう思ってようと関係ねぇよ。俺たちは友だちだし、家族だ。そんな奴が大変な目に合ってるんだぞ。無視できるわけないだろ!」


 新太の力強い言い切りに、透は一度瞬きをする。


「お前はやってない。誰が何と言おうと俺はそう信じてるからな」

「信じるのは、勝手だけど」

「いいんだよ。俺は勝手にお前のことを信じる。それで納得したか?」


 有無を言わさない新太の問いかけに透は黙ったまま首を縦に振る。


「よし。そうだ、他に捜査の対象になってる容疑者っているのか? あの時、鍵を拾ったのは別の生徒だろ? それに、お前が疑われてるなら一緒にいた芙美ちゃんはどうなる。これはアリバイにならないのか?」


 透が頷いたのを確認した新太は嬉しそうに笑った後で早速話を切り替えていく。


「先生が殺されたのは、俺たちが発見するより一時間前以内のことらしい。だから、例え少しの間生天目と会っててもアリバイとは認めてくれないよ。というか、一緒にいたこと自体認めてくれないかも」

「なんでだよ」

「生天目がそう言ってくれるかも分からないし。むしろ、俺と一緒にいたことで彼女も容疑者の一人だ。怒って俺に不利な証言をするかもしれない」

「芙美ちゃんはそんなことしないだろ。学年きっての清純派で優しい性格で評判だし。ちゃんと正直に話してくれるって」

「だといいけど」


 透はあまり期待していない素振りを見せて新太から目を逸らす。


「そういやあの時お前芙美ちゃんと何を話してたんだよ。この前も教えてくれなかったよな。場合によっては二人が容疑者じゃない有力な情報になるかもよ?」

「それは言わない」

「なんだよ。もしかして警察にも言わないつもりか?」

「ああ」


 透は来た道へ靴先を向けて横目で新太を捉える。


「俺としてもどうしたらいいのか分からないんだよ。その話はちょっとだけ、放っといてくれ」

「まぁ……俺は、素直に話した方がいいとは思うけど……。でも、決めるのは透だ」

「ありがとう。じゃあ、昼休みが終わっちゃうからもう行くよ」

「ああ。悪いな、時間取って」

「いい。新太に疑われてないって知れて、少しだけほっとしたし」


 透はそれだけを言い残して廊下の角を曲がり教室に戻っていく。新太は鍵が掛けられたまま長らく放置されている第一資料室の扉へ視線を移した。事件当日のメディア室も同じように鍵が掛けられていた。

 芙美とのことを話せば、二人はそれどころではなかったと少しくらい警察も納得してくれるかもしれない。透に無理強いをさせるつもりはないが、新太はそんなほんの僅かな可能性に期待していた。よくある青春の話。それくらい、彼らだって察することが出来るはずだと。


 新太は頭にぼんやりと浮かべたステンドグラスの光景に想いを馳せる。彼自身も何度かあの場所に呼ばれたことがあった。もしそれと同じだとしたら。透の気持ちがどこか落ち着かないのも無理はない。

 パーティーを抜け出した日に聞いた彼の自己分析が新太の脳に囁きかける。もしかしたら彼自身もまだよく分かっていないことで、整理しきれていないのだろうか。

 透の秘めたる葛藤を想像し、新太は微かに目を伏せた。

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