第六話① 立てるんだろ? なら、諦めるにはまだ早いんじゃないかい?


 ノアを見送った後、マイケルはパンの乗ったお皿を片手にジェニファーの部屋の前で声を上げていた。


「ジェニー。昨日から何も食べてないだろう。どうだい、朝食でも? もうお姉ちゃんもいっちゃったし、今なら追いはちみつしても怒られないぞー?」

「…………」

「それともまたパパと一緒に筋トレするか? 健全な精神は健全な肉体に宿るッ! 身体を鍛えていれば、心も身体も健康そのものって訳さッ! さあ、イッチニ、イッチニッ!」

「…………」

「……なあジェニー。恨むなら、パパを恨んでくれ」


 一向に返事をしてくれないジェニファーに対して、マイケルは弱々しく声を漏らしていた。


「ジェニーと向き合えず、ノアのことも叱れず。嘘をついてやり過ごすことを決めたのは、パパも一緒なんだ。お前も、そしてお兄ちゃんも何も悪くない。あんなことがあって、ノアはああ言わなきゃ心が保てなかったんだ。あんなに辛そうにしていたノアを受け入れられず、私は正しく導けなかった。いや、そもそもあの事故だって、ノアのことをちゃんと見ていれば。あの子の心に寄り添えていられれば、起きなかった筈なんだ。ママは今でもこの家に居て、パパと一緒にジェニーを見送ってくれていた筈なんだ。全部、パパが悪いんだ……」


 マイケルの声と共に、彼が手に持ったお皿の上のパンが震えている。とめどなく湧き出てくるのは、自身に対する不甲斐なさ。情けなさ。そして妻を失い、息子を苦しめ、娘すら傷つけてしまったことに対する、深い悲しみ。怒ることすらできないくらいの、やり切れない思い。吐き出すことも飲み込むこともできない、重たい気持ち。


「頼むよジェニー。パパに顔を見せておくれ……ママの面影があるお前の顔が見られないのは、とても辛いんだ。手前勝手なお願いだって解ってる。それでもパパは、お前の顔が見たいんだ。ジェニー……」

「…………」

「……ジェニー?」


 やがて、マイケルは疑問を覚えた。昨夜までであれば、何かしらの物音がしていた筈のジェニファーの部屋。それは彼女が部屋の中を歩く音だったり、何かを投げつける音だったり、あるいはこちらの言葉に対しての何かしらの反応や息遣いであったり。誰かがいる以上、しない訳がない音が確かに聞こえていた筈なのだ。

 しかし今、ジェニファーの部屋からは何も聞こえてこない。足音も、物音も、息遣いも、何も。寝ているのかとも思ったが、マイケルには嫌な予感があった。それは妻であったステファニーが亡くなった時のような、冷たい直観が。


「ジェニーッ!!!」


 声を上げたマイケルはドアを蹴り破った。中にいたジェニファーがびっくりして飛び起きてくれたら良い。勝手に入って来るなと怒ってくれたら安心する。そんな期待を抱いた彼であったが、目に飛び込んできた光景には……。


「ジェニー? ジェニーッ!? 何処行ったんだいジェニーッ!?!?!?」


 何処にも、娘であるジェニファーの姿はなかった。布団がぐちゃぐちゃになったベッドにも、スマホやカバンが置きっぱなしになっている机にも、何処にも。代わりに見えたのは、少しだけ開いている窓。


「ジェニファーァァァッ!!!」


 マイケルは吠えた。ジェニファーはいなくなってしまったのだ。彼は慌ててノアに電話をかけたのであった。



「という訳なんだ、ノア。すまない、私がいながら……」


 家に戻った僕とサラに対して、パパがうなだれたまま事の顛末を話してくれた。もう一度ジェニーの部屋を見てみたけど、そこに彼女の姿はない。それどころか、いつも大事に持っていたスマホすら置いていってしまった為に、彼女に連絡を取ることすらできなくなってしまった。


「私は最低の父親だ。ジェニーに嘘をつき、挙げ句見守ることすらできなかった……ママに、ステファニーに合わせる顔がない」

「そんなことないよ、パパ」


 遂には座り込んでしまったパパに対して、僕は声をかける。そうさ、パパは最低な父親なんかじゃない。


「ママが亡くなってからも、パパは僕たち兄妹を一人で育ててくれたじゃないか。本当に最低な父親なら、育児も放棄して施設にでも預けちゃうって」

「しかしッ! 私が何もしなかった所為でジェニーは……」

「起きちゃった過去は、変えられない」


 僕はついさっきサラからもらった言葉を、思い返していた。勇気をくれた、彼女の言葉を。


「どうしようもないんだよ、パパ。ママが亡くなったことも、僕がジェニーに嘘ついて誤魔化してたことも、パパがそれに乗ったことも。どうしようもないんだ。なら、さ。それについて考えるのは、もうやめようよ。変えられないんなら、いくら考えたって無駄さ。それよりもパパはさ、どうしたいんだい?」

「どう、したいって……?」

「ジェニーと仲直り、したい?」


 パパは僕のその言葉に、すぐに頷いた。うん、パパもそうだよね。


「そうだよね。ならさ、できることをやろうよ。僕もサラに教えてもらったばっかりだけどさ、悩んでたって何も変わらない。大丈夫さ、ジェニーなら解ってくれる。だって僕の妹で、パパの娘でしょ? 信じようよ、僕たちのジェニーをさ」

「ノア……」

「パパ。僕はもう、家族を失いたくないんだ。また三人で、ピクニックに行きたいよ」

「……ああッ!」


 僕の言葉に、パパは力強く返事をしてくれた。そして立ち上がってくれた。うん、パパはやっぱり強い人だ。最低なんかじゃない。


「そうだなノアッ! パパだってこれ以上家族を失うなんて耐えられない。あんな思いは、もうコリゴリだッ! そうだ、ジェニーに謝ろう。その為にはすぐにでも、ジェニーを探さないとなッ!」

「うんッ! 探そう、ジェニーをッ!」

「私もお手伝いするわ」


 やがて黙っていたサラも声を上げてくれた。サラ、君も手伝ってくれるのか。


「ちなみにノア、この美人さんは誰なんだい?」

「いずれちゃんと紹介したいけど、とりあえずは手短に。僕のガールフレンドさ」

「ほう、そうかッ! それはカッコ悪いところを見せてしまったなッ! 私はマイケルだッ!」

「初めまして、ノアのパパ。私はサラ。またゆっくりお話したいところだけど……」

「家族紹介はまた後で、だね。とにかく今は、ジェニーを探さないとッ!」

「そうよね。お楽しみは後に取っておかなくっちゃッ!」


 サラとパパの交流を深めてもらいたいところだけど、今はジェニーが何処に行ってしまったのか、行く先を割り出すことが先決だ。僕はパパと二手に別れて探すことに決めた。


「じゃあパパはジェニーを探しつつ直接警察に行ってくるッ! 通報じゃ取り合ってくれない可能性もあるからな。ノアは彼女の行きそうな場所を当たってくれッ!」

「オーケー、パパ。必ず見つけよう、僕たちのジェニーをッ!」

「もちろんだ我が娘よッ!」

「だから息子だっつってんだろッ! ったく……行くよサラッ!」

「ええ、ノアッ!」


 僕らは走り出した。まず確認するのは、ジェニーの通ってた通学路からだ。もしかしたら学校に行っているかもしれないし、その途中で見つけられるかもしれないしね。これがジャパニーズ虱プレスってやつさ。可能性は丁寧に潰していこう。

 待っててねジェニー。君を必ず、見つけ出してみせるから。

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