第20話 新たな可能性4

 電車を乗り継いで東松戸からはバスで十分ほどの、大通りから少し外れた場所に常盤さんの展示館は建っていた。上野美術館のような大層な外観を想像していたが、それよりも地味でこじんまりとして、美術館というよりかは少し大きな倉庫のようだ。



 正面には受付口があり、裏側には従業員出入り口、そこから二階へ階段が延びて非常用扉がある。あとは小さな窓が等間隔に嵌められているくらいだ。トラックをギリギリまで寄せれば二階窓に手も届くだろうが、あの小さな窓からでは子供でも通り抜けられない。



 受付で事情を説明すると既に常磐さんから連絡が入っていたようで、クビにされた従業員の連絡先と入場チケットを無償で渡された。



――よく考えたら元従業員の連絡先を警察でも何でもない俺に渡すのは法律的にアウトだよな。



「水野です。館長から案内をするようにと承っております。盗まれた太刀を展示していた場所までご案内させていただきます」



 化粧の薄い女性が受付から出てきて頭を下げた。東儀さんと玲威さんには自由に見て回っているよう伝えたが、刀剣はほとんど展示会に持ち出されているため、歴史を感じる大時計やら壺などしか置いていないのが退屈なのか、一緒に回ることになった。



「水野さんは盗まれた日は出勤されていたんですか?」

「私ですか? いいえ、その日は館長と展示会の打ち合わせで一日中出ていました」

「この場所には戻ってはいない、ということですか?」

「休館日ということもありましたので、警備員三名を除いて従業員は誰もその日はこの場所には訪れていません。退職させられた警備の方にも聞けばそう答えるはずです」



 太刀が展示されていたのは二階のようだ。内装は全フロアショーケースが不規則に並んでいて、厳重といえるのかは定かではないが、専用の鍵を使わなければ、物理的にケースを破壊する以外に盗む手段は無さそうだ。



「ここです」



 問題のショーケースは二階フロアの端にある。辺りを見渡すと一台の小さなカメラが此方をしっかりと捉えているのが判る。



 展示されていた太刀のケースは空だ。ケースを施錠する鍵穴の部分が硬い何かでほじられたような跡があった。



――ピッキングで解錠してから太刀を盗んだということになるね。



「休館日は照明を落としているんですか?」

「照明を落としてしまうと映像が見えなくなりますので、監視に差し支えがない数は付けています」

「休館日以外の照明を消してもらえますか?」



 水野さんが通信機で指示をすると、映画上映開始時のようにゆっくりと館内が薄暗くなっていく。近くにいる彼女たちの顔くらいはまだ認識できるくらいには明るい。つまり、闇夜に紛れて盗み出すのは困難と言える。



 常磐さんの話では警備の人は監視カメラをしっかりと見ていた、と言っていた。照明も付いていたのであれば見落とすなんてことが起こるはずもない。



「あのぅ、このカメラ映像の管理会社っていうのは」



 東儀さんが小さく挙手をして聞いた。



「千丈電子セキュリティーよ。国内の防犯カメラほとんどがもうそこと契約しているかと思いますよ」



 世界でも90パーセント以上シェア率を誇る電子セキュリティー警備会社。本社を中野区に置き、そこから世界中の防犯カメラ映像が彼等の技術によって管理され、24時間体制で高画像映像による警備を敷いている。今ではネット犯罪に使われているパソコンなんかも瞬時に位置特定をしてしまえる時代を先駆する技術屋だ。



「でも、あの会社って去年問題になりましたよね。連続猟奇事件でしたっけ。遺体遺棄現場の映像が書き換えられていたとかないとか」



 そのせいで事件解決に時間が掛かったという。今回の盗難もその書き換えが原因という可能性だって十分に考えられる。もちろん常磐さんだって千丈電子セキュリティーに映像の確認を要請しただろうし、その返答だって得ているはずだ。それでまだ犯人が特定されていないというのならば、映像を外部から細工されていたか、カメラ自体の調子が悪かったということになる。しかし後者の線を推して考えるには無理がありすぎるように思える。



 カメラの調子なんて部外者からは判断が付かないからだ。



――身内の犯行ということか?



 管制室からカメラを一時的に止めたとしてもそれが異変として千丈電子セキュリティーに報されるはずだ。



「東儀さん。お父さんに確かめておいて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」

「うん。いいけど、何を聞くの?」

「この展示館のカメラ映像についてかな。確かお父さんって結構な重役だったよね。ということはカメラ映像を確認する権利は有しているかもしれない」

「不審な点が無いか、を確認すれば良いんだよね」



 東儀さんはさっそく電話を取り出してメールを打ち始めた。



 俺の携帯には聖人君から、『面白い情報があるから、都合の良い時にでも電話をしてきなよ』メールが来ていた。



 水野さんと玲威さんに断りを入れて一階に降りながら、彼の番号をアドレス帳から探し出してコールする。



「やあ。メールを送ってからずいぶんと時間が経っているけど、忙しいのかな」

「探偵の真似事で忙しいのは確かかな。それより、面白い情報というのは?」

「四人目と五人目の被害者の身元が判ったんだよね。村瀬牧人を殺した犯人は……、ある共通点を持つ人物ばかりを狙って首を刎ねているみたいだねぇ。画像の少女にも当てはまっていることだから、よく聞くといい」

「それは?」



 メモ帳もペンも持ち合わせていないので、なんとか頭に留めておこうと一度頭を白紙にする。



「まあ、名前は重要じゃないから省くよ。僕も暇じゃないんだ。さっさと用件を済ませてこの後には別件で出掛けないと行けなくてね」



 暇じゃないのなら早く情報を教えてくれとは口に出さず。



「これが実に面白い選定方法だったんだよね。ある病院に通院していたようだ。それも、似たような症状で悩んでいたらしい。他人への嫉妬だよ。それも近しい者への、ね」

「近しい人への嫉妬?」

「そう、嫉妬だよ。村瀬牧人はキミに嫉妬していたんだ。降旗先生は気付いていたかなぁ、ずっと近くで一緒に仕事をして、プライベートでも仲良く東儀沙穂を交えて親交があった彼の素顔を」

「俺は知らなかったよ。彼のプライベートまで踏み込もうとは思っていなかったから。聖人君の言葉を今だけ借りるなら、他人事だね。メールで送ったようにいつ犯人から要求が来るか判らない。その前に少しでも情報を集めて藤井玲奈さんを助けたいんだ」

「画像の子なら諦めた方がいい。足掻いたところで徒労に終わる」

「どうしてそんなことが言えるの。まだ犯人からは要求が来ていないのに」

「要求なんて端から無いからね。犯人は嫉妬を恐れている。菩薩でもない人間であれば誰でも秘めている原罪の一つ。嫉妬で人間関係や大切な何かを壊したんじゃないかなぁ。すべてを他人事で割り切れないからそんな感情に支配されるんだ、と親切心から言ってあげたいくらいだよ」



 嫉妬をしているから殺すのではなく、嫉妬しているから殺されるなんて聞いたことがない。いや……、あった。嫉妬というワードが強くインプットされる情報。海津原聖人君からの資料の束に、小山内家が実際の人間の首を刎ねていた歴史。



――そうだ。あの家系は他人への嫉妬心から狂った人間の首を刎ねていた。



 自分より相手が優れている時に抱く感情こそが嫉妬。焦がれるほどの、それこそ人間である枠組みから踏み外すほどのものがどれほどなのかは想像がつかない。村瀬君が俺にそこまでの嫉妬をどうして持っていたのか。『村瀬牧人は未成年の少女に対して援助交際をしていた』記憶の底から雑多に散らばる情報を押しのけた久内刑事のいつかの言葉。



――未成年の少女と援助交際。



――未成年の少女?



「まさか、東儀さんのことか」

「私がどうしたの、センセ」

「ああ、いや、なんでもないよ」



 反射的に通話を切って振り返る。東儀さんが首を傾げて俺を見上げている。



――俺達はそういった関係じゃないというのに。



 彼が援助交際をしていたなんて証拠は出てこなかったと久内刑事は言っていた。素人が余計な妄想を膨らませるからこうなるんだ。今やるべきことは情報収集であって考えるのは後回しでいい。



 階段を上りながら聖人君には謝罪と暗号解読の仕方を乞うメールを入れておく。



「すみません、お待たせしました」



 玲威さんと水野さんから刀剣についての歴史かなにかを聞いていた。「センセの電話が長いから、水野さんに迷惑だよ」小さく肘で脇腹をつつかれた。「ええ、お時間を割いて貰っているのに申し訳ありません」もう一度頭を下げた。「いいえ。ご覧の通り来館者もいらっしゃいませんし、小山内さんの刀剣に対する知識が聞けて楽しませてもらっていましたから」どうやら立場が逆だったようだ。



「このフロアに防犯カメラの死角はほとんどないようですね」



 入口から二階に上がるまでに幾つもの防犯カメラが照明の近くで目を光らせていたのは確認済みだ。これで犯人がどれにも映っていないというのだから、機械トラブルの線で考えるのは無理がある。



――機械分野に精通した協力者ハッカーがいる……、のかな。



ただの首切り殺人犯が得物を、そこで不可解な点に気付いた。カメラが機能していない状態であれば選り取り見取りだ。解錠する術を持っていて、わざわざ芸術価値を優先した一振りを選んだ理由。首切りの技術だけを習得して刀を見る目が無かったと結論づけてしまうには、あまりに不自然すぎではないか。



「センセ、考え事してるところ悪いけど、お父さんから連絡。その日の防犯カメラは一時的に接続障害が起きてたみたいなんだよね」

「えっ、接続障害……?」



 それならば内部の犯行でも可能になる。これはさっそくその日に警備していたと言う人物に話を聞かなければならない。



 残る問題。



 周りを見渡す。「あの非常用扉はどうやって解錠しますか?」俺が指さしたのは、盗まれた太刀のショーケースから数歩の距離にある扉。「内側からであればノブを下げれば開けられますけど、外側からは管制室から解錠しないかぎりは開けられません」内部犯か外部からのハッキングで問題解決か。他にも小さな窓は至る所にあるがどれも小さすぎる。「あの、従業員専用口も見せて頂けますか?」水野さんはその願いを想定していたように、「ご案内します」小さく頷いて先導してくれる。



 従業員口は受付内部に直結していた。部屋の中にはデスクやロッカー、監視モニターがある。常に人がいるこの部屋に侵入しても身を隠せる場所もなく、入ってきた時点で直ぐに見つかってしまう。「他に館内へ出入りできる場所は搬入口くらい、か」呟いた俺に、「それはありえません。搬入口は普段シャッターが閉まっています。開閉にはここから操作しなければ不可能ですから」監視モニター辺りを指さしたが、数々の操作盤があってどれかは判らなかった。



――これが密室犯行というやつか。



 ミステリー物であれば定番中の定番。ミステリーを読まない俺から言わせてもらえば、ちょっと現実的でないトリックで誤魔化しているのだ。実際に参考にでもされたら大問題になる。だからこそ空想科学だったり、超人的な体力や腕力、そういったものを作用させることで密室を構築する。



 これは難癖である。



「センセ、すっごく失礼な事を考えていたでしょ」

「そ、そんなことはないけどね」



 読心術というやつか。



 そんなことはどうでもいい。知りたいのは密室から太刀を盗み出した方法ではなく、盗まれた日の状況だからだ。



 もう此処には用済みだ。水野さんには礼を述べてから展示館を出た。さっそく渡されたメモに書かれた番号に連絡を入れてみたが、呼び出し音が鳴り続けるだけで応答しようとはしない。見知らぬ番号からの電話には出ない人であっても、ずっと鳴らされたら通話を切るか諦めて出ても良いだろう。



 携帯電話を近くに置いていないことも考えられるのでひとまず切って、「小山内さんはこれからどうするの。実家に帰った方がいいと思うけど」彼女だって全くの無関係とは言えない。玲奈さんから彼女にたどり着く可能性だってある。事件が松戸市内で起きているなら一刻も早く市外の実家に帰るべきだ。



「しばらくは祖母の家で厄介になろうと思います。姉さんが帰ってくるかもしれませんので」

「しばらく夜間外出は控えた方がいい。まあ、言われなくても承知しているとは思うけど、自分一人で探そうなんて思わないこと」



 もちろん東儀さんにも言えたことだ。



「俺は一応この場で未成年の子供を預かる大人だ。キミたちの身の安全を何より考えるのは当然の責任なんだ、判るね?」



 二人は頷く。



「今日はもう帰ろう。日が暮れてきているから二人を送るから」



 玲奈さんのことはもう藤井家の人達には警察から伝わっているだろうか。きっと気が気でないはずだ。玲威さんの姿を見れば少しは気持ち的に余裕が生まれるかもしれない。女子高生を持つ祖父母であれば結構な高齢だ。あまり心労を掛けるのも良くないはずだ。



 俺は玲奈さんの自宅を知らないから付いていく形で送り届けることになる。



 元山駅に戻ってくると日は沈んでいた。暗い夜道を頼りない外灯が点々と照らしている。人通りの少ない住宅街とはいえ、地元に帰ってくるだけで得られる安心感は俺の緊張を少しだけ解した。



 彼女の自宅は元山駅と六実駅のちょうど中間くらいにあった。新築が並ぶ中に佇む昭和以前のような日本家屋。石垣で囲われた木造家屋には照明の明かり。玲威さんがインターフォンを押し込むと、ガラガラと音を立てて玄関が開き、「玲奈ちゃん! 無事だったのかい」背の低い白髪の女性が突進するように駆け寄ってきた。



「おばあちゃん。私は玲威よ、妹の」

「ああ、ああ、玲威ちゃん。警察から玲奈ちゃんが……、玲奈ちゃんが」

「うん。知ってる。大丈夫、玲奈姉さんは必ず見つかるから」

「ああ、ああ……」



 玲威さんの手をしっかりと両手で包み込みながら涙する姿を俺と東儀さんは彼女の背後から見守っていた。



「そちらのお二人は?」

「玲奈姉さんのお友達の東儀沙穂さんと降旗久七さん。二人に危ないからって送ってもらったの」

「そうだったのね。わざわざありがとうございます。ああ、そうだ、もし良ければ上がっていって。お茶を淹れるところなのよ」



 今度は俺達の所に来て、せがむように、震える手で俺と東儀さんの手を握った。



「わかりました。では、お言葉に甘えさせてもらって少しだけお邪魔させていただきます」



 俺の狙いはお茶ではなく、藤井玲奈さんの誘拐に関連付けられる何かが見つけられるかも知れないと考えたからだ。



――大丈夫。必ず見つけるから。

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