第7話 首切り祭儀3

 ファミレスで二時間ほど東儀さんの話に耳を傾けてから、自宅マンションまで送り届けて帰宅したものの、新刊小説の発売日だったことを思い出して急ぎ自転車を漕ぐ。飲食店が並ぶ比較的明るい大通りに面して建つレンタルビデオ屋へと。二階はDVDやCDのレンタル、一階では文具や本を販売しているので、どちらもよく重宝させてもらっている。



 自宅近くにある本を取り扱う店は駅近くの個人書店かここしかない。都合が良いことにレンタルビデオ屋の近くには飲食店が集まっていて、今日の財布は報酬金で厚みがある。つまり紐が緩んでしまっている状態だ。夕飯は近くのファミレスかラーメンにするか、贅沢な悩みを楽しみながら目当ての売り場までやってきた。



 SF小説は新刊コーナーの端っこに平積みされている。状態の綺麗な一冊を吟味してから手に取り、なんとなしに気分が向いて時代小説のコーナーを覗くと、休日にも関わらず学生服を着た少女が本の背表紙を指で一冊ずつ滑らせていた。



 歴史小説なんて高齢男性が読む印象が強いジャンルだが、東儀さんのような珍しい若者も確かに存在する。目の前の少女もまたその珍しい一人なのだろう。



 異性、それも若い娘に並んで時代小説を眺める気にはなれず、「まあ、買う予定もないしいいか」うっかり独り言を吐くとその少女が此方に気付いた。



 変質者に見られているのでは、という恐怖が思考を塗り潰す。お金欲しさに冤罪で訴えられる冴えない男性もいるくらいだ。変な眼でジロジロ見られましたなんて訴えられたら何罪で捕まってしまうのだろうか。悲観的な思考に巻かれている間に少女が近づき、「あの、邪魔でしたよね。ごめんなさい」予想もしない少女の謝罪。「あ、うん。こっちこそ探し物の邪魔をしたかな」意外にもすらすらと言葉が口を伝った。



「時代小説が好きなの?」



 自分の口から女性に対して話題を振ったまさかの驚きはありつつ、少女が持っている二冊の小説に視線を落としたのは彼女への興味からか。ミステリー小説と恋愛小説だった。彼女が時代小説だけでなく幅広いジャンルを読む文学少女だと認識を改める。



「お兄さんはSFが好きなの?」



 俺の手元を彼女の、色素が薄いのか、灰色の眼が覗き込んで微笑んだ。



「その眼……、あっ、ごめんね。悪気は無いんだ」

「気にしないでもいいのに。別にこの眼の事なんとも思っていないし。ちなみに、カラコンとかではないよ。それで私の質問なんだけど」



  気にした素振りも無く、口角を絶妙に持ち上げながら俺を見上げる少女。



「俺はSFしか読まないよ」

「ふぅん、時代小説売り場に足を運んだのは興味が湧いたの? それとも、気になる誰かが時代小説を読んでいたとかかな。意中の相手が読んでいる本を通じて繋がりたいなんて素敵だと思う」

「別に興味が湧いたわけじゃなければ、気になる誰かもいないよ。知人に時代小説が好きな子がいるだけ。それ以上でも以下でもない」



 彼女が小さく二回頷くと、鎖骨まで伸びた黒髪が首筋へと流れる。黒いワイヤーが彼女の首に絡まる様に見えた。そのままその髪が彼女の細く白い首を切断してしまう想像をしてしまう。もちろん絡まる事もなく、首が落ちる事も無い。肌を撫でるように元の位置へ流れて戻るだけ。



「読んでみると違う世界が見えて楽しいのに。自分で世界を狭めているのか、それとも他の世界が怖いのかな。私は色んな世界に触れてみたいの。自分に合った世界に安心して、身を置ける場所を探しているんだと思う」

「自分に合った世界……。この世界が嫌い、と言っているように聞こえるね」



 彼女は小さく笑って頷いた。



「天国があるなら行ってみたいと思えるくらいには嫌いかな、この世界」

「行きたいじゃなくて行ってみたいなら、まだ希望はあるよ。探してみなよ、この世界にある希望を」



 いい歳した男の臭い台詞が可笑しかったのか、眼を一度見開いてジッと俺を見て、次には細めて笑みを見せた。とても綺麗な造形で巧妙に作られた魅惑的な幼い笑顔。現代技術の人形でもここまで再現することは敵わない。現実的でありながら幻想を混ぜた不自然なまでに自然な矛盾した表情。誰かに見せる為か、誰かを魅せる為のものか。ひとしきり笑った彼女は謝り、「ありがとう、お兄さん。探してみる……、ううん、見つけるよ、希望を」手を振ってから俺の脇を抜けた彼女の足音は止まり、「私の名前、藤井ふじい玲奈れな。お兄さんは?」振り返ると彼女と目が合い、「降幡久七」誘う眼に魅せられたような錯覚。俺の口は自分の名前を告げていた。



「あれ、降幡久七……? 作家さんだよね。SF小説の」

「あ、ああ、知ってるの?」

「珍しい名前だから。さっきSFの売り場で見たよ、名前。へぇ、実名だったんだ」

「見つけても買ってはくれないみたいだね」

「今日は時代物と恋愛を買いに来たから。次は降幡先生の本をいっぱい買っていくね」

「そうしてくれるとありがたいね」



 彼女はまた笑って、小さな手を左右に振るとレジの列に並んだ。少し跳ねた心拍も落ち着きを取り戻して、誰もいなくなった時代小説の書棚の前に立つ。



 タイトルをしばらく眺めていても興味が惹かれず、試しになんとか見覚えのある作家の一冊を手に、普段ならしない、その場でページを捲って読む。視線が文章を追い始めると周囲の雑音が消え、目の前の小さな世界に没頭し始めていた。外界と隔絶された読書のための空間。その空間に一人、本の世界を俯瞰していられれば幸せでいられる。ページをめくる喜びと読み進めたい好奇心こそ読書の醍醐味ではないだろうか。



「あれ、センセ?」



 四十ページほど立ち読みした所で背中を叩かれ、見ていた世界が現実へと引き戻された。幸福ホルモンの分泌が阻害されて大きな喪失感が重くのしかかる。



「おーい、センセ!」

「ん、ああ……、東儀さんか。どうしたの? 何してるの、こんな所で」

「それはこっちの台詞。珍しいよね、センセが時代小説なんて読むなんて。まさか、私の為に勉強してくれていたりしちゃったり?」

「ちょっと読んでみようと思っただけだよ。そんなことより、一人で出歩くのは危ないよ。せっかく送ってあげたのに。徒労だよ、これじゃあ」

「ご心配なく。お父さんと一緒に来てるから。二階でDVDを選んでるんだけど、時間がかかるんだよね、優柔不断だから。で、その間に何か面白そうな小説はないかなって。偶然の出会いかな、これって運命?」

「偶然と運命は全然違う。それに運命なんてあやふやな現象は信じていないよ」



 別にSF作家だからというわけではない。何もかもを運命なんていう言葉で片づける人間が理解できない。人並みに神様だって信じているし、幽霊だって実在していると思ってもいる。だけれど、運命は信仰も無ければ思考も必要のない概念でしかない都合がいいだけの言葉だ。



「牧瀬君だって運命の一言で片づけられるほど、彼の命は軽くはないんだ……」



 口にして後悔した。しかし、その後悔の言葉は東儀さんには届いていなかったらしく、彼女の注意は時代小説へと向ききっている。



 彼の死が余計に運命を嫌厭けんおさせているのかもしれない。ロマンチックな意味ばかりではないことは確かだ。自分が作家になったのも運命ではなく、自分で選んで進んだ道だと胸を張って主張できる。



――すべては自分で選んで決めた道を生きているんだ。



「センセってファンタジーは嫌いでしょ。絶対そうだ」

「映画はたまに見る。昔の人からしたら電気や炎だって魔法に見えていただろうね」

「うわ、卑屈ぅ!」

「そんなつもりはないよ。本当だよ。実際に俺は科学も魔法と同一視する時があるから。自分の常識や知識の外側にあるものは魔法の奇跡だね。でも東儀さんの言うとおり、あまり好きじゃないかな。なになにをしたからこうなるっていう原理が明確でないものが受け入れられない頭なんだ」

「はいはい。もう分かりましたって」



 溜息を吐きながら諦められたことが釈然としなかった。かといってこれ以上の弁解は余計に墓穴を掘りそうなのでこの話題は区切る。「さっきね、ここに女子高生がいたんだ。綺麗な子だったよ」少し明るい話に舵を取ってみたが、「女子高生なら、ここ、にもいますけどね。ええ、ええ、私は綺麗じゃないですよーだ」ムッと膨れる彼女に誤解を与えてしまったようだ。



「キミは早とちりをしている。俺の説明も悪かったのは事実だけどね。訂正と謝罪をしても?」

「どうぞどうぞ」

「うん、ありがとう。まずはすまない。その子はここで歴史小説を選んでいたんだ。今思い返せば、あの制服はキミの学校と同じだと思う」

「何か話とかしたの?」

「小説の話を少し。それと……、いや、それくらいか。あとは名前を聞いたよ。藤井玲奈って名乗ってたけど、知らない?」

「ああ、藤井さんね。知ってる知ってる。去年に転校して来た子で同じクラスだよ。転入早々クラスの中心人物。美人だもんね。眼も灰色で綺麗だし、誰にでも平等で、勉強もできるから、えーと、文武両道っていうんだよね。そっか、藤井さんってここら辺に住んでるんだ」

「へぇ、文武両道ね。で、武道は何かできるの?」

「なんで武道なの?」

「いや、文武両道は学術と武術が優れていることを言うんだよ」



 言葉だけを知っていて意味を知らないのは誰にでもある事だ。実際に俺も調べてから間違って使用していた言葉もある。しかしそれにしても読んで字の如し、文武両道の意味くらいは知っていると思っていた。



「勉強になりました! さっすがセンセだね」

「俺はそろそろ帰るよ。お父さんによろしく伝えておいてね」



 手に持った小説を帰って早速読みたかった。空は黒く、星の光が点々と散らばっている。ここら辺でここまでの星空は珍しい。満天の星を眺めて事故に遭うのはご免だ。まだあの星の一つになりたくはない、なんて少女趣味なことを胸中で思ったが、星の明かりは水素が核融合することで発しているので、間違っても死んだ人間が星になることはない。



 視線は頭上の輝きから地上の道へ落とす。



夕飯は結局コンビニで調達して帰宅を優先させた。東儀さんが涙を見せ、自分も涙を流してしまったドラッグストア脇。思い返せば恥ずかしい。できれば一生記憶から抹消してしまいたいが、それは決して抹消してはいけない感情と記憶だと改める。



 牧瀬君が影響を与えた感情であり、彼を想う記憶だからだ。



 寒さから逃げるように帰ってきた。隣の部屋には明かりがついている。どうやら隣人が越してきたようだ。自室に入ると隣部屋の扉が開いた。靴を脱いだところでインターフォンが鳴る。



 怖い人だったらどうしようか。躊躇いが思考を乗っ取り身体が意思に関わらず停止する。帰宅を知られている以上、居留守を使うことも出来ないので、後々の事を考えて鍵を開ける動作に移る。



「隣に越してきた佐伯さえき晋太郎しんたろうです。引っ越しの挨拶で、えっと、よければこちらを」



 まだ二十代前半くらいの男性だった。彼の手には小さな紙袋。今どきこういうものを持参するのも珍しい。彼くらいの年頃ならなおさら。隣人が怖そうな人ではなかったので安心したというのが大きく、無意識に彼から紙袋を受け取った。



「いやぁ、良かったです。隣の人が怖そうな人だったらって、僕ドキドキだったんです」

「それは俺も同じです。越してきたのが怖い人だったら引っ越しを考えるところでした。このアパートの壁の防音性能なんて知りませんしね」

「母と二人暮らしなので、そう迷惑の掛かることはないと思うのですが、何かあれば言ってください」

「よくDVD鑑賞をしているので、音漏れが気になるようでしたら遠慮なく」



 引っ越しのあいさつを済ませた彼は部屋へと帰った。真面目な性格なのだろう。母と二人暮らしと言っていたが他人がおいそれと踏み入ってはいけない理由があるのだ。



 どの家庭にも何かしらの事情はある。



 手土産はシュークリームの詰め合わせだった。甘党からすれば歓迎されるべき品だ。さっそく茶の準備に取りかかる。湯が沸騰するまで壁に背を預けながら座り込んで本を開く。



 意識は物語に同調して幸福ホルモンを気持ちよく垂れ流していたのを、湯が沸騰する音に邪魔され、舌打ちをしてから立ち上がる。ページの間に指を挟みながら、視線をページと鍋とを交互に急須へと湯を注ぐ。慣れた作業なので溢さずに適量で止める。



 茶葉が湯に色を染めるまで読書を続ける。無意識に一ページの文章量から逆算する。だいたい10ページで程良く茶が色づく。



「首って結構手慣れていないと落とせないのか」



 人間の構築したプログラムにバグが生じ、人型機械が人間社会に反旗を翻し、人の首を切り落とす殺人行為の中、人間によって都合よく構築された疑似感情プログラム以外の自我を構築して善悪に葛藤する。人間に与する側と人間を滅する側で闘争が繰り広げられるといった内容だ。



 機械は感情任せに人の首を切り落とすのだが、初めの頃は何度も何度もブレードを叩きつけていくが、次第に学習して斬るという術を覚え、業を磨いていく様は人間の進化するプロセスに似ていた。



「でも、どうしてこいつらは首を斬り落としたいんだろうね」

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