第31話 隣を歩くことに慣れた頃

 時間ねぇよ、と声をかけられサンドイッチをペットボトルのお茶で流し込む。

 ハムとレタスとチーズ、渾然一体となって消えた。

「悪い! 行かないと」

「ちょっと待って!」

 聡子は立ち上がると「やっぱり作るから」と言った。顔が耳まで真っ赤に染まっていた。

 目は合った。

 けど僕はなにも言わなかった。

 ほかのやつらと一緒に体育館まで小走りに急ぐ。

 僕は狡い。

 彼女に権利を与えるつもりがないなら、きちんとそう告げればいいのに。

 洋たちに振り回されていると被害者面をして、実は僕も加害者側の人間だ。

 きっと気の付かないところで酷く傷つけている。

 その考えは僕の心の中でシュンと音を立てて消えた。燃え殻だけがそこに残った。


 今回は相手が悪かった。

 向こうは三年生で、体の大きなやつが多く、弱みにつけ込んでくる。元運動部のやつら。

 部活やクラブでバスケを経験したことのないやつを中心的に攻めて、その穴を抜けてシュートを決める。

 負けが決まりそうになると僕のスリーポイントシュートを期待する声が応援に来ていた女子を中心に高まっていたが、あんなものはそうそう決まるはずがない。

 フィジカルで勝てるほど体格も良くないし、例えスリーポイントが決まっても、普通のシュートと一点しか変わらない。

 ガードの固い三年生を、何度も何度も突破しようとしては押し返された。

 パスワークは乱れ、ゴール下までボールが繋がらない。

 ――負けは負けだ。


 終了の挨拶をすると、三年の中でも一番素早かった金髪がかったチャラそうなやつに肩を組まれ「お前、センスあるよな」とバンバン叩かれる。

 次までにフィジカル鍛えとけよ、と三年たちは消えていった。


 応援に来てたやつらも次の授業に遅れるとばかり、バラバラと散開していった。

 女の子たちが口々に「三年だもんね」とか「やり方汚くなかった?」とか僕たちを擁護する言葉を呪文のように唱えていく。

 魔法なんてない。

 ただ負けたんだ。

 Yシャツが汗でクタクタだ。不快指数が上がる。

 そろそろ僕も、と思うと入り口出たところに理央と聡子がそれぞれ壁にもたれて待っていた。

 意味もなく顔が赤くなる。

 うろたえていることに気付かれたくない思いで、タオルで顔を拭く。目を合わせられない。

 だらしない僕は、彼女たちを正面から見られなかった。


「お疲れ様。今日もすごい活躍だったね」

 理央は無邪気にそう言った。聡子の方はおとなしい。口を開きそうでなにも言わない。

「洋くんも実は一緒に見てたんだけど、なんか、次の授業のプリントやってなかったとか言い出して、教室に戻っちゃった。そんなのばっかりなんだもん。昔からそそっかしいの?」

「どうかな。いつも一緒にいたわけじゃないから」

 嘘ばっかり。嫌ってほどつるんできたくせに。

 洋は成績はいいけど、そそっかしい。ほかの人にできることが当たり前にできないときがある。

 そんなところが皆に好かれるポイントだ。

 できすぎる人間は嫌われがちだ。

 だけど確かに最近、同じようなことが多過ぎる。

 僕たちはそのまま揃って廊下を歩いた。


 聡子がそろっとこっちを見る。でも目を合わせる前に向こうが逸らせる。

 僕、理央、聡子の順に並んでいて、彼女の表情を見るには遠い。その間に理央が、いつもより口数多く話しかけてくる。

「やっぱりうちのクラスは奏くんがいちばんだね」

「なにもしてないのに⁉ 僕、今日はシュート一本も入らなかったよ」

「動きが全然違うもん。奏くんの動きには無駄がなくてキレがいいよねって中学の時から。ね、聡子ちゃん?」

「え、ああそうね。奏、今日も目立ってた」

 取って付けたようなセリフに僕はもやもやした。ハッキリしているところが魅力的な彼女らしくなかった。

「ごめん、わたし先に行く。日直だった」

 聡子ちゃん、と理央は呼びかけたけど聡子はパタパタと振り返りもせず、廊下を走っていった。

 日直の仕事を完璧にこなすことが宿命のように。

 置いていかれた僕たちは顔を見合わせた。

 ――思えば理央と二人きりになるのは久しぶりじゃないか。

 理央もそう思っているのか、珍しいものを見るようにまじまじと僕の顔を見た。


 僕は恥ずかしくてまたタオルで顔を拭く。

 いつまで経ってもこういう状況に慣れることはきっとない。

 理央が僕を見ている。黒目がちなその瞳で。心拍数が上がる。

 だから理央は洋の彼女なんだ、と心で何度思っても、僕にとって理央は理央だった。


「改めて二人で並んでみると、やっぱり奏くんは背が高いや」

 それだけ言うと理央は俯いた。

 足元だけを見ている。

 時間は有限で、いつか教室に着いてしまう。

 なにか、なにかを言わないと掴みたいものがすり抜けてしまう。

「洋の隣に慣れたからじゃない?」

 パタパタと二人が歩く足音が不揃いに聞こえる。

 理央は口を開かない。

 女の子ってこんなに静かな生き物だったっけ、と思うくらい今日は沈黙が深い。

 なんでもいいから喋ってみようと思い切って口を開きかけた時、不意に理央が言葉を発した。僕は完全に出遅れた。

「奏くんは聡子ちゃんの隣に慣れたんじゃない? 二人、一緒にいる時間、増えてるでしょう? 並んでるの見ると、なんかすごくお似合い。二人ともスラッとしてて、ちょっと声かけづらいかな」

 そこまで言うとまた二人の間には上履きの音だけが響いた。首にかけたタオルはもう僕を隠してはくれなかった。

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