第27話 手を繋ぐということ

 日差しは少しずつやさしく傾いていた。

 僕から見える彼女も輪郭がやさしくなって、普通の女の子のように見えた。

 普通の、いち女子高生に見えた。

 窓の外をなにも言わずに見ていた彼女は不意にこっちを向いた。

 見ていたことがバレてしまうと焦る。

 もっとも、彼女に見惚れない男は少ないんじゃないかと思うけど。僕もその中の一人だ。

「奏」

「どうしたの? そろそろ帰る?」

 僕は視線を彼女のクリームソーダに向けた。まるで砂浜に残った波の泡のようなものが内側に張り付いたグラスには、まだ氷が幾つも残っていた。

 はぁーっと、また一段と深いため息を彼女は吐いた。まるでこの世の終わりのようだった。


 彼女はまたメニュー表に手を伸ばし、パラパラとめくり始めた。

 そうしてそれを僕に押しやって「奢るからなにか頼んで」と言った。僕は「これからは奢りはなしって決めたじゃないか」と言った。

 聡子は角の丸くなった氷を見つめて腕組みをした。

 凝視された氷はまた凍ってしまうんじゃないかと思うほど、その視線は強かった。


「選んで。ポテトかチキン? ドリンクはまたコーヒーでいいの? コーラとかにしておく?」

「どうしたの、一体。僕はもうお腹いっぱいだし」

「男の子はたくさん食べた方がいい男になるってお父さんが言ってたから」

 どこのお父さんだよ、と思いながらテキパキと彼女の注文する姿を見ていた。

 僕のドリンクは今度はコーラになっていて、先日のことを思うと苦笑いするしかなかった。


「急にどうしたの?」

 彼女はテーブルに両肘をつき、自分の顔を手で支えるような姿勢で僕を真っ直ぐ見た。

 聡子がそういう顔をする時、僕はいつも審判されているような気分になった。

 善なのか、それとも悪なのか、情状酌量の余地があるのか、彼女の瞳には正義の女神が宿っているように思えた。

「受けたわよ、相談。ほんとはね」

 唖然としてなにも言えなかった。

 現在の理央と聡子の関係で、僕たちの件についての相談が成り立つとは思わなかったからだ。

 理央がなにを言ったのか、それを聞いた聡子がどう思ったのか、まるで想像がつかなかった。

「わたしだって驚いたよ。だってわたしはクラスの中でほぼ奏の彼女確定の位置取りなのに」

 いやそれは、と思ったけど今重要なのはそこじゃない。

「まぁちょっと待ってみようよ」

 ほとんどヤケになったように、聡子は皮付きのフライドポテトとチキンナゲットを交互に口に運んだ。そして僕にもそれを勧めた。


 そんな風に無理に時計の針を早回しするように時間を無駄に過ごし、二十分くらい経った時、ドアにかけてあった金属製のドアベルが鳴った。

 カランカランという、少し憂鬱そうなその鐘の音に続いて仲の良さそうなカップルが入ってきた。

 手を繋いで、席を探していた。

「理央!」

 腰を少し浮かせて軽く手を挙げると、聡子はそう呼んだ。

 理央はこっちを見て安心したことがわかる微笑みを漏らした。

 隣にいた洋はこっちに気づいて驚いた顔をすると「なんだよ、先に言えよ」と照れた顔をしたけど、二人の繋いだ手が離れることはなかった。


 聡子は自分の飲み物を――ホットのカプチーノをこちら側に回し、僕を奥に押しやりさっきまでの彼女とは思えないほど可憐に座った。

 それに合わせるかのように、洋は座ろうとしたけどちょっと考えた顔をしてから理央を奥に座らせた。

「三枝くんて気が利く。奏はそういうのちっとも。奥に座るのはやっぱり女の子だよね」

「わかる、わかる。でも悪いやつじゃないんだよ。なんつーか、気が回らない、あ、同じことか」

 ははは、ふふふ、と二人は笑っていた。

 なんなんだよ、と思いつつ、理央と目が合う。さっと理央が俯く。傷つく。もう顔も見たくないのかな?

 そりゃそうか。振った相手はもう要らない。目の内に入らなくていいか。

 僕はコーラを一気に飲んで大いにむせた。

「もう! バカなんだから」と叱られながら、聡子に背中をさすってもらう。


 僕を笑う絶好のポイントだったのに、理央が「大丈夫?」と聞いただけで洋は黙って濡れたペラペラの紙のおしぼりで手を拭いた。

 聡子がメニュー表を二人に回す。

 相変わらず聡子は手際がいい。

 僕の咳が止まる頃、理央が「なににしようか?」と洋を促して、洋は「甘い物食べたい」とメニューを自分の方に引き、パラパラとめくった。ちょっと横暴じゃないかと思って、僕は少しムッとした。


 だからってなにもできない。

 ただ見てるだけだ。


 聡子はなんでもない顔をして、二人にシーズン限定メニューをお勧めしながら、シートの上で僕の、彼女のものとは違う無骨な手をぎゅっと握った。

 びっくりして感電した猫のように一瞬飛び上がりそうになった。

 言うまでもなく僕はその手の経験が少なかった。

 しかも彼女はそっと体を寄せてきて「ごめんね」とこそっと囁いた。

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