第26話 天音家



天音あまね 直樹なおき side

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 今目の前に映るのは自分の部屋のパソコン。


 昨日の事もあって大野さんから事務所には集合はかけていないと連絡が入った。


 特別機関は担当の事件の調査は個人で任されている。特別機関はもっとも危険な事件を追う警官たち。危険を伴うため、事務所の場所も行動範囲も他人に把握される訳にはいかないのだ。そのため毎日の出勤は義務付けられていない。


 それでも何故か、犯人たちには筒抜けなんだが…。


 何故俺たちの名前も知ってて、何故事務職に入って来れるのか。何度考えても答えなんか出ない。奴らに常識や一般的な策略は通用しないのだ。


 マウスを叩く音が頻繁に出る。


 画面に映し出されているのは、ある男の名前だった。


 鼓動が早くなると同時に、頭はジワジワと理解を遅らせる。


 どういう事だ…。


 疑問だけがぐるぐると脳内を駆け巡っていた。


 なんでこいつのデーターがこんな所に‥。


 画面に現れたデーターには文字で埋め尽くされていた。文字の中に、聞き慣れた名前が沢山出てきている。


 昨日の彼らの姿が思い浮かんだ。ー人は所詮人かーと、すべてを諦めたように呟いた彼の姿が。


「ぱぱぁ───!」


 バタン!!


 急に呼ばれたので思わずパソコンを閉じてしまった。


 うわ…。閉めてから後悔したものの今ではもう遅い。せっかく見つけたデーターが飛んでないことを祈る。


「ぱぱぁ?」


 俺の焦りとは裏腹の無邪気な声が耳に届く。


「ごめんごめん。どうした?」


 椅子をくるりと回転して半笑い気味に娘に向き直った。


 小さな手を一生懸命伸ばして彼女は俺のズボンをクィッと引っ張った。


「ままがごはんできたってよ?」


 無邪気に喋る姿は愛着が沸いて仕方がない。


 世界どの美女が現れたとしても、俺の娘に敵う女はいないだろう。


 娘がお嫁に行く姿をたまに想像したりする。絶対嫌だよな。こういうのを多分、親バカと言うのか。


「おし、じゃあ行くか」


 俺は小さな体をヒョイっと持ち上げて抱っこした。軽すぎる娘は、片手で持ち上がる。


「きゃー!」


 娘は嬉しそうにケラケラ笑いながら俺の首に抱き付いて来る。


「直樹─?」


 妻が遅いと言わんばかりに俺の名前を呼ぶ。


 俺は娘を抱っこしたままリビングへ向かった。


「お腹すいた─!」


「うわっ美羽!」


 娘、天音あまね美羽みうがジタバタと暴れ出して俺の腕からスポリと抜けた。


 美羽は走って行って自分の椅子へ上がって腰を下ろす。


 カチカチ!


 彼女は、子供用のフォークとスプーンを両手で持ってテーブルの上を叩いていた。地面に届かない足は、宙をぶらついて交互に動き出す。娘の姿に笑みを零しながら、俺は自分の椅子に腰を下ろした。


「みーう! テーブル叩いちゃダメ!」


 俺の妻、天音あまねあんが苦笑混じりに注意する。


 小さな体でニコニコ笑っている美羽を見ると顔が緩んで来る。


「はい、直樹」


 杏が笑いながら俺にご飯を持って来た。


 テーブルは美味しそうな料理で埋め尽くされて行く。


 美羽はスプーンとフォークを両手に持ったまま、地に付いてない足をブラブラと揺らしていた。


「まま! まだぁ?」


「待ってね。ケチャップ─…。あった!」


 美羽の声を聞いて杏はパタパタとスリッパを鳴らしながら少し急いで来た。


「いただきまぁす」


 美羽はもう五歳になる。無邪気で明るい性格は、近所でも人気者だった。


「パパいまからおしごと?」


 ご飯をもぐもぐと口の中に放ちながら、美羽は少し寂しそうに言った。


「あぁ。ごめんな」


 彼女はいつも笑っていた。


 活発で無邪気な笑顔は決して崩れる事はなかった。仕事で何日も帰れなかった時も、出掛けてる最中に事件が起きたからすぐに仕事に戻る時も、彼女は何も言わずに笑っていた。まだ五才なのに、我慢させているのは分かってる。寂しい思いをさせているのも分かってる。


「そっか!」


 ほらそうやって、笑う。考えすぎなのかもしれない。まだ五才だし、気を使う術すら知らない美羽がそこまで考えるかな。こう思うのは、あんまり相手してやれない罪悪感からなのだろうか。


 美羽がまだ四歳の頃、病気で病院して時の事を思い出す。


 喘息になりながら仕事に行っちゃヤダと泣きながら駄々をねた時期もあった。それでも俺は行ったんだ。仕事だから と美羽を怒鳴り付けて。それから美羽は我が儘(ワガママ)を言わなくなった。寂しくても寂しいと言わなくなった。


 後から杏から聞いた事。俺が仕事に行くと、いつも泣いている と笑顔で送り出してくれる美羽は、母親には泣けるみたいだ。


まだ五才なのに、我慢させて、気を使わせている俺は、美羽にとっていい父親なのだろうか。


 まだ幼すぎて"外"を知らない美羽にとっては父親と母親がすべてなんだよな。


 今日くらいはちょっと遊んでやろうか…。パソコンのページをコピーし終わったら、美羽と公園にでも行って来ようかな。


 俺はさっさと済ませようと部屋に向かった。


 部屋に戻り、閉じたパソコンを再び開くと、また目の前に彼のページが映し出された。


 パソコンの画面には、ある男たちの自己紹介文、そして、将来の夢などが掲載されていた。


 開いたサイトは一般者は見れないように、複雑な仕組みのパスワードが必要だった。


 何日もパソコンと向き合い、やっと手にしたパスワード。


 何故こんなにもこのデーターが極秘にされているのか…。


 しかも。本当に、なんだよコレは。


 俺はあるサイトに目を奪われ、困惑する頭を懸命に回転させた。


 マウスを下へ下へ動かすたびに、理論じゃ説明出来ない事が記されている。サイトを何度見つめても、出てくる答えなど何もなかった。


 には何かがある。そして"彼ら"の影には、もっと大きなものが潜んでいるような気がした。


 しばらくページを無言で見て、パソコンを閉じた。サイトのデータをコピーし終わったのだ。


 明日にでも勤務総官みんなを集めてコピー用紙を配らないといけない。


 特別機関全員の知恵を絞っても、迷宮入りなのかもしれない。だが、全員が知ってる事に意味があるんだ。自分の頭で解決出来る事には、限界がある。情報交換も出来るし、一人だけでは、繰り返す毎日にため息を吐くだけ。


 コピーした紙を丁寧に束ねて、バックの中にしまった。


 本題は明日だ。


 俺は重い腰を上げて部屋から出る。


 美羽を何処か公園にでも連れてってやろうか、と思い部屋のドアを開くと「う」と、小さな、甲高い声が聞こえて来た。


 視界には何も映っていなかったために、目線は自動的に下へと移動される。


「ぱぱ!」


 下を向くと美羽が鼻を赤くしてこちらを見上げていた。


 どうやら俺がドアを開けた時に、ぶつけたみたいだ。


「美羽大丈夫か…?」


 俺はしゃがんで美羽の鼻を触って笑ってしまった。


「だいじょうぶ。だっこ!」


 彼女はケラケラ笑って俺に抱き付こうと小さな手を伸ばして来る。


 俺は美羽を抱っこして「美羽!パパと遊びに行くか」と言った。


「いく! いく!」


 彼女は腕の中で、体を弾ませた。


「杏ー美羽連れて公園行ってくる」


 洗濯していた妻に向かって叫ぶと「はぁぃ」と、高い声が返って来た。


 美羽はヒョイっと俺の腕から抜け出して、黄色いバケツとシャベルを持って玄関に走って行った。


「直樹! 美羽から目離さないでよ?すぐどっか行っちゃうんだから」


「わかってるよ」


 笑い混じりに答えて、俺も玄関に歩き出す。


「パパはやくーー!」


 美羽は靴を履きながらこちらに振り返る。


「はいはい」


 見送る妻を背に俺は小走りで向かった。


 美羽の靴をふと見ると。もう靴も一人で履けるようになったんだな。なんて思ったりした。自分がどれほど美羽といる時間が少なかったか、こんな些細な事で自覚してみたりする。


 あ、けど。


「美羽おいで」


「はやくいこうよ!」


 駄々をねる美羽の手を引いて、足元に座らせた。


「美羽くつ反対。直してやるから」


 俺は笑いながらそういって、美羽の靴を直してあげた。


 美羽と手を繋いで家から出る。


「ままぁ! いってきまぁーす!!」


 元気良く妻に手を振って、杏は笑ながら「いってらっしゃい」と答えた。


 家から公園までの距離は歩いて5分くらいだった。


「美羽ちゃんとままの言う事聞いてんのか?」


「うん! みうごはんのこさないでたべてるよ」


「そっか、偉い偉い」


 頭をくしゃっと撫でると、美羽はニコニコ幸せそうに笑った。


 こうして話すのなんて何時ぶりだうか。二人で何処かに出掛けるなんて滅多になかった気がする。仕事仕事で、ほんの小さな我がわがまますら、聞いてあげられてなかったよな。


「パパみうだっこ」


 美羽は両手を上に上げて、言った。


 彼女の姿に頬を緩ませながら、美羽をヒョイっと持ち上げた。


 公園まで大して距離はなかったが、着くまで彼女はずっとケラケラ笑っていた。


 毎日死体と向き合って、マテオの事で頭を悩ませる毎日の中では、久々の休日だ。


「みうブランコのる! ブランコ!」


「分かった分かった。パパが押してやるからな」


 公園に着くと、美羽は走り出してブランコに乗った。


 美羽の背を押して、ブランコの加速は増して行く。


「きゃー!」


 可愛い声を出して小さな足を力いっぱい伸ばしていた。


 ブランコをしばらく押していると、加速が増して来た。これくらいでいっか。俺は押すのを止めて、ブランコの鉄の棒に寄り掛かかる。


「ぱぱみてみて! みうひとりでこげるよ」


 美羽は一人でぎ始めて、対して変わらない加速に苦笑が盛れて来る。


「おーすげぇ」


 手を叩いて笑ってみせると、美羽は満足したように、足を地に付いた。


 砂に足を滑らせて、加速したブランコは落ち着きを取り戻す。


「美羽! ぱぱとお城つくろ」


 俺が砂場に走り出すと、彼女はブランコから勢い良く飛び降りた。


 慌てて走り出したのか。


 バタン!


 後ろで何かが倒れる音が聞こえた。


「いたいーーう"わぁーん」


 美羽が転んだみたいで砂だらけになった全身を無視して泣き出してしまった。


「みう」


 俺は美羽に駆け寄って、服の砂を払ってあげた。


「うゎぁーん」


 泣き止まなくて彼女の小さな背中を、ポンポンとリズムを刻みながら優しく叩く。


「ほら美羽?お城作るぞ」


「ぐす。おしろ?」


 赤くなった頬に涙を伝わせながら、真ん丸な目で彼女はキョトン俺を見た。


 キョトンとした顔が可愛くて、頬にキスをした。


「みうおしろつくる!!」


 美羽はぱッと元気になって、砂場に走って行く。


 子供ってホント、単純だなそこが可愛いんだけどさ。


 少し頬が緩みながらも、美羽に背を向けて彼女の忘れ物を取りに行く。先程転んだ時に美羽は小さな砂遊び用のバケツをひっくり返していたのだ。スコップは横たわるバケツの横に落ちていて、砂に埋もれている。


「…………」


 美羽は後ろの砂場で遊んでいるようで、声も何も聞こえて来ない。


 俺はバケツとスコップを拾おうと、しゃがみ込んだ。赤いスコップ。買ったばかりの赤いスコップは、繊細な色を出していた。真っ赤な色に思い浮かぶ人物を、頭を振り払いながら手を伸ばす。


「………」


 バケツとスコップを手に「美羽」と言って、砂場に振り返った。


「…………」


 あれ?


 俺の目の前には当たり前に砂場があって、波のように山が行くつも出来ている。だけど、あるはずの者が一つ欠けていた。


 美羽?


「美羽?」


 美羽?


 嘘だろ…。


 俺が振り返った砂場には、美羽の姿はなかった。



「美羽─!!!!」


 俺は声の大きさを上げて、美羽の名前を呼んだ。


 どうせ何処かに隠れてるんだろ。けど、何回呼んでも、辺りを見渡しても、俺の視界に美羽の姿が映る事はなかった。


 こんな短時間で何処行ったって言うんだよ。マジで…。美羽が何処か行ったんなら気付かない俺もバカだろ。


 ただ立ち尽くすものの、目だけ泳がせて辺りを探す。だが美羽の姿が視界に映る事はなかった。


 赤いスコップを握る力が無意識に強くなる。痛みは感じるが、そんなこと気にも止めなかった。強く握る手に、微妙に赤い液体が滲み出ていた事も、その時は気付くはずもなかった。



───…



「あれ?パパ?」





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