第10話 血の便箋




「ゆう!?どうしたんだ?」


 俺は目の前に置かれた全員の事件ファイルを呆然と眺めていた。


 時間はもう11時を回っていた。


 事務所のドアを開けて、大袈裟おおげさな声を張り上げたのは、天音あまねさんだ。


「あ、すみません」


 俺ははっとしたように天音さんに小さく言う。


「どうした?」


「いや、その。事件ファイルを」


 机の上に並ぶ事件ファイル。なんて説明したらいいのか分からず、吃りながらも懸命に伝えた。


 明るい顔をしていつもニコニコ笑っている天音さん。だが、事件ファイルと口にした瞬間、彼は怖いほど真顔になった。


「見たのか?」


 真顔を崩さずに、天音さんは小さく聞いてくる。


「はい。勝手にすみません」


「いや」


 俺が頭を下げると、天音さん少し戸惑った様子を見せ、俺から目線を逸らし、並べられている事件ファイルを見た。


「似てるよな」


 どうやら、そこに気付いて疑問を持ったのは


「犯行手口が、全員」


 俺だけではなかったみたいだ。


 天音さんは少し険しい表情をして言うと、直ぐにまたいつものニッコリとした顔に戻った。


 天音さんは「まぁゆっくり考えて行こう。仕事するぞ―」と言って自分の事件ファイルを持って、席に戻って行ってしまった。


 何か遣り切れない気持ちのまま、俺も自分の席に腰を降ろす。


 まぁ、何も出て来なかったよりはこれはこれで良かったのかもしれない。


 また疑問を呼ぶものだとしても、きっと把握しているだけでも意味がある。


 特別機関はあまり、他人の事件を把握したりもしなければ、あまりお互いの会話に事件が出てくる事もない。皆心の中で疑問を閉じ込めているんだろう。話しているのはいつも雑談ばかりだ。


 特別機関は、この事件を特別機関メンバー以外に流す事は堅く禁じられている。事件の手掛かりも何もかも、部下の力を借りず単独で動かなければならないのだ。


 死体が見つかった時だけは、の今野からそれぞれの担当である特別機関に連絡が回ってくる。そして"死体処理"は今野たちの力を借りて行う事が出来るんだ。


 今野たちのような警官が知っているのは、特別機関のそれぞれ担当している死体の特徴だけ。


 必要事以外は警官と情報交換したりは出来ない。


 こんなやり方をしてるせいか、特別機関同士でさえ、いつもまにか、自分の事件の事は何も語らなくなっていた。


 俺は、ぼーっとして頭で色々と考えていた。全員の事件ファイルを戻して、心に生まれる不安感と只管ひたすら戦っていた。


 特別機関のメンバー皆で、情報交換しなければいけないのは分かってるんだ。思わず出てしまうため息は、俺の肩を下にさげた。


 なんとなく机の引き出しを開けて、また事件ファイルを見ようとする。


 ………?


 事件ファイルを持ち上げると、その下に、何か可愛らしいくまの封筒が見えた。


 なんだ、これ。


「おす」


 天音さんに続き、野村さんが事務所に顔を出した。


 俺は、可愛らしいくまの便箋に目を逸らす事が出来ず、ゆっくりと便箋を手に取る。


 見覚えがない…。なんだよこれ。


 事務所には特別機関メンバーの五人しか入れないようになっている。事務所がある最上階に上がって来るには、パスワード、指紋検査などをクリアしなければならない。更に、事務所に着くまでに通らなければ行けない何個かの扉には、警官が何人か立っている。事務所に特別機関以外の人がここまて来るのは、不可能に等しい。


 明らかに女の持ち物であろうくまの便箋が、俺の机の引き出しに存在する訳がないのだ。


「なんだぁ?ゆう、ラブレターか?」


 野村さんの後直ぐに事務所に出勤した大野さんがニヤニヤしながら話し掛けて来た。


「女遊びはいいが、仕事場に持ち込むなよー」


 からかい半分に言われ「いやー…」と、言葉に戸惑ってしまう。


 事務所に特別機関以外が入れない事は、無論皆知っている。気付いていたら入っていたなんて、きっと皆の顔は凍り付くだろう。でも、なんか誤解されてるみたいだし。入っていたには事実だしね。


「机に入ってたんすけど、これ誰が入れたんですか?」


 俺が少し笑いながら言うと、また大野さんの声が降って来た。


「はぁ?んな手紙ゆうに誰もいれねーよ! ホモじゃあるまいし!」


 大野さんはくすくす笑いながら言った。


「ですよね!」


 俺も大野さんに釣られて笑って見せた。


「誰かが入れた?部外者でも入ったのか?」


 天音さんが、話に割り込むように、ニコニコして冗談混じりに言った。だがその一言で辺りの空気はピタっと止まる。


 ………。


 天音さん、笑えないっすよマジで。


 野村さんは深刻な顔して俺を凝視している。


 えーと。


「………」


 なんかすげー気不味きまずいんだけど。


 天音さんなんて相変わらず意識不明に笑ってるし。どうせ女からのラブレターだとでも想像してるんだろう。


 天音の空気の読めなさなんて、今に始まった事じゃない。彼の性格は、天然なのか計算なのか分からない。確信犯ではない事を祈るが…。それに、これで勘違いだったなんて言ったら大野さんからも良い笑い物だ。


 無言で見つめられても、くまの便箋の問題は答えなんか出ないだろう。


 とりあえず、ここは俺がなんとかしねーと。


 だってさ。対してそんな真剣になる事でもないだろ?こんな、くまの便箋一枚に。


「あーもしかしたら成川さんかも」


 笑いながら言ってみた。


 成川さんだけまだ来ていなかった。彼はいつも一番最後に登場するか、来ないかのどっちかだから、別に珍しいことでもない。


「あいつが!?」


 くまの便箋のイメージとは程遠いため、大野さんがくすくすと笑い始めた。辺りの緊迫した空気は晴れて行った。先程までの気不味さと来たら。俺は、今の空気にほっと胸を撫で下ろした。


 成川さんには悪いけど。あとで謝っておかないとな


「それに俺がもともと入れてたのかもしれないですし」


 まるで変な言い訳みたいな言い様になってしまった。


 後で成川さんにも謝んなきゃいけないし。


 というか成川さん今日来っかな?


「だと思った」


 天音さんがニコニコ微笑みながら、にこやかに言った。


「ゆう! 女遊びして女甘く見てると痛い目みっぞ―!」


 大野さんの言葉を右から左へ受け流し「大丈夫っすよ」と皮肉交じりに笑って見せた。


 皆が、いつもの明るい雰囲気に戻った所で、俺はくまの便箋を再び見つめた。手紙を開くと、女二人の顔写真と住所と連絡先が書かれている。


 女二人の顔は非常に整っていた。一瞬前にヤった女の写真かと思ったが、こんな美人とヤって覚えていないなんて、俺はそこまで馬鹿でもない。


 顔写真の下には名前と歳が書かれていた。


 マジで何これ。明らかに俺が持ち込んだものではない。こんな手紙貰った覚えもなければ、見たこともない。


 手紙の一番下に、ちいさな文字が書いてあるのを見つけた。


―手のひらの上―


―ルナより―


 俺は、目を見開いた。


 手のひらの上?しかもルナって…あの紫の頭おかしい女。あいつ、事務所にどうやって入ったんだよ。いや、入る事は不可能に等しい。だったら誰かに頼んで事務所まで手紙を届けて貰ったとか?ルナが入れない以上、それしかありえない。でも誰が?


 特別機関しか入れない事務所。でもくまの便箋を入れたのが特別機関メンバーではないとしたら。


 不可能だ。そんなの。


 また頭の中がグルグルと回転し始めた。


 あいつの名前が出てくるだけで、疑問だらけな不可解な現状ばかり省みる。悩んでも悩んでも答えが出てくる事のない疑問。


「おいゆう」


 成川さんが茶色い頭をポリポリかきながら俺に話し掛けて来た。


 成川さん!?何時の間に。


 まだバックを持ってるところを見ると、たった今事務所に着いたみたいだ。時間はもう昼の1時を回っている。


 いつも遅刻してくる成川さん。今日はいつもより早いみたいだ。彼は毎回夕方あたりに出勤してくる。


 予想より早い彼の登場に俺が呆然としていると。


「…………」


 成川さんが面倒臭そうに溜め息を吐いた。


「あぁすみません。どうしました?」


 俺が慌てて言うと、彼は手元にあった紙の束をこちらに差し出して来た。


「悪いが、お前に頼まなきゃならねぇ仕事がある」


「俺に、ですか?」


 成川さんは眉間にしわを寄せて言った。


 俺は差し出された書類を受け取り「なんすか…?これ」と、ちょっと間を置いて言った。


 成川さんから受け取った紙には、誰かの名前と何処かの住所が書かれている。


「その子は色々問題があるらしくてな。俺の事件現場とその子の家が近かったから、俺に連絡がまわって来たんだ」


 なるほど。成川さんの事件現場と、問題児の家が近くて、彼に連絡が来たと。成川さんが担当している事件となんだかの関係があると、捜査していた警察官が判断したのだろう。


 で、そこで、何で俺?


「お前にボディガードを頼みたいんだとよ」


 成川さんは俺に背を向けて、話を終らせようとした。


「ボディーガード?」


 尚も質問をしようとした俺に、成川さんは面倒くさそうな表情を隠さずに、顔だけ俺の方を向いた。


 成川さんってホントいつも面倒くさそうだよな。毎回席から立ち上がるのも歩くのもだるそうに見える。


「俺の事件の関連性が高いと連絡が来たが、それはお前の担当だ」


 俺の?


 困惑する俺に成川さんは「住所を見れば分かる」と、それだけ言って、自分の席に戻ってしまった。


 事細かく記された書類に目を通した。


 書類に目を通すと、俺は咄嗟とっさにくまの便箋を手に取った。


 な…。おいおい嘘だろ。


 成川さんから貰った紙に書かれていた名前は、くまの便箋に書いてあった『二人の女』の中の一人だった。


 歳は二十歳で、まるで人形のような丸い瞳が目につく。一瞬モデルなんじゃないかって思うほど、女の顔は整っていた。書類に載っている住所も、便箋に書かれている住所も同じだ。


 どうなってんだ。


 成川さんに言われたように、住所を見ていると、なんだか見覚えがある。そうか、なるほど。今回の件が俺の所に回って来た意味がようやく分かった。


 書かれている住所は俺が前に事件関係で行った事がある住所だった。


 確か大きな別荘。そこで事件は起きたんだ。顔がボコボコで体が凍っている死体が発見された。


「警官に連絡が入ったらしい。誰かに狙われている、と」


 普通そう言った事は一般の警察が行う。だが、特別機関が担当している事件に関わる事は、すべて特別機関本人に任される。だから特別機関の事件には特別機関しか踏み入れる事は許されないのだ。


「でも良かったじゃねぇか!」


 明るい声が振ってきた。


 大野さんの声だ。大野さんは俺の肩に腕を回して、書類を覗き込んだ。肩が重い。


「何がすか?面倒くさいっすよー」


 俺が苦笑交じりに言うと、大野さんはニヤニヤしながら言って来た。


「ゆう! 成川みてぇな事言うなって。こんな綺麗な姉ちゃんだぞ!」


「そうですね」


 成川さんの名前が出たが、彼は机に寝たままこっちを向こうとしない。つっこむのも面倒くさいのか。


「毎日臭い死体ばっかだと目がくさっちまう。つかの間の休日だな」


 今度は野村さんの低い声が届いた。


「じゃあ行ってきます」


 二人に俺は悪戯交じりに笑って見せる。


 大野さんは笑って、野村さんもクールに微笑んで見せた。


 成川さんは相変わらず机にうずくまっており、寝てるのか起きてるのか分からない状況。


「いいなー」


 天音さんはふざけて言ったりしてる。


「あー待てゆう」


 この声。成川さん?


「この女妹もいる。どっちものボディーガードって事らしいから」


 成川さんは机に顔を埋めたまま、モゴモゴと言った。


 成川さん起きてんじゃんか!


「マジすか。わかりました」


 俺は事情を聞くと、必要な書類を持って事務所を出ようとした。


 勿論くまの便箋も、適当に靴の中に突っ込んどいた。


 事務職を出て車に乗り込む。俺は運転しながら、くまの便箋のことを一人で考えていた。


 開いた瞬間目に映ったのは二人の女の写真。

 

 茶髪でロング髪を綺麗に巻かれた頭。そして大きな目に形の良い厚い唇。顔写真の下には、今野ゆり、20歳と書かれている。


 そして、綺麗な金髪のストレート。顔はフランス人形のように骨格がハッキリしている。だがまだほのかに幼さが残る顔写真の下には、今野あゆみ、18歳と書かれていた。


 便箋の1番下には、手のひらの上、ルナより、とだけ、小さく書かれていた。


 今日、何故かその二人の女のボディーガードになってしまった俺。


 何がどうなっているのか。偶然か。いや、こんな奇妙な偶然なんか有る訳がない。偶然と呼ぶには無理がある原状に、頭が混乱して行く。考えれば考えるほど深みにまって行く。


 漆黒にも似た紫の髪の女が頭に浮かんで、頭から、離れなかった。

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