【十一】心を取り戻せ


 ここはどこだ。


「日向、ヒコ。私の可愛い子供たち」


 眩しい。これは何を見せられている。

 あたたかい。このぬくもりは母のぬくもりか。父もいる。笑いかけてくれている。

 この優しい眼差しは事実なのか。もしかして自ら消してしまった記憶なのか。

 馬鹿を言うな。そんなはずはない。

 違う、違う、違う。


「ヒコ、ほらおいで」

「母上」


 あたたかい、あたたかいよ。

 愛されていた。そうだ、愛されていた。

 なのに、なぜあのようなことが起きた。

 ヒコは自分の中に眠る記憶をゆっくり辿ってみた。

 聞こえる。声が、聞こえる。


「双子だということは皆には秘密にしておきましょう」

「そうだな。だが、隠し通せるだろうか」


 そんな言葉が頭の隅にある抽斗ひきだしからフッと湧いて出る。


「ヒコ、遊ぼう」


 日向が手を差し伸べている。笑顔で、手を。


「うん、遊ぶ。姉様、なにして遊ぶ」

「うーん。なにしようか」


 幼いころの日向とのどうでもいい会話が脳裏に蘇ってきた。

 幸せだった。そんな幸せな時が自分にも存在していた。


 頭が、頭が……。

 突然の鈍痛に顔を歪めた。


「ごめんよ。ヒコ。おまえとお別れしなくてはいけない」


 お別れ。なんで。ヒコは頭を撫でてくる母を見上げて首を傾げた。


「母上。泣いているの」

「ヒコ。おまえが無事にどこかの国に流れ着くことを願っているよ。恨まないでおくれ」


 父もまた涙をしている。なぜ、別れなくてはいけないのだろう。


「本当に、ごめん」


 涙で濡れた暗く沈んだ父と母の顔がどんどん遠くなって見えなくなる。

 どうして、どうして。ヒコは揺れる小舟にしがみつきながら叫び続けた。


「父上ーーー。母上ーーー。怖いよ、助けてよーーー」


 なんで、なんで、なんで。


「姉様、どこいるの。助けてよーーー」


 いくら呼んでも誰も助けてくれる者は現れなかった。広く薄暗い水たちが小舟を押してくるだけだった。


「苦しかったですね。寂しかったですよね。けど、あなたは愛されていたのですよ。憎くてそんな酷いことしたわけではないのですよ。あなたのそばには私もいたのですからわかります」


 眩い光とともに観音様が降り立った。

 そうだった。母が観音像を手に持たせてくれた。嵐で転覆してもおかしくなかったあの小舟が沈まなかったのは観音様がいたからだ。常に観音様の声が聞こえていた。


「大丈夫、大丈夫。あなたは必ず生き残れます」


 そんな言葉に勇気づけられたのを思い出す。

 観音様を通して父母の本当の思いが感じられた。そうだ、見捨てられてはいなかった。離れていても心と心は通じていた。

 それなのに、なぜ憎むようになってしまったのだろう。どこで怨みの心に支配されてしまったのだろう。


 この異国に着いてからだったろうか。

 確か、一生懸命この国に馴染もうとして頑張っていたはず。仏教というものがあるとこの国の者に教えたのは自分だった。観音様に教わった話を皆に教えて回った。そうだ、観音様はいつも優しかった。

 なのに、どうして。すべて忘れて自分の不運を呪うようになってしまった。


 まただ。頭が、頭が割れそうだ。なんだ、この痛みは。頭を抱えて、小さく唸る。


 誰かが呼んでいる。誰だ。呼ぶのは誰だ。

 ヒコはその声のほうに目を向けて、ハッとする。そこには地面に突き刺さった隕鉄剣があった。メラメラと燃え盛る真っ黒な炎を纏う剣がすぐそこに。

 黒龍の宿る隕鉄剣だ。


「騙されるな。すべてはいつわり」


 偽り。

 そうなのか。偽りなのか。その言葉を反芻はんすうすると、胸の奥に何かがぼわっと溢れ出してきた。

 そうだ。何を惑わされている。

 思い出せ、日向が自分の前に現れたあの日を。何もかもがおかしくなってしまったあの日を。王になるはずだった。それなのに日向が女王になってしまった。

 日向は邪魔者だ。裏切り者だ。すべてを奪った憎き者だ。殺さなければならない。


 排除だ、排除。


 なにが優しさだ。観音様など無用だ。仏も神も言葉だけで何もしてくれない。誰も助けてなどくれない。信じられるのは自分だけだ。

 ヒコはじっと隕鉄剣をみつめた。

 正しいのは、隕鉄剣だ。

 ふつふつと怒りが込み上げてくる。


「やっとつかんだ地位を奪うのか。我の幸せを奪うのか。日向、おまえは弟をないがしろにするのか」


 憎い、憎い、憎い。


「ヒコ、そこまでわらわを怨んでいるのか。わらわの心は伝わらないのか。残念だ。わらわが消え去ることでヒコの怨みが消えるのならば、抹殺しろ。だが、ヒカリのことは許してやってくれ。頼む」


 ヒコは眉間に皺を寄せ、グッと歯を食いしばる。口の中で血の味がした。


戯言ざれごとを。日向、おまえは我の姉でもなんでもない。思い通り抹殺してやる。ヒカリも我がいただく。ヒカリだけではない。すべて我のものだ」


 ヒコは天に向けて咆哮ほうこうした。同時に剣が飛んでくる。しっかりと剣を掴み取ると天に向けて突き立てた。


「我は偉大なる王になる男だ。我にあだなす者は滅べ」


 空気の流れが突然変わり上昇気流を生み出した。まるで大型掃除機が空に現れたかのように引き寄せられる。

 やはりこうでなくては。そうだ、その調子だ。この力をとくと見るがいい。再び暗黒世界の扉を開けろ。すべてを呑み込む闇となれ。



***



「すまない。ヒカリ。わらわの心が通じなかったようだ」

「いえ、まだです。私とともに天魔、いやヒコの心を取り戻すのです。八百万の神々、そして仏様たちよ、私にもう一度力を授けたまえ」


 ヒカリは真っ黒な口を広げていく空を見上げて祈った。

 翼が守ってくれたこの命。無駄にしてはいけない。こんなところで落ち込んでいたらいけない。


「ほざけ。我はおまえたちにもう惑わされたりしない。祈ったところで、おまえに味方する者などいない。すべてあの闇に吞み込まれていく。闇よ、広がれ。もっともっと広がるのだ。そしてこの地を滅ぼせ。その手始めとして日向を滅するとしよう」


 ヒコは日向の胸に剣を突き刺した。

 日向は一瞬にして塵と化して消え去った。

 日向はあらがうこともなく、自ら刺されにいったように見えた。

 そんな。一緒に戦ってほしかったのに。それがヒコのためになるはずなのに。

 ヒカリは小さく息を吐き、ヒコの目を見た。


「可哀相な人」

「なに、可哀相だと。我は可哀相ではない。最強の王となる男だぞ。馬鹿を言うな」

「いいえ、愛することを忘れた可哀相な人よ」

「うるさい、うるさい、うるさい。おまえはこれで終わりだ。我のものになれ」


 剣先が喉元へと近づいてくる。


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