【四】御弥山へ


 御弥山に来たのに何も起きないじゃない。あの声はなんだったのだろう。

 空耳だったってこと。ここに来たことは意味がないってこと。やっぱり頭が変になっちゃったってことなの。

 そんなことない。


『私の頭は正常よね。そうでしょ。御弥山の神獣さん』


 そう念じてみた。

 どう、何か起きた。変化は。

 しゃべる狸はいないの。どこかに隠れているんでしょ。出て来て。


 ヒカリはあたりを見回した。

 もう、どうして何も起きないの。

 巨大狸はどこへ行ってしまったの。出て来てくれたら飛んで喜んじゃうのに。


 本当に喜ぶだろうか。実際目の前に出てきたら絶対に飛んで逃げ出す。

 ダメダメ。急に逃げ出したら追いかけてきて殺されるかもしれない。あれ、それって熊の話か。それじゃ巨大狸と出会ったらどうすればいいのだろう。


 死んだふりとか。


 ヒカリは頭を振った。死んだふりなんかしたら、死確定だ。きっと。

 やっぱり、全部自分の作り上げた妄想だったのだろうか。

 ありえないもんね。巨大狸と遭遇するなんて。やっぱりまぼろし見ちゃったのかな。


 残念。

 帰ろうか。

 空を見上げて、吐息を漏らす。


 せっかくここまで来たんだから、もう少しだけ探索したほうがいいか。無駄骨なんて嫌だ。


 よし、行こう。

 ヒカリはあたりに目を向けつつ歩みを進める。

 なんでもいい。何か起きて。全部自分が作り出した妄想じゃないって証明して。


 アンテナを張り巡らせていたる所に視線を送ったが、何の変化もない。

 ダメなの。何も起こらないの。

 ヒカリは肩を落として項垂れた。


 もう何テンション下げているの。大丈夫。まだ何も起こらないって決まったわけじゃないでしょ。

 絶対、ここには何かあるはず。そうじゃなきゃつまらない。自分の直感を、第六感を信じて。間違いだって思うのはまだ早い。


 ああ、なんだか足が重くなってきた。汗も半端ない。どうしよう、汗臭くなっているかも。翼がいたら嫌われちゃうかも。

 ちょっとちょっと、なんでそこで翼が出てくるの。これもマキが変なこと口にするからだ。変に意識しちゃう。


 そんなことより喉が渇いた。どこかに湧き水でもないだろうか。

 低い山だけど、山登りは無謀だったかもしれない。誰に訊いても『無謀だ』『阿呆だ』との言葉が飛んでくるだろう。登山家が今の自分を見たら怒るかもしれない。 


『山を嘗めるんじゃない』なんて。


 ああもう、馬鹿、馬鹿、馬鹿。

 どうせ自分は無謀で阿呆の女子中学生よ。制服のままで底のすり減ったスニーカー。こんな格好で山登りしちゃうお馬鹿さんよ。


 わかっている。

 でも、でも、でも……。


 そんな言葉なんて蹴り飛ばしてやる。相手になってやる。かかってこい。

 まったく何を考えているのだろう。妄想癖が酷い。そもそもかよわい女子が蹴り飛ばすだなんて、はしたない。嫌だ、嫌だ。そんなお転婆じゃない。


 ああ、もう。そんなのどうでもいい。

 いい加減何か起きて。なんだか自分にイラついた。


 やっぱりさっきの声は幻聴だったのか。何もかもが幻影だったのか。

 ヒカリは気が遠くなりそうなくらい続く登り坂を見遣り、溜め息を漏らす。

 ダメ、ダメ。もっと自分を信じて。


 こういうときは休憩したほうがいい。そうそう、嫌な気分をリセットしてリフレッシュしなきゃ。

 ヒカリは大きく息を吐くと立ち止まり、木々の間から見える景色に目を向けた。


 あっ、古墳が見える。

 ここからだと古墳の全貌がしっかりと確認できる。そうそう、これが思い描いていた古墳の形だ。前方後円墳だ。やっぱり教科書に載っているのと同じ。


 ちょっといびつだろうか。あの古墳が教科書に載っているわけじゃないから少し歪なのもしかたがないか。


 ヒカリは噴き出してきた額の汗を拭い深呼吸をする。

 ここはなんて見晴らしがいいんだろう。疲れが吹っ飛ぶ。


 なんといっても黄金色こがねいろの稲穂がいい。風に揺れる稲穂がキラキラして見える。まるで黄金おうごんの世界がここにあるみたい。

 黄金の世界だなんてちょっと言い過ぎか。


 あれが本物の金だったらいいのに。そんなことを考えたら罰が当たりそうだ。ここは神獣の住む山。

 どこかで心の声を聞いているかもしれない。気をつけなきゃ。

 ヒカリはあたりに目を向けて何の気配もないことを確認した。


 大丈夫、きっと。


 えっと、大丈夫じゃないか。今更気をつけたところで神様にはお見通しだろう。それなら気にしてもしかたがない。

 そう気にしてもしかたがない。どうせ神様も神獣もいないんだ。何も起きないんだ。


 あれ、何を考えているのだろう。何か起きてほしいんじゃなかったの。何の気配もなくてホッとするなんて。何のためにここまで来たかわからないじゃない。やっぱりどうしようもないお馬鹿さんなのかもしれない。


 とにかく今はリフレッシュ、リフレッシュ。

 再び、眼下に目を向けたら眩暈めまいを感じた。


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