【二】誘う声


 空耳だったろうか。ヒカリは首を捻り森のほうをじっとみつめた。

 誰かの叫び声。悲鳴だろうか。動物の鳴き声かも。

 さっきの狸に何かあったのか。考え過ぎだろうか。


 野生の動物は他にもいる。狸とは限らない。そもそも狸の鳴き声ってどんなんだったっけ。


 わからない。

 なんでこんなにも気になるんだろう。ただ動物が鳴いただけでしょ。

 何気なく空を見上げるとトンビがくるりと輪を描いて古墳のほうに飛んでいった。


 あっ。

 突然風が背中を押してきて一歩前に進んでしまった。

 何、今の風。押された。

 ここにいるのはマキだけ。


「なに」

「ううん、なんでもない」

「変なの」


 隣にいるから、押すのは無理。

 なんだか胸の奥がざわつく。

 これは何かある。きっと。それが何なのかわからないけど。


 道の先に見える古墳をみつめて小さく息を吐く。

 もしかして呼ばれている。何かが来いって誘っている。

 もうダメ。気になる。気になる。気になってしかたがない。


 さっきの悲鳴のような叫び声もトンビも自分を誘っている。風もきっとそうだ。

 なぜか、そう感じる。

 古墳に来いって誘っている。

 そんなことってあるの。思い込みかもしれない。


 ヒカリはすぐに考えを否定した。思い込みじゃない。

 自分で言うのもなんだけど、第六感的なことが働くときがある。古墳に何かあるかもしれない。


 こうなったら行くしかない。確かめるしかない。

 ヒカリは自転車を古墳のほうへ向けた。


「マキ、古墳に行こう」

「えっ、急になによ」

「いいから、行こう」

「なんで古墳なのよ」

「そんなのわからないわよ。けど、行きたいの」

「もうしょうがないな。わかったわよ。ヒカリが一度言い出すと絶対に譲らないもんね」

「譲らないだなんて。そんなことないでしょ」

「そんなことあるよ」


 なんだか納得できない。できないけど今は何も言わない。

 とにかく古墳へ行こう。


 ヒカリは古墳へと向けて風を切って自転車を走らせた。横目でユラユラ揺れる黄金色に光る稲穂を見遣り口角を上げる。


 早く新米が食べたい。そうじゃないでしょ。

 ほら、よく見てみて。金糸の絨毯が敷かれているみたいじゃない。お金持ちの家にはそんな絨毯があるのかも。


『姫様』だなんて呼ばれて優雅に暮らす。なんて。

 何考えているんだろう。馬鹿みたい。


 ヒカリはニヤついたまま自転車のペダルを強く踏み込んだ。

 チラッと後ろを振り返ると、マキはつまらなそうについてきていた。そりゃそうか。古墳なんて興味ないだろう。


 自分もそれほど興味があるわけじゃない。それなのに、今日は無性に気にかかる。なんでだろう。やっぱり狸のせいだろうか。


「ちょっと、ヒカリ」

「えっ、なに」

「なにじゃないわよ。もうここ古墳じゃないの」


 えっ、ここ。

 本当だ。ここだ。


 意外と近かった。ヒカリはブレーキをかけて止まるとすぐ脇にある森へと目を向けた。木々がザワザワッと騒めいている。何か会いたくない存在が出てきそうな雰囲気だ。


 これが本当に古墳なのか。

 昔の偉い人の墓。そう思うとなんだか不思議な気持ちになってくる。

 じっとみつめて首を傾げた。


 なんだかしっくりこない。イメージと違う。こんな感じだったっけ。

 教科書で見たイメージが強過ぎるのかもしれない。どう見ても、ただの森だ。


「ねぇ、ヒカリ。なんで急に古墳を見に行こうだなんて言い出したの」

「なんでだろうね。誰かに呼ばれたのかも」

「えっ、呼ばれた。な、なによ、もう。変なこと言わないでよ。ヒカリって幽霊が見える人だったっけ」


 幽霊だなんて。そんなこと一言も言っていない。今の言い方だと、そう思ってもおかしくないのか。ものすごくいい雰囲気だし。幽霊と直結してもおかしくはないか。


 なんだか嫌だ。変なこと考えたら、不気味な場所に思えてきた。

 本当に幽霊がいるのかもしれない。

 いやいや、そんなことない。いない、幽霊なんていない。


「もう、マキったら。そんなわけないじゃない。冗談よ、冗談」

「ヒカリったら。そんな冗談、笑えないよ」


 確かに笑えない。

 幽霊に呼ばれたとしたら絶対に嫌だ。でも、何かに呼ばれた気がするのは本当。単なる勘違いで、冗談であってほしいって自分が一番思っているのかも。


 そういえば今日誕生日だ。

 十三歳だ。

 そういうときって、何か起こる可能性あるんじゃない。


 チチッ、チチッ、ピィューイ。

 あれ、鳥の声。


 どこで鳴いているのだろう。揺れる木々の間から零れる陽の光。眩しい。鳥の姿は確認できない。風だ。風が吹いてきた。ひんやりとする風が首筋を撫でていき、肩をすくめる。


 嫌な感じがする。

 なにかがおかしい。揺れる木々が襲ってきそうだ。

 目が変になったのだろうか。森が化け物に見える。呑み込まれてしまう。

 来ないで、やめて。背中がぞわりとして鳥肌が立っていく。


 もうまた変な妄想して。よく見て、ただの森でしょ。違う、古墳か。


 でも。

 ヒカリは森を見回して一歩退いた。

 ここに埋葬されている人が立ち去れと怒っていたらどうしよう。


 うわっ。

 突風に髪を掻き乱されてもう一歩後退る。スカートの裾も舞い上がりそうになり慌てて押さえた。


 今のは、何。本当に風のせい。

 幽霊の仕業とか。何考えているの。


 ヒカリは古墳をじっとみつめてブルッと身体を震わせた。

 ここに埋葬されている人がやっぱり怒っているのかもしれない。早く立ち去れって声が聞こえてきそうだ。


 ここに眠る人がどんな人だったか知らない。昔の王様とかだったのか。それとも豪族だろうか。そんなことどっちでもいい。もしも怒らせているのだとしたら危険なんじゃ。


 まさかね。

 再び強風にあおられて身体を押された。


 やっぱり、変。

 帰ったほうがいい。ここへ来たのは間違いだった。第六感がハズレることだってある。呼ばれたと思ったのは気のせいだ。


 チチッ、チチッ、ピィューイ。

 えっ、なに。

 気づけば小鳥が肩に留まっていた。


「かわいい。ヒカリ、いいな」


 いいなと言われてもどう答えていいのかわからない。良く見えないし。

 なんだかほんの少し気持ちが和らいだ。小鳥のおかげだ。


「ねぇ、マキ。スマホで写真撮ってよ」

「いいよ」


 マキは撮った写真をすぐに見せてくれた。確かに可愛い。なんだか物語の主人公になったみたい。


「マキ、この鳥の名前ってなんだろう」

「えっと、わかんない」


 そうか、わからないのか。


「あっ」


 小鳥が空高く飛んで行く。

 あれ、どこへ行っただろう。消えてしまった。青い空に溶け込んでしまったのだろうか。そんな馬鹿な。


「ヒカリ。もう帰ろうよ。風も強くなってきたし、古墳は見たんだしいいでしょ」

「そうだね」

「よし、帰ろう」

「でも待って、マキ。やっぱりなんかスッキリしない。なんか気になる」

「スッキリしないって。もう、なんでそんなに古墳が気になるの」

「なんでだろうね」


 本当になんで古墳が気になるんだろう。自分でもわからない。

 呼ばれたから。本当にそうだろうか。

 なんだろう。なぜか胸の奥がうずく。


 あっ、もう。風でまた髪が乱れちゃった。

 あれ、そういえば。小鳥がいたときは風がやんでいた。偶然だろうか。それとも、他に何かの力が働いているのか。


 そうだ、きっとそうだ。さっきの小鳥が教えてくれたんだ。小鳥は怖くないよと伝えに来たのかもしれない。事実、恐怖心が消えている。無意識に何かを感じ取れたのだろう。

 また変なこと考えてしまった。


『ミヤヤマへ』


 えっ、なに。ヒカリは低い声にドキッとした。


『ミヤヤマへ行け』


 何、この声。幻聴。

 やっぱり自分は頭がおかしくなってしまったのだろうか。

 マキに目を向けたがなんの反応もしていない。聞こえているのは自分だけ。


『ミヤヤマにおまえは行くべきだ』


 まただ。やっぱり聞こえる。ヒカリはごくりと生唾を呑み込み、じっと森に目を向けた。


 狸だ。狸がいる。


 さっきの狸だろうか。違う。あんなに大きくはなかった。狸の親分さんかも。熊みたい。


 そんな大きな狸なんているだろうか。まさか妖怪。

 どうしよう。目が離せない。ここへ来るべきじゃなかったんだろうか。


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