第37話

 タイマーは時が過ぎるのを刻む。

「美冬、お腹空きましたー」と夏希。

「もうすぐ出来るからー」と私は返事する。

「テーブル拭いといて」

「了解」



 タカナシさんはいなくなった。

『お母様』もいなくなった。


 私は何者なのか。


 氷川家の当主、すなわち私の父に問いただすことも出来なかった。

 それは、とても恐ろしいことだ。 

 私の存在そのもの、私の生活の根底そのものを崩し去る質問のように感じる。

 理屈ではなく、本能が私にブレーキをかけている。


 私は自分が嫌いだ。

 氷川の檻、氷川の檻、と内心散々悪態をついた。

 私の存在のせいで多くの人の人生が犠牲になった。

 タカナシさんの本が燃やされる時でさえ、何も出来なかった。


 それなのに、歪んだ氷川の家と戦う勇気はない。


 鳥籠の中で『出せ、出せ』とわめくだけで、自分では何もしない。

 何も知ろうともしない。

 檻の外で誰かが犠牲になるのを見て見ぬふりをしている。


 臆病で、無力で、狡い私が大嫌いだ。


 中学校の3年になるまで、私は自分なりにタカナシさんの消息を調べようとした。

 しかし、調査は行き詰まった。


 このまま、タカナシさんを忘れ、氷川の長女として『山の上のお城』で暮らしていて良いのか?


 日に日に大きくなった自責の念は私に決断をさせる。


『山の上のお城』を出よう。

 氷川の檻から距離をとるのだ。

 私が完全に飼い殺されてしまう前に。


 しかし、いきなり家出は得策でない。

 何の後ろ立てもなく氷川家と正面で戦うのは無謀である。


 まずは、他県の高校に進学する。

 そして、『高校在学中に限る』という名目で一人暮らしを認めてもらうのだ。


 氷川家の長女が実家を離れてでも通う価値のある、他県の優秀な進学校はすぐに決まった。

 幼いころからみっちり勉強してきたおかげで私の学力も問題なかった。


 後は父を説得するだけだった。

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