第29話 過去の記憶

 5年前、俺は誰もいない場所を探し求めたその先で、彼女と出会った。

 あまねく人々から忘却された廃墟。

 そこで目につくものにあらん限りの怒りをぶつけていた俺を、彼女は怯えた様子で覗いていた。

 丸縁眼鏡をかけていて、前髪は目が隠れるくらい長く、顔がはっきり見えない。

 背丈は学校の女子と同じくらい。歳はそう離れていなそうだった。


「お前、こんなところで何してんだよ」

「……家に帰りたくなくて、寄り道してたら偶然ここに」


 彼女の鬱屈した表情、取り留めない立ち振る舞いから同族の気配がしたのか、俺は暴行をとめて自然と話し込んでいた。


「そうか、お前も家族を……」

 

 話を聞いてみると、少し境遇が似ていると感じた。

 

「ということはあなたも?」

「ああ、親父がいなくなって――」


 一呼吸おいて、俺は苦い表情で告白する。


「宇宙人の侵略を受けているんだ」




    ◇     ◇




 ――現代。


「と、いうことがあったんだ」

「……」


 九里にジト目で睨まれる。

 俺は知らん顔でそっぽを向いた。


「急におふざけ入れてくるじゃないですか」

「ふざけてない。俺は本当にそういったんだ」

「ていうか短いし! 冒頭しかないじゃないですか!」

「わかったって、話を続けよう。その日から俺たちはたびたび顔を合わせるようになった。そしてこれが特に印象深い出来事なんだが」




    ◇     ◇




「引っ越す?」

「はい、家庭の事情でこの町には居られなくなって」


 いつも以上に曇った表情で、彼女は告げた。


「わたしはこの町を離れたくない。だって――この場所には――あの家には、お兄ちゃんとの思い出がたくさん染みついてるから」


 俺は父を、彼女は兄を失っていた。

 そしてその苦しみを忘れられず、立ち直ることができず。傷を舐め合うように、この場所で雑談を繰り返していた。


「わたしのせいなんです。家族がバラバラになったのは全部わたしが悪いんです」


 過ぎ去った過去に静かに懺悔をする。

 彼女はふいに腰掛けていたパンダの遊具の頬を撫でた。


「わたしもこのパンダさんみたいに、罰として心のない道具になれたら。そうしたらこの胸の苦しさから解放されるかな」


 ……俺は何も答えない。

 俺がていの良い回答をするのを彼女が望んでいないことは肌で感じていた。そして向こうも無理に共感を口にすることはしてこない。

 独り言が交差し続けるような会話が続く。何もかもに嫌気が刺していた俺だが、この空気感だけは嫌いじゃなかった。


「かわいそうに、こんなカチカチに固められてしまって。加工の時はきっとひどい痛みだったよね。あなたはどんな罪を犯したの? わたしの声は、今も聞こえてる?」


 あまりにも熱心にパンダに話しかける彼女を見て、俺は……。


「……あのさ、一応言っておくけど、それ別に本物のパンダを加工したわけじゃないぞ」


 まさかとは思いつつも、言わずにはいられなかった。


「え――そうなんですか!?」

「当たり前じゃん。ただのハリボテだって」

「うそ!? じゃあ……あの、ケン○ッキーにいつも立ってるおじさんも?」

「違うって、人だったら怖すぎだろ。しかもあれ全国にあるし。同じ顔の人いすぎだし」

「だってお兄ちゃんが、あれは大罪を犯したサンダース兄弟達が人形にされて世界中で晒し者にされているんだって言ってたから!」


 その日、彼女は目をぐるぐるさせて、必死に弁明を続けた。

 世間知らずというか、抜けているというか……。

 ここまで真に受けやすい性格だと、ついからかってみたくなる兄の気持ちがわかるような。




    ◇    ◇




「このケ○タッキーおじさんの話が特に印象に残ってるんだよなぁ」

「クソどうでもいい! 前半に! もっと大切な話があった気がするんですが!」

「引っ越すって話? ああ、あいつはこのあと引っ越したよ」

「ネタバレしないでください!」


 しかしこいつ、やけに熱心に聞くな。そんなに人の過去に興味があるのだろうか。


「もっと違う話をしてくださいよ」

「なら、その子が自販機の中には人が居ると思っていて、壊れて動かない自販機を見つけたとき救急車を呼ぼうとした話を……」

「それじゃない! もっと重要なところを話してください」

「重要なところか。それなら……」




    ◇    ◇




 俺たちは晴れ晴れした気持ちでその日を迎えた。

 過去に起きたことは消し去ることも、元に戻すこともできないが、それでも前に進むことはできると、お互いそういう結論に至ったからだ。


「わたしも向こうで頑張ります。お兄ちゃんのことを完全に割り切れた訳ではないですが、それでも新しい生活に望む自分を受け入れようと思います。あなたたちが示してくれた可能性を頼りに、少しだけ前を向いてみます」


 目は隠れているが、鬱屈な表情は晴れ上がって、上り調子であるのが窺える。

 そして俺も、つい先日決意を改めたばかりだ。

 これからのことは、これからの俺達が築く。


「この場所もきっといつか生まれ変わります」


 赤茶色でいっぱいの景色を、惜しむように見守る彼女。

 これだけの広さだ。今は誰も寄りつかない寂しい場所だが、近い将来で返り咲く日が来るかもしれない。

 そんないつかの風景を思い浮かべる。


「そんな日が来たら、もう一度ここで会って話しませんか?」

「ああ、約束しよう」


 いつ叶うかわからない数年越しの約束。

 約束の日、俺がこの町にいるかも、彼女が戻ってくるかもわからないのに、そのときは必ず実現すると信じていた。


「その日のために積もる話を貯めておかないといけませんね」

「そうだな」


 2人並んで空を見上げる。天気は快晴。旅立ちの日には打って付けの晴天だった。


 ふいに彼女が握手を求めてきた。

 俺は力強くそれに答える。

 

「元気で」

「はい、行ってきます!」


 手を放すと、彼女は踵を返して歩みはじめる。

 一度も振り返らず、それはもう頼もしい足取りで、俺の元を去った。


 俺は姿が見えなくなったあと、足跡とはまた別の方角に反転して、その場をあとにした。




    ◇    ◇




「時経ちすぎ! 山場超えちゃってるじゃないですか!」

「望み通り重要なところを話してやったのに。注文が多いヤツだ」


 やれやれと首を振る。


「なーんか怪しいですね。アタシに隠したいことがあるのでは?」

「そんなことないが……」


 隠すとは失礼な。

 まあ、作為的に避けたかった箇所はなきにしもあらずだが。


「実は……その子で童卒したとか!」

「それはない!! 他人の思い出に汚らわしい要素を入れるな!」

「全然汚らわしくないですよ。辛い過去を共有してお互いを求め合う幼い男女……。最&高です」

「へいへい」


 とても重苦しい(と俺は思っている)過去話だったのに、ケロっとしている。こんなやつだから話せたところはあるな。

 他のヤツにだったら多分話さない。

 

「で、センパイその子が好きだったんですか?」

「うーん……。終始良き理解者って感じだったな。俺もガキだったしそういう気は特になかったな。親友、みたいな?」

「中一なら特別な関係くらい期待してて良さそうですが……。なら、その子の名前は?」

「覚えてない……」

「あんな約束までしておいて、覚えてない……?」


 信じられないとオーバーなリアクションをとられるが、5年も前なんだから仕方ないだろ。


「名前で呼んでなかったんだよ! でも名字は覚えてる」


 えーと、確か……。


「斉藤。そう斉藤だったはずだ」

「白雪じゃなかったんですか?」

「そんな奇跡あってたまるか。それにそいつは白雪とは違ってちんちくりんな体型だったし。性格もかなり奥手だったし」


 カンコーン、カンコーン。

 昼休み終わりの予鈴が鳴る。


「おっと、もうそんな時間ですか」


 九里が先に屋上を後にする。


「今日はセンパイの過去バナが聞けて満足しました。それと、センパイが今後どうするのかよく考えておいてください。宿題ですよ」


 それだけ言い残すと、九里は旋風のように消え去った。


「ちなみにアタシは白雪センパイにアタックした方が良いと思います(ドアから顔だけ覗かせて)」

「いいからもういけよ」


 手で払うようにジェスチャーすると、今度こそいなくなった。


「今後どうするのかって言われても、考えるまでもないんだがな」


 正直に言えば、俺の中ではもう答えが決まっている。

 それは白雪の邪魔をするつもりは毛頭ない、ということだ。 

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