第2話 新学年初日(2022/4/7)

 脳が破壊されそうになるほど、辛い出来事を味わったことがあるだろうか。

 例えば、好きな子に彼氏が発覚したり、家族が蒸発したり、ある日エイリアンに侵略されたり。度合いの大小はあれど、誰でも一度は、立ち直れないほどのショックを味わったことがあるのではないだろうか。

 世間ではそれを脳破壊と呼ぶ文化があるらしい。


 一度損傷した脳細胞が、二度と元通りにならないように、胸苦しい記憶を無かったことにすることは出来ない。


 決して失ってはいけないモノを手のひらから零したら、それを拾い上げることは出来ない。もし砕け散った破片を手に戻しても、元通りにはできないから。

 この当たり前で非情な理屈に抗う術はないのか?

 俺には一つだけ心当たりがある。


 ――きっと、息絶えるその瞬間まで、鮮明に思い出せる。

 かじかんだ手の感触。薄氷のように冷たく、今にも割れてしまいそうな脆い瞳。

 あの日の誓いは、心に焼き付いたまま、一生忘れることはないだろう。


「――いつか本物と思える未来を一緒に……」



    ◇    ◇



「拙者のターン! 乳首捻りスライムで攻撃!」

「ふんっ、甘いな」


 その瞬間、ビキニアーマーゴーレム炎というふざけた名前のカードに表示されたシールドマークをタップする。スライムの攻撃は通らず、HPが0になり霧散した。


「ぬぬ……やりますなぁ」


 新学年初日の放課後。午前だけの授業が終わり、人の気配が消えた教室でスマホを手に2人対面する俺たち。

 俺、南条湊斗なんじょうみなとと、俺の唯一の友人である盆田泰治ぼんだたいじ


 今プレイしているのは、最近話題(と目の前の男から聞かされた)スマホカードゲーム『セクシャル・バースト』、通称『セクバ』だ。

 プラットホームはアダルトコンテンツで有名なFANUZAゲーム。

『エロスマホゲーの癖に無駄に競技性が高い』『安直なエロワードと複雑なゲームデザインの波状攻撃で頭おかしくなりそう』『ero-sports』などの口コミが広がり、SNS等で絶賛大バズり中らしい。


 ルールはシンプルで、モンスターカードと呪文カードを駆使して相手のキャラクターを攻撃し、先に相手のボルテージを20まで貯めてバーストさせた方の勝ち。

 デジタルカードゲームならではのプレイ補助もあり、カードゲーム自体初心者の俺でも苦労せずルールは覚えることが出来た。

 噂によるとこのゲームでガチ対戦をするには、高度な読み合いと暗記力が必要らしいが、俺は友人と適当に遊ぶツールとして利用している。


 あと、弁解させてもらうが、オレ自身は別にこういうエロ要素のあるゲームをよく遊ぶわけじゃない。

 友人に誘われたから俺もやっているだけだ。

 友人付き合いは大切だからな。残念なことに諸事情で俺にはこいつくらいしか話し相手がいないし。


 額に汗をためて、ぐぬぬと唸る盆田。

 自分のターンを終えると、一息おいて口を開いた。


「そういえば、対面式で代表あいさつした子がめちゃくちゃ可愛いとtwittorで話題になってましたな」

「そうなのか?」


 確かそいつは……黒髪の二つ結びで小柄の女子だったのは覚えてる。何分遠目でしか見えなかったからわかるのはそれぐらい。

 顔が良かったかはわからないが、新入生にしては堂々とした挨拶だった。


「顔は見れてないな」

「なんでも、入学初日の今日でもう数名に告白されたとか」

「なんじゃそりゃ……。新入生が入ってきたからか、誰も彼も浮き足立っているな」


 ……ただし、俺のクラスは除く。


「これは風紀委員としての指導案件になりますかな?」

「バカ言うな。第一風紀委員はそんな警察みたいなことする組織じゃないっつーの」

「ホントでござるか~?」


 閑話を挟みながら、指で『セクバ』を続ける。

 迎えた最終盤、『絶対孕ませ将軍・マスラオ』を盆田のキャラまでスワイプして攻撃。


『いっやぁ~ん!』


 攻撃を受けて盆田のボルテージが20になると、キャラのボンデージ衣装が破けて胸が丸出しになった。


「ぬぉぉおおおおおおおおおおおお! すまぬうううううう、リーリス殿ぉぉおおおおおおおおおおお!!」


 盆田が両手を挙げてゲームキャラに勝る熱量で叫ぶ。

 3桁キログラムを支える椅子もギシギシと悲鳴をあげた。


「もう一回! もう一回やりましょうぞ!」

「俺は構わないが、そろそろ――」


 丁度ガラガラと教室の戸が開いた。

 途端に、薄暗い教室にまばゆい光芒が放たれる。

 それは今まさに戸を開けた人物の後光であった。


「遅くなってごめんなさい。待たせちゃいましたか?」


 透き通る天使のような美声。紛れもなく校内一の美女、白金Platinumの少女――白雪理梨しらゆきりりだ。


「俺たちは適当に遊んでたから気にしなくて良いぞ」

「それよりもティーチャーのお手伝いご苦労様でござる」


 そう声をかけると、困り顔を和らげて、俺たちに近寄ってきた。

 驚くべきことに、彼女とは放課後に遊ぶため待ち合わせていたのだ。

 

「そうでしたか! ところでなにで遊んでいたんですか? スマホの……ゲームですか?」

「まあ、そうだな……」

「よければタイトルを教えてくれませんか? 私も一緒に遊びたいです」

「いや、その……だな……」


 焦りで目が泳ぐ。ただでさえ白雪に話しかけられて、若干緊張しているというのに。

 もちろん、こんなセクハラゲーム、素直に答えるわけには……。


「『セクバ』でござるよ。白雪殿も一緒に遊べるよう、不肖ながら拙者が諸々伝授するでござる」


 忘れていた、俺の目の前に居るのはバカがつくほどの正直者だということを。

 

「本当ですか!? それは楽しみです」


 両手を合わせて嬉しそうに微笑む白雪。胸が痛む光景だ。だが可憐だ。

 盆田の顔を借りて、白雪に届かないように話しかける。


(どうすんだよ! あんなゲームインストールさせたら何個ハラスメントに引っかかるかわかったもんじゃねぇぞ!?)

(まあまあ白雪殿はゲームへの造詣が深いですし、ゲーム自体は良いものなので存外ハマるかもしれませんぞ?)


 まったく……ヒエラルキー頂点の才媛に、ヤンチャな小学生男子並の浅慮で関われるのはお前くらいだよ。

 そのとき、グゴゴゴゴと地の底が蠢くような異音が響いた。


「くすっ、盆田くんお腹が空いたんですか? お昼まだでしたよね。どこか食べに行きましょうか」

「HA、HA、HA! これはお恥ずかしい」


 凄いな白雪は。俺はそれが盆田の腹の音だとは微塵も思わなかったぞ。学校の真下で地底人が目覚めたのかと思った。


「とりあえず駅まで移動しましょうよ」

「うむ!」


 桐学の周りは遊ぶ場所がないので、学院最寄りの駅から各種スポットに移動するのが桐学生の定石だ。

 3人で食事の流れになったが……そろそろ頃合いだろう。


「俺はまだ残るよ。今日は例のごとく風紀委員の集まりがあるんだ」

「おや? そうでござったか。残念でござるなぁ」

「あ、風紀委員の……。それはご苦労様です。あの、無茶だけはしないよう気をつけてくださいね」


 各々リアクションを返して、俺とは解散する流れになる。

 そうして、椅子に座ったまま、手を振って二人を見送った。盆田と談笑する白雪はどことなく、純白の頬がうっすら赤らいでいるように見えた。

 二人の姿が見えなくなった瞬間、俺は机に突っ伏した。


「あー、つっっっら!!」

 

 風紀委員の集まりがあるだなんて嘘だ。あの二人についてくなんてマネができるわけないだろうが! 俺のメンタルが持たんわ!


「1年前の俺に言っても信じないだろうな。白雪が清滝を振って、そのうえ盆田とはゴールイン寸前だなんて。しかも、そのせいでクラスが絶賛崩壊中だなんて」


 今のクラスの状況は最悪だ。清滝の失恋から始まった一連の事件の余波でメンタル崩壊者が連鎖していて、更に分裂した派閥が呪力マシマシで睨み合っている。

 ホント勘弁して欲しい。白雪がどうこうじゃなくて、クラスの空気を考えてくれよ。白雪が誰と付き合ってるとかはどうでもいいけど、クラスの雰囲気を大事にして欲しかったな、俺は。

 ホントそれな……。自分で自分に同意する。


「…………」


 手持ち無沙汰になり、ゲーム画面が開いたままのスマホで『セクバ』のランキングをみる。

 そういえば盆田が言っていた。ゲームのジャンルを問わず、上位10位に食い込むような連中は、例外なく人間をやめた修羅だと。

 俺もそれほど打ち込めるものがあれば、浮き世のいざこざなど歯牙にもかけず生きられるのだろうか。

 勝率8割超えの猛者のプレイヤーネームを上から流し見る。『ゆうた』『†クロウト†』『田村源蔵』『六九』『Kuriko』

 ……あんまりスゴイやつらとは思えないな。

 

「……っはぁ、帰るか」


 もういい、家に帰ろう。大天使リリエルが誰と付き合おうが、全然問題ない。

 だって俺の家には、もう既に天使が住み着いているのだから。

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