源義経が殺したかった鎌倉武士

藤原あみ

第1話 九郎義経、いざ鎌倉!

文永5年(1268年)相模国

高麗(朝鮮半島)の使節が元(元朝)の国書を持って大宰府を来訪した。当時蒙古は世界最大の帝国を築いていた。国書の内容は、蒙古への服属だった。同じ年、鎌倉幕府執権職である北条時頼の嫡男北条時宗が、第八代執権職を継承。時宗18歳の時である。

「これは、一体なに?」

時を同じくして、ひとりの青年が、本人の意思には全く関係なく、鎌倉時代へ、79年だけ遡るタイムスリップをしていた。

「いま僕、切腹したところだったのでは?あれ、弁慶は」

源義経31歳。兄からの討伐命令が放たれ、奥州平泉まで逃げ延び、藤原秀衡の元に厄介になっていたが、秀衡亡き後、息子の泰衡の裏切りにより、鎌倉勢に追い詰められた。義経は健闘虚しく、持仏堂で自害した。

筈だったのに………。

「待って、何がどうなってるの?僕は切腹し、力尽き」

田畑のあぜ道で胡坐を組んだ状態で、義経は自害の様子を再現していた。

「まさかよぉー」

弁慶を探すため表へ出ると、周囲には民家がポツリ。農作業をしていた農夫が首を傾げて義経を見ている。甲冑は着ていない。兜と鎧は切腹の前に脱いでいた。鎧下は装着していたので、見た目は明らかに落ち武者だ。

「弁慶もいないし、あー、なんだか頭が混乱してきた」

頭を抱えながら義経は歩き出した。長い逃亡生活のストレスのせいか、足元がおぼつかない。小石に躓き転んだところで、数名の騎馬武者が通り掛かった。

「敵か、敵なのか」

道の茂みに身を隠し、義経は息を殺して、騎馬衆が通り過ぎるのを待った。

「待て」

先頭の若武者が突然、馬を止め、周囲を見渡した。

「殿、如何なされた?」

側近らしき男は殿と呼ばれる若武者にそう問いただした。

「いや、人の気配を感じたのだが、どうやら気のせいだった様だ」

「参りましょう」

彼らが動き出して暫くすると、義経は仰向けに寝転がった。

「あー、もう駄目かと思った」

「駄目だね」

「きゃっ」

通り過ぎたと思っていた若武者が密かに戻り、義経を見下ろしていた。

「なっなに奴」

そういったのは義経であった。驚きのあまり、まるで女の様に口を押えた格好で、上体は寝転んでいる。

「なに奴はないわー。ここは某の領地なのだよ」

「という事は、藤原氏のご家来であるか」

「いいや」

上体を起こした義経は胡坐を組んだ。その横に若武者はしゃがみ込み、義経の装束や顔を凝視している。

「では、もしや鎌倉からの」

「その通りである」

「であったか」

義経は一度、瞼を閉じ、天を仰いだ。

「もう逃げも隠れもしない。殺せ、殺してくれ」

「其方は誰から逃げておるのだ」

「ん?」

義経は目を細め、訝し気に彼を見た。

「頼朝に決まっておろう」

「頼朝公ならもうおらぬ。ご逝去なされた」

「なんと」

胡坐から正座になった義経は、両手を土に着いて、若武者を見た。

「それは、誠のことであるか」

「誠も何も、頼朝公は某の大大伯父である。それで其方の名は?」

「某の名は……」

頼朝が死んだ事が事実だとしても、彼らは敵の可能性が高い。義経は偽名を使うことにした。

「よー、よし、ろう」

「よしろう、どんな字を書く?」

「よしは、仁、義、礼、智、信の義。郎はこざとへんに、おおざとへん」

咄嗟に自分の諱に、通称名の九郎をふっつけた。

「良い名だ。某は」

若武者は立ち上がった。

「北条時宗である」


そんな流れで義経は、時宗の城へ。

湯殿を借り、身体を流し、食事を呼ばれた。理由は定かではないが、義経は時宗に相当、気に入られたらしい。

「義郎、少しいいか」

障子越しに時宗が声を掛けた。八畳が二間繋がった部屋に通された義経は仰向けになり、格子窓から月を眺めていた。

「はい、どうぞ」

素早く起き上がり、義経は衣服の乱れを直した。

「寝ていたのか、悪い」

「いやっ、ああ、大丈夫」

寝ぐせでもついているのかと、義経は髪の毛を撫でた。

「いいんだ、疲れているのだろう。気にするな」

時宗は義経の手前に座り、未だあどけなさが残る笑顔を見せた。

「あの、どうして某をここに?」

何か企みでもあるのかといった表情で義経は聞いた。

「特に意味はない」

「意味はない?」

「ああ、ただ最近、頭の痛い出来事が多く、それを其方なら緩和してくれるのではないかと、其方を見た時にそう思ったのだ。いまも同じ想いだが」

「さあ」

義経は首を傾げた。

「其方、妻や子は、歳は幾つだ?」

「妻は、うーん、いるようないないような。愛している人はいます。子は正室との間に娘がひとり。歳は31でございます」

「ほーう、妻と子が。しかし31歳とは、見た目は若々しい限り。某よりも13も上じゃ」

「若いですねえ」

18歳か、見た目より老けて見えるな、苦労が多いのかな。

「実は某、鎌倉幕府執権職を担っている」

「その年で執権職とな」

「といってもつい数か月前に継承したばかりなのだか」

「まあでも、鎌倉幕府の執権ねえ」

義経は口の中でもごもごといった。もしかしたら自分は持仏堂で気を失い、その間に時だけが流れて行ったのかも知れない。

「あーっそうだ元号って」

義経は額を搔きながら聞いた。

「文永だが」

「文永、そうそう文永」

元号が変わっていたが、何年経過したのかがわからない。しかも自分の体形を見ても、自刃を試みた日となんら変わりがない。

「実はな義郎。今年の正月、蒙古に派遣された使者が書簡を持ち大宰府に到着した。知っているか?」

蒙古?なんだそりゃ。時宗に悟られない様に、義経は言葉を理解している振りをした。

「蒙古じゃ、そうそう蒙古」

「その書簡はここ鎌倉に届いたのだが、扱い方がわからなかったのか、直ぐに京都の朝廷に転送された。当時は北条宗家の当主得宗の専制政治で、執権は政村公。そんな時、某はこの3月に就任。とりあえずその後はなんとか幕府の体勢を強化しましたが」

「で、ござりましたか」

全く意味がちんぷんかんだった。戦には自信があるのだが、それよりもいま自分が置かれている現状を理解したい。

「結局、国書は黙殺された」

「もく、さつ……」

「我ら幕府は、ヒブライが日本を武力で従わせようとしていると読み、蒙古を敵と認識した」

「その文書とやらは?」

「よくぞ聞いて下さった。その文書にはこう書かれていた」


ー古より、小国の君主は、国境が接する大国と友好関係を結ぶものである。我が祖のチンギス・ハーンは天からの明らかな命に従い、中国大陸を領有し、その威を恐れ、とくと慕う周辺諸国は数えきれない。日本は高麗に近く、開国以来、歴代中国王朝と通じて来た筈だが、元には一度も使いもなく、友好を結ぶこともなかった。そこでわたしは使いを遣わせて、書を持たせ我が意思を伝えさせる。これから往来訪問を通じて友好を結び、お互いに親睦を深めることが我が意である。兵力を用いるのはわたしの望む所ではない。日本国王は、その事を考慮して検討して欲しいー


「どうじゃ義郎、奴ら、ひと言多いとは思わぬか?」

時宗は胡坐の膝を強めに叩いていった。

「確かに、脅迫と取られても仕方のない文章だと」

「わかってくれるか。兵力を用いたくはないとかいいながら、これは明らかな脅迫だ。輩のような物言いではないか」

「たしかに輩ですな」

「他の周辺国は、みんな挨拶に来てるのにとか、お前のところは来てないではないかとか、舐めてるのか、とでもいいたげな」

「挨拶に来ないのなら滅ぼすぞ!とでもいいたそう」

「そう読み取れるだろう義郎。無礼者め、服属を要求している」

「うーん、舐められてますな」

義経は腕組みをすると首を振った。

「それでだ、各地の守護に向けて、くれぐれも警戒するよう指示を出した」

「適切だと思います」

しかしヒブライってだれ?義経は声には出さず、顎を触りながらうなずいていた。

「既に高麗王は蒙古に降伏し、その支配下に下っている。そこで何をおもったのか、高麗は日ノ本の悪口をいいだしたらしく」

「それはなにゆえですか?」

「さあ?とにかく日ノ本を征伐しろと高麗が執拗に要求ているらしい。なんの恨みがあるというのだ全く。うっとおしい奴らだ」

「まっこと、うっとおしい」

ふたりは揃って首を振った。


そして、ふたりの出会いから6年が経過していた。

この間に時宗は妻を娶り、息子も誕生した。時宗24歳。

「義郎、其方の剣術は常に素晴らしい。どこで指南を受けたのか」

「それは」

日課になっている剣術の稽古を終え、義経は手拭で額の汗を拭っていた。

「良い良い、昔の話しをしたくないはわかっておる。良いのだ」

一緒に稽古をしていた時宗は義経の肩を叩き、道場の縁側に腰掛けた。

「未だ、もうひとつ自分でも整理のできていない部分がございます。もう少し時間を下さい」

隣に腰掛けた義経は頭を下げた。

6年間、身元の不確かな自分を傍に置いてくれた時宗に、義経はとても感謝していた。長い年月が経過すると、自分が単に記憶を失っているとも思えなくなって来た。現に、切腹まで追い込まれた記憶は鮮明だ。それまでの記憶も残っている。病気ではないらしい。最初はキツネにつままれた気分であったが、いまでは時を超えて、未来に来てしまったと認識していた。それもまさか、自分を暗殺しようとした兄頼朝の鎌倉に。この奇天烈な現象には、何か意味があるのだと、義経はそう信じ、その理由を模索していた。

「ところで義郎、そろそろ来るな」

「で、ござりますな。そろそろ奴らは来ますな」

奴らとは言わずと知れた蒙古の事である。蒙古は必ず大軍を率い、この日本を襲来しに来る。その時期は迫っていた。

「大丈夫だ。この六年、抜かりなく策を練って来た。奴らの思い通りにはさせぬ。お前がついてくれているから心強いぞ」

この日から半年後の10月3日、元軍約二万、高麗軍約五千六百、これに航海士や水夫役らを加えて総勢約四万ともいわれる日本遠征軍が高麗を出港。

5日、対馬西岸に姿を表した。そして夕刻には役三千の軍勢を上陸させた。

対する鎌倉幕府軍はたったの五千名しかいない。知らせを受けた対馬守護代はただちに80騎ほどの軍勢を率いて出陣。

いったん敵勢を海上に押し戻すが全滅してしまった。


「それで……」

評定の間で戦装束に身を包んだ時宗は、九州の悲惨な戦いの状況の説明を受けていた。すぐ傍には義経もいた。

「元、高麗軍は七日程を対馬で過ごし、島民の殺害、略奪を行ったのち、壱岐へと向かいました」

「女子供を含む非戦闘員も全て殺されたのか」

「はい」

時宗は唇を噛みしめた。

「奴らは鬼の様に残虐で、言葉にするのも憚られます」

「言うてみい。彼らの無念を儂の胸に刻み込む為にも、教えてくれぬか」

遣いの武士は、片手を床に着き、目はしっかりと時宗を見据え、話し出した。

「キム・バギョンという高麗軍の兵士を筆頭に殺戮は行われました。奴らは赤ん坊を股裂きにし、子供は奴隷として拉致。女は生捕りにし、手のひらに穴を開けられ、紐を通され、数珠繋ぎにされ、日ノ本の攻撃をかわす盾として船壁に並べたと」

遣いの者は首を垂れ、泣き出した。

「なんという。以前から朝鮮には、奴隷の手のひらに穴を開けるという行為が常識だとは知っていたが、これまでに残虐で無残な話は聞いたことがない」

「すみません」

遣いの者は涙を拭き、顔を上げた。

「同じようなことが、九州各地で実行されておりました。壱岐では平景隆公率いる軍勢が必死の抗戦を続けた後、全員自害して果て。松浦、鷹島、平戸で元、高麗軍はまたも島民を襲撃。十九日、奴らは博多湾まで侵入しました。しかし博多湾沿岸を守る御家人勢五千騎がこれを迎撃。時に劣勢に立たされましたが、各地で奮戦を繰り広げ、健闘し、二十一日の朝になると、高麗軍の一隻が座礁している他、全て博多湾から撤退しておりました」

「そうか、良く耐え、戦ってくれた」

「殿のご采配があっての勝利と存じます」

「そうか」

時宗は傍らに座り、涙ぐむ義経を見た。

「義郎」

「いえ、あまりに残忍、残酷。これまで様々な戦を見聞きして参りましたが、こんなに悲惨な戦争は、聞いたことがござらん」

「弔い合戦じゃ。のう義郎」

ふたりは見つめ合い、大きくうなずいた。


記録によれば、撤退した大船隊がひと月もかかり高麗合浦に辿り着いた時、出陣時の三分一の兵が失われていたという。

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