第48話 女子会3

 手を洗い終わった二人は、指示に従い包丁を手に取っていた。

 久しぶりに握った刃物は存外重く、鈍く光る刃先がその鋭さを物語っている。

 それで何をするのかと、由希恵は恵美を見ると、彼女は椅子の上に退避させていた袋から食材を次々と取りだして、


「どんどん切っていきましょうか」


「え、これ全部?」


 景子の言うことは最もだ。テーブルの上には所狭しと食材が並べられ、作業スペース以外の空白地が見えない。これら全てに包丁を入れるとなると、どれほどの時間がかかるのか、由希恵は考えるのも億劫になっていた。

 しかし恵美は気にした様子もなく、


「四人前ですし。いつもはこの倍と朝昼の仕込みも並行して行っているんですから、そう考えると少ない方ですよ?」


 そう言われてしまい、二人はそれ以上言葉を発することが出来なくなってしまう。

 少し前までは信一と恵美の二人で調理していたが今は一人だ。それを難なくこなしていることを考えると弱音を吐くのはなんとも情けないように思えていた。

 だから由希恵は大人しく包丁を持って、


「何から切ればいいですか?」


「そうね、由希恵は肉から、景子さんは野菜をお願いします。詩折、水を張ったボールをいくつか用意して」


「了解っす!」


 恵美の後ろでただ眺めていた詩折は、適当な敬礼の後キッチンへと向かう。

 その様子を軽く目で追いながら由希恵はブロック肉へと手を伸ばしていた。




 ブランクがあれど自炊経験のある二人の手際はそれほど悪いものではなく、山ほどあった食材の下処理も大した時間を必要としなかった。

 となれば次は調理だが、それはただレシピの書かれた紙を渡してそれ通りに作るだけなので、二人が四苦八苦しながらコンロの前に立っているのを恵美は椅子に座りながら見守っているだけだった。

 途中火力が強すぎることや、調味料の順番や量を間違えているといったアクシデントがあってもそれを口に出すことは無い。どうしようもならない状況以外は試行錯誤させる腹積もりであった。

 今は煮物の味が決まらず、何の調味料をどれだけ足すかで悩んでいるところだ。その様子は仲の良い姉妹にしか見えず、楽しそうだな、と恵美は羨ましそうに笑う。


「いいっすねぇ、こういうのも」


「手伝ってこないの?」


 恵美の隣に座る詩折は、見てる方が楽しいと言って、半透明のオレンジジュースに口を付ける。彼女こそ来年から一人暮らしになるというのに、その準備をしている素振りは無い。

 いつもどこか舞台の外に立って見つめているのを、前々から感じていた。その心当たりも恵美にはあった。

 だから、


「ねぇ」


「なんすかぁ?」


「私の事嫌いでしょ」


 妙な一拍が空いて、そして、


「……そうですね」


 取り繕わない、馬鹿正直な返答が帰ってくる。

 それをすんなりと受け入れた恵美は、詩折の顔を見ずに問う。


「理由が聞きたいなぁ」


「……私の父親が浮気性だからですよ。母はそれに憤慨しながらも許していました」


「そっかぁ……」


 納得と、小さな怒りが恵美の心中にはあった。

 今はそれを隠して、


「許すのかぁ……」


「はい。父親のことすっぱり切ってしまえばいいのに、そんなことも出来ない弱い人でした」


「そっ……うなのかもね」


 否定の言葉を飲み込んで恵美は答える。

 詩折の話は一方的で、激しく攻撃的だ。

 詩折の両親が何を思って夫婦を続けているのかは、部外者である恵美には分からない。詩折の言っている通りなのかもしれないし他に理由があるのかも、いやもっと酷い理由なのかもしれないが、それをあの短い会話だけで推理するのは不可能だ。

 だから、否定も肯定も恵美はしない。

 それでもただの浮気と自分達の関係を一絡げにされたことは不愉快であるし注意してもいい。それ以上にそんなことを思っていても長い間我慢をして、おくびにも出さないで一緒にいてくれた詩折に、


「ありがとう」


「……ん? それはおかしくないっすか?」


 恵美の言葉を聞いて、詩折が元の口調に戻るほど困惑しながら話していた。

 言ってから、脈絡がないと気づいた恵美は、半ば強引に話を進める。


「でも、浮気かぁ。浮気はダメだよね」


「あ、はい。トッシーも駄目だと思うんすか?」


 その言葉を聞いて恵美は当たり前でしょ、と詩折の肩に軽く拳を当てる。


「私は確かに複数愛者だけど、だからこそ愛のない行動はいけないと思っているのよ。浮気するにしても奥さん公認でしなければならないわ」


「いやそれって、無理じゃないっすか?」


「無理なら無理で諦めるか別れるかしかないじゃない。それとも黙って騙し続けるのが正しいと思ってる?」


 恵美が微笑みとともに詩折に投げかけると、彼女は小さく首を振りながら、


「……それは違うっす」


「そうよね。私も浮気されたからわかるわ。なんか心に潤いが無くなるのよ、カスッカスのスポンジみたいになる感じ。やっぱり愛って大事だわ」


「えーっと、そこまでは……」


「なによ、そっちが始めたことでしょぉ。今更日和るんじゃないわよ」


 恵美がそういうと、詩折は突然両手を前に出していた。

 何か、と反応する前に恵美の頬に手が添えられて、コツンと額にぶつかるものがあった。


「うぇっ!?」


「あぁ、熱はないっすね。酔っ払ってるのかと思ったっす」


「子供がいるんだから飲まないわよ!」

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