第22話

 その言葉を聞いて、時間が止まったかのような感覚に光秀は襲われていた。

 泳ぐ視線が詩折の顔をとらえる。彼女もまた、同じように目を見開いて動きを止めていた。

 ……冗談、なのか?

 由希恵の言葉の意図が読めない。

 だから、


「……それは、皆知ってる」


 そう、光秀は馬鹿正直に答えるほかなかった。


「えっ……」


 なんで、と続きそうな勢いのまま、由希恵は光秀を見つめていた。

 それに気まずくなった光秀は目を逸らすと、由希恵は代わりに詩折へと目線を向ける。


「そんな目で見られても……ぷふっ」


「えーっ、なんで、もーいやぁ」


 気恥ずかしさから由希恵は感情をそのまま言葉としてつぶやいていた。

 それが落ち着いたのは数分が経ってからで、見るからに落ち込んだ表情を浮かべた由希恵は下を向いて、


「……大丈夫かなぁ」


 気落ちしたようにそう呟く。

 その様子に光秀は一瞬詩折の方を見ると、彼女は軽く頷いていた。

 お膳立てされている、と感じつつも、光秀は口を開く。


「今気にしている人はいないから平気だよ」


 そして、


「ごめん、俺が先に聞いていたら不愉快な思いはさせなかったのに」


「そ、そんなことないです。私こそなんの相談もなく突っ走っちゃって、すみませんでした」


 由希恵は両の手を大きく振りながら言う。

 その様子をただ眺めていた詩折は、またやってる、と言って、


「はいはい、話が戻ってるっすよ。それを言うために集まったんじゃないんすから」


 二人の間に腕を伸ばして視線を遮る。

 そのせいで会話が止まり、一人を除いて手持ち無沙汰になっていた。

 詩折は率先して店員に追加のオーダーをしている。

 ……こっちから話さないとなぁ。

 そう考えはするものの話題が浮かんでこない。かと言って光秀には話を終える気は無い。ここで終わってしまえばなんのために時間を作ったのか分からなくなるからだ。

 幾つか他愛のない話なら光秀の頭の中に浮かんでいた。が、それを口に出すことは無い。

 ……今する話じゃ、ないよな。

 普段から同じ家で寝泊まりして食事をしているのだから、それくらいの会話はする。

 解散の時刻は決めていないが、時間は無限では無い。それを考えると無駄な会話で時間を浪費する訳には行かない。

 困ったな、と思いながら光秀は由希恵に目を向ける。彼女も助けを求めるように視線を泳がせていたため、目が合う。


「あ、あの……」


 膠着状態の中、先手を打ったのは由希恵だった。

 言ったはいいが次がすぐには出てこない。それでも一呼吸おいて、


「あの、大学生ってああいうの普通、なんですか?」


 じっと光秀を見つめて発言した。


「いや、普通じゃないよ」


 普通なわけが無い、光秀はそう断言する。

 だからといって悪いという気は光秀にはなかった。友達が関わっているというのもあるが、関係者が納得して行っていることから部外者が口を出すべきでは無いと思っていた。

 それを聞いて由希恵は胸に手を当てていた。表情は落ち着いていて、呼吸も滑らかだ。

 分かりやすく安堵の表情を浮かべて、彼女は言う。


「良かったぁ。正直あれが普通って言われたらどうしようかと思ってました。風俗店じゃないんですから──」


 その時だった。言葉の途中で詩折が素早く由希恵の肩に手を置いていた。

 そして、


「ユキ」


 それはとても低い声だった。

 よく見ればその指には力が入り、肩に食い込むほど。急に掴まれた由希恵は驚いて跳ね除けようとしても、その腕は微動だにしない。


「ユキ」


「な、なに?」


「今は知らない誰かの話をする時じゃないよね?」


 

 その目は射殺すほど真っ直ぐで、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた由希恵は細かく震えるように頷いていた。

 それを見て満足そうに詩折は頷いて、ちょうど運ばれてきた料理に箸をつける。

 ……こわっ。

 一連の流れで光秀が感じていたのは恐怖だ。普段の口調すら無くなるほどの真剣な様子も、その後あっけらかんと元に戻る様も。

 諌められた由希恵はまだ調子が戻らず、体をピンと伸ばしたままだった。


「ま、まぁ由希恵が感じたことはわかったし、ちょっと言葉選びが行き過ぎただけだもんな」


 光秀の言葉に由希恵は小さく、そしてゆっくりと頷く。

 そして、まだ少し震える声で、


「……すみませんでした」


「ユキも謝ってることっすから許してあげてください」


 まさかの便乗に呆れて言葉が出ない。

 和ませようとしてる、でいいんだよな?

 光秀は詩折のほうへと視線を向けるが、彼女は既に箸を手に持って食事にいそしんでいる。

 また一つ、よくわからなくなったと、光秀は薄く目を閉じる。

 目の前の女性たちとは出会ってまだひと月とちょっとしか経っていない事実を思い出していた。

 ……あれと同類だと思ってたんだけど、それはさすがに失礼だったか。

 あれとは聡のことだ。彼を形容する言葉は、快活、シンプル、そして馬鹿。共同生活を送るうちに、詩折を次第に彼と扱いを同じにしていたことに光秀は気づいていた。

 すると、


「やなっちはどう思ってるんすか?」


 テーブルに視線を向けたままの詩折が問いかけてくる。


「どう……って?」


「とっしーと川さんとタケさんのことっすよ」


 そう言われ、光秀は考える。

 俺が一番聞きたいくらいだよ……

 先日の会議の時も、信一と話した時も、結局明確な答えを光秀は出せていない。

 出そうとは思っていた。ただ今出した答えに納得できるかというと、

 ……そうじゃない気がするんだよな。

 ひと月後、一か月後、一年後。それ以上になっても変わらない意思を持ち続けていられるかと問われれば自信がない。

 ただ一つ、わかっていることがあるとするならば。


「……皆には幸せでいてほしいよ」


 ぽつり、と光秀は小さくつぶやく。

 まぎれもない本心。

 ただそれを言うとともに、光秀の耳は真っ赤になっていた。

 今時小学生でももうちょっとしっかりしたこと言うよな……

 気恥ずかしさをごまかすようにジョッキに口をつける。

 それがなおさら子供っぽさを強調しているようで、光秀は、


「俺のことはいいんだよ。うまくやれるから」


 言い訳なのは誰から見ても明らかで、

 

「……」


 光秀の言葉に返答はない。

 それどころか、


「ぷっ」


「あ、だめっすよ。笑ったら失礼じゃないっすか」


 我慢の限界を超えて噴き出した由希恵を詩折が注意する。

 しかし、その詩折の頬も明らかに緩んでいる。

 その反応に光秀は天を見上げる以外出来ることはなかった。


「うちは良いと思うっすよ!」


 相変わらずのにやけ顔のまま詩折が言う。

 せめて言動と態度は一致させてくれと思うが自分のまいた種だからと光秀は諦めるしかない。

 不貞腐れるように酒に逃げた光秀に、


「でも」


 声をかけたのは詩折だった。


「相原さん大丈夫っすかね」


 それを聞いた光秀は、

 なんで?

 聡に何か心配することがあったろうか。直ぐには思いつかず、そもそも、

 心配する必要があるほど考え込むようなやつじゃないしなぁ。

 なにかあったら即断するか棚上げしてそのまま忘れるような人間だ。だから、


「あいつは大丈夫だよ」


 光秀は、考えるよりも早くその言葉を口にしていた。

 ただ、それに対して、


「好きな人と意見が割れてるって辛くないっすか?」


 詩折がいうと、由希恵も同意するようにこくこくと頷いている。

 そういうものか、と光秀は考える。状況をシュミレートしてみてもあの二人が辛そうに顔を合わせる場面が思いつかないが、


「……わかった。後で話をしてみるよ」


 彼女たちの懸念を払拭する位は骨を折ってもいいだろう。


「すみません。色々と気を使わせてしまって」


 由希恵がまた礼を言う。幅の狭い肩をさらにすぼめて、気持ちを全面に表現して。

 それくらい、と光秀が笑うと、


「……あの、今後も相談してもいいですか?」


「あぁ、どれだけ力になれるか分からないけどね」


 光秀の言葉に、ようやく由希恵が笑みを浮かべる。

 その姿を見ていた詩折は急に由希恵に抱きついて、


「あー、親友よりも新しい男をとるんすね!

 うちは寂しいっすよ!」


「ちょっ、止めてよ」


 顔を胸に押し付けようとする詩折に、腕を突っぱねて身を守る。

 仲良いなぁ……

 由希恵は眉を八の字にしていたがその口元は上がっている。それに一抹の寂寥を感じながら光秀はじゃれ合う二人をただ眺めていた。

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