第17話 キス

 その後他愛のない話をしている中で、一つ気になることが浮かび光秀は口を開く。


「あのさ、詩折は普通だよな?」


「どういう意味っすか、それ?」


 質問に対して詩折は首を傾げるだけだった。


「いや、その……好きとかそういうのに人と変わってるって思ったことがある、みたいな?」


 言葉を選びながら話す。まとまらない言葉に焦れったさを感じつつも何とか絞り出す。


「ははは、訳わかんねぇっすよ」


 だろうな。

 要領のえない質問をしているのは自覚している。が、本人ではない人のことを話すのを避けている以上深く話すことが出来ない。

 我ながら何を聞いているのかと、光秀は思う。だから話を変えようとした時、


「まぁ、変わってない人なんて居ないんじゃないですかねぇ」


 気の抜けた返事があった。


「そうか?」


「そうっすよ。普通がなんだか分からないんすから」


 そう言って詩折は人差し指を立てて、宙でくるくると円を描き始める。


「男の人って一般的に年下の女の子が好きじゃないですか」


「まぁ……うん」


そればっかりでは無いだろうとは思うが、話の腰を折るので辞めておく。


「じゃあ年上好きは変わってるってことっすね。少数派って奴っす」


「そういうことになる、のかな?」


「さぁ? 正しくはわかんないっすけどそうなんじゃないっすかね。で、そうやって全ての要素から多数派を集めた結果、どこに出しても恥ずかしくない普通の人になるんすけど、そんな人変わりモンにしかみえなくないですか?」


 話が終わると共にぴたっと指の動きも止まる。


「なるほどなぁ」


「そんなことで悩んでたんすか?」


「いや、そういうわけじゃないけど……」


 覗き込むように見つめてくる詩折に少し体を逸らして答える。

 皆変わってる、か。言われてみればそんな気もする。個性なんて言う言葉で片付けていいか分からないがなんとなく腑に落ちるところがあった。

 光秀が考え事をしてる間、徐々に詰め寄ってきていた詩折は、急に体を戻して、


「まあ、一番変わってるのはやなっちっすけどね」


「俺が?」


 その言葉を聞いて反射的に答えていた。

 詩折は一度頷いてから、


「だって変だなーって思っても一回受け入れてから考える人っすよね? 普通受け入れられないことは無理って言いますし」


 そんなことはないと思う。が、不思議とそれを言葉にする気にはなれない。

 聡も信一も、それが受け入れ難いことならばはっきりと拒絶するだろう。同じように自分はできるかと言われれば……悩むだろう。

 だがそれは、


「自分がないからじゃないかな」


 ぽつりとつぶやく。それを拾った詩折は、目を見開いて、


「自分ってなんすか?」


「自分は自分だろ」


「じゃああるじゃないっすか。誰に強制されたわけでもないんすから」


 そうだけどさぁ……

 言いたいことはあるのにそれが上手く言葉にできない。それよりも年下にいいようにされてる事に光秀はムッとして、グラスの中身を飲み干した。


「先生とか向いてそうっすよね。生徒の気持ちによりそうタイプの」


「……保護者になんにも言えない教師なんて嫌じゃないか?」


「嫌っすね!」


 はっきりと言うな、こいつ。

 口角を釣り上げて笑う詩折につられて、笑みを作る。

 今はその雑な対応が嬉しい。


「あ、そういえばなんすけど」


 ひとしきり笑いあった後で詩折が言う。


「ん、なに?」


「川さんとトッシーって付き合ってるんすか?」


 ……

 その言葉に疑問と困惑で光秀は動けなかった。

 あの二人が付き合っている? 確かに最近仲がいいようだがそれは無いはずだ。

 根拠ならあった。恵美がよく顕志朗の部屋に行くからだ。

 大人の男女が部屋ですることなどそう多くはない。もちろん情事を目撃することはないが察することはある。それをわざわざ話題に出すことは無いだけで。

 それに、

 信一はそういうの毛嫌いしているようだったよな。

 内見の時のあの言動から一番最初に文句を言うのは信一かと思っていた。それに家事当番で恵美と一緒の料理担当になったのでどうなるか心配していたが、今では仲良くやっているのは知っている。が、本心が変わったとは思えない。

 だと言うのに、詩折がそう言うには訳があるのだろう。


「なんで、そう思うんだ?」


「大学でたまたま二人がキスしている所を見かけたんすよ。ユキもその時一緒だったんで二人でびっくりしちゃって。ほら、うちらまだそういう関係性とか把握してないっすから聞いておきたいんすよね」


 詩折は何度か小さく頷きながら話す。

 まさか……

 信じたくなかった。が、詩折の瞳越しにその情景が浮かんで消えてくれない。

 顕志朗と恵美の関係は信一も知っているはずだ。なのにどうして。

 どれだけ考えても言葉が浮かんでこない。当事者ではないからだ。だから光秀は一度深く深く息を吸って、


「今の話、しばらく内緒にしてくれないか?」


「……あー、はい。了解っす」


 見つめた先、詩折は一度大きく頷いたあと、上を見上げている。


「複雑、っすね」


 全くだ、と光秀は思う。が今になって呪詛のようにあの日喫茶店で景子の言っていた言葉が脳内では繰り返されていた。





 数日後、スマホを前に自室で一人小さく唸る光秀の姿があった。

 画面には、今週末、五月最初の日曜日に話し合いの場を設ける旨が書かれている。

 ルームシェアゆえ、細かい問題点や金銭の精算など状況に応じて変化するものがある。それについてひと月に一回場を設けることになっていた。

 光秀が参加するのは二回目だ。先に住んでいた二人以外では皆そうだった。

 ……どうしようかなぁ。

 項垂れ、そのまま寝転がる。

 この数日、まともに誰とも話していない。それは自分の中で対応が定まっていないからで、


「うーん……」


 声を出しても何も変わらない。

 信一と恵美のしたことは顕志朗に対して良くないことだ。それを顕志朗は知っているのかいないのか、認めているのかいないのか。

 当事者間で片付く問題ならばいい。ただそれが不信感となって態度が表に出ると、波及して全体の雰囲気も悪くなるかもしれない。


『でもね、遠からずあの関係は破綻するわ』


 恵子の言った言葉が何度も脳裏に響いている。

 一度入った亀裂は埋まるとは思えない。それどころか何かの拍子に溝は深くなるばかりだろう。なんの縛りもない、ただの他人なのだから。

 さながら時限爆弾のようだ、と光秀は思う。解除の仕方がわからないし爆発の規模も分からない。早くに爆発させていいものか、案外いつまでも爆発しないのかもしれない。

 余計なことなのかなぁ。

 自分が何もしないでもどうにかなるかもしれない。逆もまた然り。

 光秀はトントン、と床を叩く。頭の代わりにどこかを動かしていないとむず痒くていられなかった。

 ……自分はなにがしたいんだろう。

 わからないことだらけで自分までわからなくなる。

 答えの出ないまま冷えた床に頬をつけ、いつの間にか意識は落ちていく。

 

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