第13話

 そういって力なく笑う景子がいた。

 トランスジェンダー。最近になってよく聞く言葉だ。こうも身近にいると思っていなかった光秀は彼女の発言に、


「で、今は?」


 深く問いただすのが間違いに思えて、そう訊ねていた。


「今は、そうね、まだ少しだけそんな感じもあるかな。でもそこまでじゃないの。男の子遊びが好きなだけ、そんな人どこにでもいるでしょう?」


 景子は言う。それに対してはっきりとした答えが出せず、光秀はかもね、と答えるが、

 そんなに、女の子と話したことないんだけど……

 経験不足が発言を軽くする。それを感じて恥るような気持ちになる。できることと言えば含みを持たせて話を曖昧にする、そんな自分が小さく卑怯な人間に思えて嫌悪してしまう。

 つまんない奴、そう思われるのが嫌だった。いつだってそうだった。

 光秀がそれ以上話さないと見るや、景子は、


「一時期、そういうので悩んでいた時もあったから、聡から恵美たちのことを聞いたときはちょっと嬉しくて。こういうのってあんまり話せる人もいないからさ」


 そのすこしだけ喜色を帯びた声を聴いて、

 悩むことくらいあって当然か……

 豪快、不惑と思っていた人の弱みのような物を見せつけられて、光秀は一驚する反面その人臭さに惹き付けられるものを感じていた。

 しかしその表情は一転して暗くなり、


「でもね、遠からずあの関係は破綻するわ」


「急にどうしたんですか?」


 不吉なことを言うなぁ、と光秀は思う。上手く行っているのに水を差すようなことを何故、その考えを理解出来ない。

 景子は小さく背をのばし、光秀をしっかりと見据えた上で、


「少数派の一番の敵は少数派だからよ」


 ……は?

 なぜ、と疑問が浮かぶ。せっかく得た仲間を自分から排除するメリットがない。

 ただの意味深なたわごとと片づけるのは簡単だ。だが、光秀を見つめる双眸がそれを許さない。


「たぶん生活スタイルが変わった時がきっかけになるわ。みっちーもその時のこと、考えておいたほうがいいわよ」


 そう言い切ると同時に、注文していたケーキとコーヒーが運ばれてくる。真っ黒なオペラというケーキ、表面にはきらきらと輝くものが小さくちりばめられている。

 ためらいがちに光秀はフォークを刺して口に運ぶと、濃い甘味が口に広がる。

 まるで、それは甘い毒のように腑に落ちるように感じて、光秀はのどの詰まりをコーヒーで押し流していた。




 先ほどとは打って変わって会話なく二人は黙々と食事をしていた。

 小さなケーキではそれほど時間もかからずに食べ終わり、コーヒーも既に二杯目。お互い目を合わせずに、ただゆっくりとグラスを伝う水滴だけが動いていた。

 その時、


「シオリちゃん、どうしよう……もう時間がないよぉ」


 二人とは違う席から、不安げに話す少女の声が光秀の耳に届いていた。BGMのない静かな店内は他に音がないため聞きたくなくてもよく響く。

 なんだ、と疑問をもって、気づけば聞き耳を立てている自分がいることに光秀は気づく。それを行儀が悪いと視線をずらすと、景子と目が合って、


「んっ」


 視線だけを声のほうへと一瞬向ける姿に、同じように聞き耳を立てていることを察する。その表情はうすらと笑みを浮かべていた。

 ……やめようよ。

 制止の気持ちはあれど声には出ない。そんなことを言って止まるような性格ではないことを光秀にはわかっていた。

 なら自分に出来ることは何か、景子が暴走しないようになだめすかすことだ。


「うーん、ピンとこないんだよね」


「そういうこと言ってる場合じゃないでしょ……」


 何かの相談だろうか、ともに女性の声で一方は焦りを見せているが、もう一方は楽観的に話をしている。その姿が身近な人と重なり、その苦労がわかるような気がして光秀は静かに苦笑する。

 が、それが油断となって、気づいたときには景子が既に手の届かないところにいた。


「なになに、なんか悩み事かしら? お姉さんが相談に乗るわよ」


 あー……

 急いで立ち上がり景子のもとへと向かう。その隣に立つと、景子は獲物をみつけた猛獣のように目をキラキラと輝かせて少女たちの席に座る。


「景子さん、さすがに迷惑でしょう! 帰りますよ!」


「あら、困っている若人を導くのも先達の役目よ?」


 困らせてるのは景子のほうだよ……

 しっかりと根をはった彼女を動かすすべを光秀は持ち合わせていない。かといってこのままでいいとも思えず、


「あー……おせっかいなおばさんだと思って一回だけ相談してみる、っていうのは駄目かな?」


「みっちー、覚えておきなさいよ」


 その言葉に見上げたままにらみつける景子に、光秀はただたじろいでいた。失言だとはわかっていたがそれでも言わなきゃどうしようもない雰囲気だと思ったに。


「あの……じゃあいいですか?」


 意図が伝わったのか景子の向かいに座る少女が言う。

 その声質から先ほどの会話の中で明るく話していたほうの子だと光秀は思った。ショートヘアのはねっけが目立つ、小柄だががっしりとした体つきの少女だ。年は若く、高校生くらいに見える。

 その少女は、景子へ視線を向けて、言葉を選ぶように口を何度か開いては閉じてを繰り返す。長身の見知らぬ女性がいきなり迫ってきたら誰だってそうなるだろう。

 と、急に光秀は自分の手が引っ張られていることに気が付いて、その先へと視線を向ける。

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