第34話 知は力なり



「命に別状はなく、痕も残らないかと思われます。

 止血も滞りなく行えていました。きっと応急処置がよく出来ていたのでしょう」

「そう、ですか。ありがとう、ございます」


 ディアドラは何とか助かった。今まで色んな人に応急手当をした経験が生きたらしい。ロゴス能力者がどれだけ常識離れしていても、治療などに差異が出るわけではないようだ。

 ひとまず彼女は、機関の取次ぎで入院する運びになった。大事にならなくて幸いだったが、俺は安心出来ていなかった。室岡の残した言葉が、胸にしこりのように残っていたからだ。


「ごめん。俺がちゃんと、戦えていれば。奴を逃がすようなことも、無かったのに」

「気にしないでくださいまし。私が油断したのも悪いんです」


 俺とディアドラは、病院の一室で情報の共有がてら会話をしていた。レイヴンとも通話は繋がっている。

 室岡を逃がしてしまった罪悪感に囚われている俺を、ディアドラは優しい言葉で励ましてくれた。


『援軍が来るまで。まだ時間がかかる。人間災害の言い渡したリミットは、20時だったか』

「はい。その時刻までに俺が来なかったら、奴はこの街を滅ぼすと言っていました。奴を止めないと、俺たちの街が─────」

「絶対に行ってはなりませんよ、始さん」


 釘を刺すかのように、鋭い言葉がディアドラの口から飛び出し突き刺さった。

 その言葉には、心配しているような、あるいは牽制するかのような、様々な感情が込められているように見える。

 確かに俺は、奴の誘いに乗るかのように、室岡と戦うつもりでいた。彼女のその言葉は、その思惑を見透かされたかのようだった。


「まぁ確かに、俺なんかが行っても勝てないと思うけど。でも行かなかったら、この街の皆が……!」

「勝てない、じゃないんです。確実に死にます。それでもあなたは、この街を守るのですか?」

「──────。それは……」

『まぁ待て、ディアドラ。始としても、この街を守りたい気持ちはあるだろう。

 だが人間災害は、俺達でも手をこまねいている特級のロゴス能力者だ。戦うのはおすすめしない』

「それでも俺が行かなかったら、この街は奴に壊されて、皆死んでしまう。なら、行かなくちゃいけないんです。

 俺以外この街に、奴と戦える人間がいないなら! 力がある俺が!」

『…………。』


 レイヴンは俺の言葉を聞いて、沈黙だけをただ返した。その沈黙が、何かまずいメッセージのようにも思えた。

 身勝手な、発言だっただろうか? 確かに無謀かもしれないけど、奴を放っておいたらこの街が地図から消える。アレは脅しなどではないだろう。現に奴は、それが出来る力を持っている。なら、大勢が死ぬのは明白だ。

 だからこそ、俺には奴を見過ごすという選択肢が出来ずにいた。それが、無謀な選択だとしても。


「……分かりました。貴方のその考えを曲げるのは不可能なようですね」

「ごめん。俺は街を見捨てるなんて、出来そうにないから」

「良いですよ。私も、そのお人好しに救われた身ですしね。

 ただし、絶対に自分の命を投げ出すような選択をしない事。必ず、生きて帰ってきてください。約束ですからね」


 ディアドラの真っ直ぐな視線を見つめ返し、俺は深く頷いた。

 大丈夫。死にたくない気持ちは、当然強くある。だからこそ、それを貫いてみせる。そう俺は真っ直ぐに決意を固めた。


『あまり無茶はするなよ。これで誰か死人でも出たりしたら、こっちも夢見が悪いからな』

「すみません、俺の身勝手で苦労をかけて。それでも、奴は見逃せないんです」

『良いさ。こっちの人手不足も悪い。だが策は? 奴の強さは、その身で味わったと思うが』

「策は正直言うと、ありません。ですが、作り出してみせます」

『ほう?』

「こっちには醒遺物フラグメントがあります。なら、あとはその力をどう扱うか、です」

吾輩わたしか」


 俺は、ディアドラを挟んで向かいに座るクリスに視線を移す。

 コイツが持っている力は、千変万化の万能な力だ。その在り方に沿うものなら、様々な形を取る事が出来る。

 だとすれば、竜に変化する室岡への対抗策を、何か生み出せるのかもしれない。


「作ると言ってもですねぇ。貴方、そんな簡単に案が浮かぶと思いまして?」

「だから調べるんだよ。とにかく竜とか神様とか、ロゴスでこじつけられそうな概念を」

「ま、まぁ確かに。知れば知るほど力になるのがロゴスですけれど。一体どうやって?」

「ちょうどいい場所がある。ひとまず、やれるだけやってみるよ」


 俺に策は無いが、策を生み出す策があった。ここなら室岡というさいがいを討つ手も調べられるはず。そういうアテがあったのだ。

 時刻は午後2時、約束の時間まで六時間。策が浮かぶかは五分五分というところか。


『気を付けてくれ。こちらも手配をなるべく急ぐ。兎にも角にも、死なないようにな』

「……分かりました」


 俺はレイヴンの言葉に頷いた。横から見るディアドラの視線に、申し訳なさを覚えながら。


 ◆


「──────で、その策を生む奥の手が、この蔵書群か」

「ああ。公園も近いし、下手な図書館よりも情報は多いだろうからな」


 俺とクリスは、白神工芸資料館の蔵書室にいた。

 現在資料館は、昨夜の影響で一時閉鎖になっているが、館長との伝手ツテを利用して入らせてもらった。ここなら資料は豊富にある。

 あの大災害に立ち向かうために、まず『竜』という概念を調べる事にした。風を操り金属武器を『風化』させるように、ロゴスとは実物が持つ力よりも、人々のイメージが優先され力となる。なのでまずは、人々が持つ竜へのイメージと、その対抗策を知る必要があった。


「そこの本棚にも、ある程度は資料があったぞ」

「ありがとうクリス。悪いな、なんかパシリみたいな真似させて」

「問題はない。御身おまえが死ねば吾輩わたしも死ぬ。一心同体の関係ゆえ、協力は惜しまん。

 ……先は、少し進言し過ぎたがな」

「俺に対して、意志薄弱だとか空虚だとか言った事か?」

「うむ、そうだ」


 クリスの方へ振り向くと、少し逡巡するような、申し訳なさそうな顔をしているのが見てとれた。こいつ、こういう顔も出来たのか。血も涙もない神様だと思ってたけど。

 そう言えば俺と言い争いになった後も、言い過ぎたって反省するようなそぶりを見せていたっけ。


御身おまえ吾輩わたし破滅掌者ピーステラー、要は宿主のようなものだ。だから御身おまえには、はっきり言って死んでほしくない。

 故に御身おまえ自身の意志を明確にさせ、ロゴスの世界での生存確率を高めたかったのだが……裏目に出てしまったな」

「あんがい神様でも、分からない事は多いんだな。人のトラウマなんて、そう掘り返すもんじゃねぇんだぞ」

吾輩わたしだって万能ではない。御身おまえと一体化している状態ならば、もっと多くの事を理解できたのであろうが……。

 ただ先ほどは、お前の過去への執着があれほどとは気付けなかった。少し客観的が過ぎたと言うべきか……その、なんだ、言い過ぎた」

「分かればいいよ。実際に俺自身も、俺の意志とやらを明確に掴めていないって分かったしな。

  人を助けたいのが俺の意志だって分かったのは良いけど、その詳細も掴まなくちゃ、このさき生き残れそうにないし」

「意志の輪郭を掴むのも重要だが、肝心の策は浮かぶのだろうな? あの災害男に今の御身おまえが勝てるとは、てんで思えんのだが」

「だから弱点とか調べてるんだよ。まぁ、どこもかしこも竜は強いとしか書いてないんだが」


 基本、ドラゴンとは力の象徴だ。ゲームにおいても多用される彼らは、伝承における強敵の代名詞として名高い。だからこそ室岡が変身する竜も、それ相応の力を持っているのだろう。

 本来なら現実に存在しないドラゴンを、無理やり自らの身を以て実現させる。改めて考えると、化物じみた意志の強さだ。いや、実際に化物と化しているわけなのだが。

 などと考えながら次の資料を探そうと立ち上がった時、カバンから数冊の本が落ちた。


「あーあーあー……。あ、そういえばこんな本も借りてたな」

「何だこいつは? 世界の刀剣? 御身おまえ、こういうのにも興味があるのか?」

「いや違うよ。前にここから借りてたやつ。ほら、いま刀剣フェスやってるだろここ。その資料だよ。

 俺、ここの蔵書読むの好きなんだよ。だから何冊か借りてるの。色々知るのは好きだからな」

「ほー。闇雲にここを選んだ、というわけではないという事か」


 そうだ。俺だってあてずっぽうに策を探そうとしたわけじゃない。

 俺は昔から、ここに出入りしているから、色々と知識は豊富だ。特に神話や伝承、歴史といった類の知識は深い。ついでに資料整理の経験から、速読技能もある。だからこそ、短時間で策が浮かぶと俺は考えたわけだ。

 もっとも、それでも6時間は少ないので、策が浮かぶかどうかは五分五分なのだが。


「西洋におけるドラゴンは悪魔、ねぇ。基本的に、聖なるものに弱いわけか」

「奴は自らを怪獣と言っていた。ならば、奴の竜としての性質は西洋側に近いだろうな」

「だとすればきっと、聖なるものが特攻になるか。──────っ! そうだ!! 童子切とか!?」


 膝を叩いて立ち上がり、何度か目を通していた童子切に関する資料に目を通す。

 そうだ、あれならば退魔の逸話があるから、邪悪に分類されるドラゴンも倒せるかもしれない!

 ちょうど借りていた本を既に読んでいたこともあり、童子切の持つ性質や逸話について、非常にスムーズに調べる事が出来た。

 何か調べ、知る事が出来れば、打開策が浮かぶかもしれない。


「おい待て。いきなり立ち上がるな。おい! 聞け!」


 策が見いだせるのではないか思うと、俺の胸は強く高鳴った。

 そうして調べるうちに、俺の中に次々と童子切への興味が湧いてきた。知識欲が強いからか、こういう弊害も起きてしまうのは悪い癖とも言える。

 夢中になった俺は、クリスの制止も聞こえないぐらいに俺は興奮しながら、俺は夢中で童子切の逸話や伝承を調べていた。


「坂上田村麻呂、源頼光……。この2人が、主な童子切の使用者になるのか。

 凄ぇ、思った以上に色んな妖怪討伐してるんだな。殺した妖怪たちは、一体どういう」

「だから聞けと言っているだろうが! 本来醒遺物フラグメントは、適合者を選ぶと忘れたか!

 御身おまえ吾輩わたしを使いこなせているから忘れているのだろうが、それも特例だと肝に銘じておけ!」

「あ……。そう、か。そうだったな」


 そうだった。醒遺物フラグメントは強大ゆえに、扱える人が限られる存在という前提を忘れていた。

 大分名案だと思ったんだが、ふりだしに戻ってしまった。だが言われてみればその通り。俺はクリスを扱えこそしたが、童子切を扱えると決まったわけではないのだ。

 落胆しながら資料を片付けていると、一冊の資料が何故か妙に眼に留まった。タイトルは『吾妻鏡』。童子切を扱った英雄、源頼光の逸話が載っている、一つの史料だ。


「オイどうした? 早く片さんか」

「ああ悪い。すぐ読んで片づけるよ」

「読むのをやめるという選択肢は無いのか」


 時間が押していると理解しつつも、俺は知識欲に惹かれ、落ちた本をサッと流し読みをする。

 その内容は源頼光が行った、一つの妖怪退治。本来そういった話は勇ましい武勇伝なのだが、それは非常に悲しい話だった。

 源頼光の兄弟である丑御前が人外だったために、頼光は討伐を命じられる。それが物語のあらすじだ。


「酷いな。血を分けた兄弟なのに、殺し合うなんて」


 それを読んで俺は、かつての童子切の持ち主に対して同情を抱いていた。あんなに、ディアドラとの一件で短絡的な同情は避けるようにと思っておきながら、この体たらくだ。まぁ、既に過ぎ去った過去の人物だから、一応はセーフという事で。


御身おまえ、すぐに他人に対して同情的になるな」

「いきなり顔を出すなよ。びっくりするだろ」

吾輩わたしにもすぐ同情するし、あのディアドラとかいう女にも同情していたな。

 終いには、過去の醒遺物フラグメントの使い手に対してまで同情か? 随分と、情に厚いと見える」

「なんだよ、嫉妬か?」

「心配しているだけさ。御身おまえが死ねば吾輩わたしも死ぬからな。

 あまり自分本位に動く意志が薄すぎると、我が存在に関わる。その癖に自分も助かりたいなど、傲慢も良いところではあるが」

「あの時、俺に対して随分と鋭い口調で責め立てたのもそれが理由か?」

「そうだな。ロゴスを使う身になったからには、優柔不断な意志はそのまま死を招く。故に警告をしたのだが、少し言い過ぎた。すまなかったな」

「別に良いよ。俺も少し意固地になり過ぎた。ただ1つ言うなら、傲慢って人に言うのはブーメランになるからやめた方が良いぞ」

「? 吾輩わたしのどこが傲慢だというのだ」

「鏡ならトイレにあるぜ。面白いものが見られるだろうよ」


 あの時の辛辣な言葉へのささやかなお返しとして、俺たちは軽口を叩き合う。コイツとしても悪気はなかったようだし、あの時の怒りは今は長すとしよう。

 ただ、こいつの言う事は正論でもある。確かに俺は同情的だが、自分の命は惜しい。だからこそ、こうして策を練っているのだが、このままじゃ犬死には明白だ。

 時計を見ると、残り2時間を切っている。既に日も傾き、それが俺の焦りを加速させた。


 俺は隣のクリスを見やる。せめてこいつのやれることが明白になれば、突破口は開けるのだが。一応は室岡の弱点も分かった。あとはそれをどう突くかだが、今のままでは足りない。策を思いつくためにはクリスの出来る事を明白にしたいが、俺はこいつの事を何も……。


「──────待てよ?

 ……思いついた。そうだよ、これだ! これなら明確に、俺の力を形に出来る!」


 土壇場のなか俺は立ち上がり、一つの策が浮かんだ。

 これなら、勝てる好機が生まれる。いや、勝てずとも援軍まで時間を稼げる。なら、これで十分だ。俺が死ぬ可能性も無くなる。


 そう思うと俺は、自然に拳を握り締めながら笑っていた。

 手が震える。だがこれは恐怖の震えじゃない。俺が初めて、室岡という強者に立ち向かえると分かったからだ。

 それは、いわゆる武者震い。俺がロゴスを手にしてから、初めて感じる『高揚』という感情の現れだった。


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